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ヨーロッパが歩んだ道

日本が軍国主義への道を突っ走るにあたってモデルにしたヨーロッパはどのようにして「列強」の地位を獲得していったのか、古代ローマから冷戦まで、ヨーロッパが歩んだ道を振り返ることによって考えてみませんか?

マドリード王宮

スペイン・マドリードの王宮

ローマ人から“蛮族”と呼ばれた英仏独西などのヨーロッパ人たちは、日本と同様の封建制のもと発展を遂げ、15世紀末には大航海時代を迎えます。

そのころ、世界の超大国として君臨していたのはおそらく中華帝国(当時は明みん)でしょう。中華帝国が伸び悩む一方で、ヨーロッパは、世界の経済、政治、文化の中心となる道を歩みはじめましたが、その過程で多数の民族に大きな犠牲を強いることになりました。

なぜ、小さな国が乱立するヨーロッパが、巨大な中華帝国を抑えて世界に君臨することになったのか、様々な見方があるでしょうが、小国乱立がゆえの多様性が強味になったことは間違いないのではないでしょうか。

目次

はじめに

第5章 第2次世界大戦

˅ 5.1 第1次大戦の後始末
˅ 5.2 世界恐慌から第2次大戦へ
˅ 5.3 第2次世界大戦のはじまり
˅ 5.4 独ソ戦と北アフリカ戦線
˅ 5.5 第2次世界大戦_終戦へ
˅ 5.6 ホロコースト
˅ 5.7 ニュルンベルク裁判
˅ 5.8 冷戦
5.9 まとめ

あとがき


※1 本レポートの構成と目次の操作

・章・節・項・目・段落
このレポートは、章・節・項・目・段落の5段階で構成されており、その番号などを 1.2.3 (4) aaa の形式で表示します。1が章、2が節、3が項、(4)が目、aaaが段落です。上の目次には節までが初期表示されています。

・ページ
ブラウザが表示する単位(=ページ)は節又は項の単位になります。タイトルの左にvマークのついた節は項の単位、その他は節単位のページです。

・ページ選択(vマークのついた節)
タイトルの左にvマークのついた節は、節タイトルをクリックすると、項のリストが表示されます。項タイトルをクリックするとそのページを表示します。

・ページ選択(vマークのない節)
節タイトルをクリックするとそのページを表示します。

※2 各ページ内註釈からの戻り操作

ほとんどのページには註釈があり、出典文献や補足説明などが記載されています。
註釈番号をクリックするとその註釈に移動します。註釈から本文に戻るときは、その註釈の右下にある「本文に戻る」ボタンを押せば、本文の註釈番号があったところに戻ります。ブラウザの「戻る」ボタンでは戻れません。詳しくはページ・ヘッダにある[サポート]→「操作ガイド」を参照してください。

※3 ページヘッダ

各ページの最上段には、ページヘッダと呼ぶ領域が固定的に表示されます。ここではメニュー画面への復帰や前/次ページへの移動のほか、次の2つの機能をもったボタンがあります。

・サポート; 読解を支援する次のような情報を別ウィンドウで表示します。操作ガイド、用語集、地図、年表、家系図、参考文献(寸評付き)

・ページ目次; そのページの目=(n)レベルの目次を表示し、そこに直接移動することができます。


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