日本の歴史認識ヨーロッパが歩んだ道 > あとがき

birdあとがき

つたないレポートを最後まで読んでいただきありがとうございます。

このレポートは、当初「軍国主義崩壊への道」の一部として、日本の軍国主義の発展と崩壊において、日本がモデルとした欧米列強がどのような道をたどって世界の大国になっていったのかを明らかにしたいと思ったのですが、ヨーロッパの歴史を理解するのが精いっぱいで日本との関係や比較について考えることは筆者には重たすぎました。

最終的には筆者の目で見たヨーロッパの歴史、ということで、教科書には書かれていないけれど、ごくふつうのおとなが知っておいて損はないだろうというレベルのヨーロッパ史になったのではないかと思っています。

最後に、私がこのレポートを作り終わって、特に印象に残った4点をご紹介して終わりにします。それは2000年前、古代ローマ人から「蛮族」とバカにされたヨーロッパ人たちが、他の大陸人たちを野蛮だと見下すことになる要因の一部なのかもしれません。

(1) 封建制 世界で封建制を経て近代に入った地域は、ヨーロッパ諸国と日本だけだという。(中国は殷、周の時代まで封建制で秦以降は中央集権制)  主君が安全を保障する代わりに従者は忠誠を誓って軍務や年貢を提供する、という双務関係の基本は同じでも細部は異なるものだったが、地球の裏表で同じような制度があったことは興味深い。

(2) 大航海時代 大航海時代はヨーロッパが世界の頂点にたつ最初の転換点だったのではないだろうか。16世紀初頭に技術や文化で世界のトップにあったのは中国であり、ヨーロッパはまだ中国の後塵を拝していた。しかし、これ以降、中国は内に閉じこもるのに対してヨーロッパ人はアジアの香辛料などを目指してどんどん外に出ていった。大航海時代は、地理的にも財政的にも恵まれたスペイン、ポルトガルの王室と、航海術に長けたジェノヴァ人やヴェネツィア人が結びついて初めて可能になった冒険だった。

(3) 産業革命、フランス革命 18世紀後半から19世紀初めにかけて起きたこの2つの革命が、ヨーロッパを世界のトップに押し上げるきっかけになったのではないだろうか。産業革命は人手によるモノ作りを機械によるモノ作りに代えるきっかけとなったいう意味で画期的だった。フランス革命は、啓蒙主義で提起されていた自由や平等といった現代において世界共通の価値観となっている人権を、はじめて制度化した革命だった。それは国民を主体とした国家を作る原点となった。

(4) ロシア帝政から革命へ ロシアは19世紀半ば過ぎまで農奴制をしいていたが、そのわずか半世紀後に革命を起こして社会主義政権を誕生させた。しかし、権力を握ったスターリンは独裁体制をしき、そのもとでアメリカに伍する超大国の地位を獲得した。おそらく、ほとんどのロシア国民は共産主義・社会主義なるものを理解せず、単にロシア皇帝が変っただけと感じたのではないだろうか。その社会主義国家もわずか70年ほどで崩壊、早すぎた革命なのか、移行方式に誤りがあったのか、あるいは社会主義/共産主義というモデルそのものの問題なのか?… ロシアでは再び独裁性が復活している。

こうしてみるとヨーロッパ2000年の歴史は、失敗の繰り返しのなかから、成長してきた歴史といえるのではないか。失敗した当事者あるいはその関係者が、失敗を前向きにとらえるのは難しいが、第三者であれば、その失敗を糧にして新たな挑戦に立ち向かうことにさほどの抵抗感は感じない。そうした意味でも、集団に様々な種類の人間が存在し、指導者が適宜交替することを迫られる体制が、長い目で見ると強い体制なのかもしれない。

 

ヨーロッパの歴史を勉強しようと思い立って文献を読み始めたのは2020年の9月頃だった。それからおよそ3年、やっと最後の章の原稿を書き終えることができた。

はじめは、「軍国主義崩壊への道」という4部作の一部として、日本の明治時代以降の歴史と対比させるために、近代ヨーロッパの歴史の概要を書くつもりで始めたけど、文献を読んでいるうちにヨーロッパ文明の起点ともいえる古代ローマからに変更した。本題の近世・近代に入ると、新たな発見が相次いでそれらを書きたくなったのと、概要に要約すること自身が極めて困難であることに気づき、レポートの量はどんどん増えていった。

最終的に出来あがったモジュールのサイズ合計は、南京事件のおよそ2倍、慰安婦問題の3倍くらいになった。加えて参考にした文献の数は南京事件とほぼ同じくらいの約100冊だけど、南京事件では関連する部分だけ読めばよかったものが、今回は参考文献のほぼ全部についてすべての頁を読むことになった。

その結果、南京事件では1年ちょっとで出来上がったのに対してヨーロッパ史ではおよそ3年もかかることになってしまった。