日本の歴史認識ヨーロッパが歩んだ道第3章 / 3.1 イギリスの産業革命 / 3.1.1 産業革命の背景と経緯

ship第3章 近代ヨーロッパ

近代の特徴として、産業資本主義の発達と国民国家の出現、などがあげられることが多いが、前者の契機になったのがイギリスの産業革命であり、後者のきっかけはフランス革命であった。この章ではこの2つの革命が起きた18世紀末から19世紀末までのヨーロッパを対象にする。

産業革命はヨーロッパ全域に波及し、商工業の発展と資本主義経済の形成が進み、それに伴って近世から存在していた産業資本家(ブルジョア)の力が強くなっていった。
一方、フランス革命では旧来の君主と貴族を中心とした政治に対して、ブルジョアや一般民衆の政治参加が求められたが、それが実現するまでには100年近い年月を要した。特に旧体制が色濃く残る独墺露三国は、ウィーン体制と呼ばれる体制により、列強同士の争いを外交的手段によって抑制する一方で、民族自決や民衆の政治参加の動きをけん制した。

しかし、フランスが革命の痛手から復活し、ドイツやロシアの力が強くなってくると、列強(英仏独墺露)は、一方で列強間の勢力均衡を維持しつつ、他方で自国勢力の伸張を図っていくようになる。それは帝国主義と呼ばれるもので、ターゲットにされたのはヨーロッパの弱小国とアジアやアフリカの植民地化であった。

鎖国から目覚めて富国強兵の道を歩み始めた日本が参加した国際社会は、こうした権謀術策うずまく弱肉強食の世界だったのである。

3.1 イギリスの産業革命

産業革命は18世紀後半にイギリスで綿製品工業から始まり、ヨーロッパ主要国や日本にも波及した。産業革命により、モノづくりは手工業から大量生産が可能な工場制工業に変わるとともに、蒸気機関のような人工的な動力源を利用した鉄道、船舶、自動車などの輸送機械が出現し、人やモノの流れに画期的な変化を及ぼし、資本主義経済が成長した。一方で、労働者は低賃金、劣悪な環境で働かされ、都市に人口が集中することによる治安や衛生環境の悪化など、さまざまな弊害も生み出した。

この節では、イギリスではじまった産業革命の背景、経緯、影響、ならびに19世紀イギリスの動向についてレポートする。

 図表3.1 イギリスの産業革命

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3.1.1 産業革命の背景と経緯

(1) 産業革命とは…

産業革命の定義として、最も簡潔でわかりやすいのは次の定義であろう。

{ 通常は 18世紀後半から 19世紀前半にかけてイギリスにおける技術革新に伴う産業上の諸変革,特に手工業生産から工場制生産への変革と,それによる経済・社会構造の大変革を産業革命と呼ぶ。}(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

ここであげているように、生産技術と経済・社会構造の2面の変革を指摘することが一般的であるが、イギリス史が専門の近藤和彦氏は自然環境の改変も指摘する。

{ … 石炭など化石燃料を大規模に消費しはじめたので、二酸化炭素の大気への排出が増えた。すべて金もうけと利便性のためである。つまり、産業資本主義というシステムの成立、自然環境の改変という2点で、産業革命は人類史の画期をなし、「新石器革命」にも比せられる。}(近藤「イギリス史10講」,P186)

この2つの変革を具体的に言えば、次のようになる。
生産技術の変革のポイントは2点ある。一つはそれまで"道具"を使って手工業で行ってきたモノ作りを"機械"が主体的に行うようになったことである。手工業においてはすべての生産工程に人間が関与するが、機械による生産では、生産工程の一部又は全部を機械が行うことにより、人間主体の生産に比べて均質な製品を大量に生産できるようになる。
もう一つは、動力の活用の幅が大きく広がったことである。それまで、水力や家畜力に頼っていた動力が蒸気機関、後には内燃機関や電力の活用により、場所を問わずに強大なパワーを利用できるようになったことで、機械の活用範囲を広げただけでなく、鉄道、船、自動車など輸送機械の画期的革新に結びついたことである。

また、経済・社会構造の変革、とは、工場での生産は手工業時代とは比べものにならないほど、多額の投資が必要になるために、資本主義のよりいっそうの発展が求められるようになった。また、工場労働者の増加は低賃金、劣悪な労働環境による格差拡大だけでなく、労働者の農村から都市への人口移動を促し、都市の治安悪化などの社会問題も発生した。一方で、大量生産により衣料品や日用品などを安価に入手できるようになり、生活環境の改善に寄与した。

(2) 背景/要因――なぜイギリスで起きたか

産業革命が起きた背景や原因は、それがなぜイギリスで起きたのか、と関係がある。研究者は様々な指摘をしているので、まずそれを見てみよう。

近藤和彦氏註311-1

「イギリス史10講」の著者近藤和彦氏は、産業革命は自生的に行われたのではなく、アジアやヨーロッパとの競争に促拍されて起きた、として次のような要因を指摘する。

・綿織物への強い需要; インドの捺染綿布(なっせんきゃらこ)は軽くて美しく、毛織物などイギリス在来の商品にとって脅威となった。

・官民挙げての奮闘努力; イギリス政府も民間も特許、立法、金融、司法などの面から支援したり、技術開発プロジェクトを公募し助成した。また、18世紀初めには模倣綿布が作られ、その販売を毛織物業ギルドや議会が支援した。

・人材の保有; 海外商業や関連技術はオランダとフランスとイギリスで拮抗していたが、それに携わる人材は(戦争などにより)イギリスに流出していた。

川北稔氏註311-2

イギリス近代史関係の著書のほか、ウォーラーステインの「近代世界システム」の訳者でもある川北稔氏は、綿織物への需要の高まりのほかに、三角貿易(奴隷貿易)が産業革命の起点だという。

・綿織物への需要の高まり; 綿織物は毛織物と比べて、軽い、安い、鮮やかな色がつけられる、洗濯ができて衛生的、といった長所があり、人気を博した。

・三角貿易※1; { 三角貿易は綿花の輸入と綿織物の輸出を含んでいたので、奴隷貿易で急成長したリヴァプールの後背地マンチェスターに綿織物工業が展開した。}(川北「世界システム論講義」、Ps1094-)

・なぜイギリスか?; かつては、産業革命以前の英・仏の経済条件(人口、所得、工業化の進展具合、貿易の状況など)の比較研究から、イギリスが先行した必然性が主張されていたが、近年の研究ではそのような差異は否定される傾向にある。決定的な違いは、イギリスが世界システムの経済的余剰のシェア争いに勝利したことである、と川北氏は言う。平たく言えばインドやトルコなど新たに世界(経済)システムに組み込まれた地域の貿易シェア争いをイギリスが制した、ということであろう。

※1 三角貿易(奴隷貿易) ヨーロッパ/アフリカ/アメリカ大陸の間で行われた貿易。ヨーロッパからアフリカには武器など、アフリカからアメリカ大陸に奴隷、アメリカ大陸からヨーロッパには砂糖や綿花などを運んだ。(2.8.2項参照)

柴田三千雄氏註311-3

フランス近代史が専門の柴田三千雄氏は、産業革命の背景とフランスが出遅れた理由を次のように述べている。

・ヨーロッパ経済は1730年頃から好況期に入り、生活水準が向上して購買力が拡大したことが産業革命を招来した。

・フランスのブルジョアは、商業活動よりも地主になったり、官職を購入して金利や年金で暮らすものが多く、こうした企業活動からの逸脱がフランスの産業革命を遅らせた理由の一つである。

福井憲彦氏註311-4

フランス近現代史が専門の福井憲彦氏は、次のような要因を指摘している。①農業技術の発展による資本の蓄積と労働力の創出、②人口増による労働力増加、③(精密加工などの)技術の進歩、④商業革命による資本蓄積、⑤立憲王政による政治的安定、⑥農業の基盤が弱かったことが逆に商工業の発展を促した。このうち④~⑥がイギリス固有のことだという。

I.ウォーラーステイン註311-5

アメリカの社会学者I.ウォーラーステインはその大著「近代世界システム」で産業革命にもかなりの紙数をさいている。彼は世界(経済)システムの視点で分析しようとしているが、とても難解である。ここではその一部を紹介するにとどめる。

{ 問題はなぜイギリスがフランス、その他の諸国を引き離したか … ということではない。真の問題は、… 全体としての「世界経済」が特定の時点で、なぜこのような発展をしたのか。また、なぜこの時期に、もっとも利益のあがる経済活動が(さらに言えば資本蓄積も)、ほかの国々よりも特定の国の内部に、はるかに集中するようになったのか、ということである。}(ウォーラーステイン「近代世界システムⅢ」,P22)

{ フランスはイギリスより百年以上も遅れてその「ブルジョワ革命」をもったのだが、その「ブルジョワ革命」こそは、産業革命の前提条件だったのである。
1730年から1840年までの期間に、イギリス … がフランスに対して、競争力に大差をつけた事実を否定するつもりはない。以下に試みたいのは、どのようにしてこのことが起こったのかを、ブルジョワ革命と産業革命という、二つの相互に絡み合った、しかも間違った概念のどちらにも依存せずに、説明することである。}(ウォーラーステイン「同上」,P37)

ちなみに、この次の章は「中核部における抗争の第三局面」のタイトルで、上述の川北氏が言う「イギリスが世界システムの経済的余剰のシェア争いに勝利したこと」について述べている。

まとめ

以上を私なりにまとめると次のようになる。
新たな機械を開発しようという直接的な動機は、綿織物製品に対する需要の高まりに対して、インドから輸入していたものを国産化する、というところから始まった。イギリスは、それを実現するために必要な環境条件において他の国より有利な位置にいた。それは次のようなものである。これらの条件は、大航海時代をはじめたのがポルトガル/スペインである理由と非常によく似ている。

① 地理的条件; ランカシャー地方は古くから毛織物・麻織物工業地域に近く、繊維産業に関する技術や資本が活用しやすい地域であったことに加えて、原料の輸入と製品の出荷を行う港も隣接していた。

② 国家の支援体制; 政府による支援やブルジョアが企業活動に注力したのは、名誉革命以降、ブルジョア(=ジェントリ)の政治参加があったことが大きく影響していると考えられる。

③ 人的資源; 宗教戦争などにより流出した人材や企業活動に意欲的な人材がそろっていた。

(3) 経緯註311-6

産業革命は、一般的には「1760年代から1830年代まで」とされている。この期間の前後を含めて、関連する事象を以下にリストアップする。

(4) 他国への波及註311-7

産業革命は繊維機械と蒸気機関でイギリスではじまったが、1830年代になると他のヨーロッパ諸国にも広がっていった。19世紀後半になると、鉄鋼、化学、電機などの重化学工業が発達し、第2次産業革命とも呼ばれた。

フランスでは、国家主導で鉄道網の整備、パリの都市改造などを進め、それに関連する製鉄業、石炭業、機械工業などが急速に発達していった。プロイセン(ドイツ)やアメリカでも1830年代から工業化が進み、19世紀後半には重化学工業が大きく発展した。ドイツは国家主導で進められたが、アメリカではカーネギー、ロックフェラーといった巨大企業が主導した。イタリアでは、1830年代から繊維産業で工業化がはじまったが、工業化の速度は他の国より遅かった。ロシアも綿織物工業から工業化がはじまり、19世紀後半には石油、石炭、鉄鋼などの重工業が発展を遂げた。


3.1.1項の主要参考文献

3.1.1項の註釈

註311-1 近藤和彦氏の指摘

近藤「イギリス史10講」,P187-P188,P193-P194

{ 産業革命は、… 長い18世紀の民間活力と、議会・政府の積極政策、そして海外市場が結びついておきた経済社会の編成替えである。}(近藤「同上」,P193)

註311-2 川北稔氏の指摘

川北「イギリス近代史講義」,Ps1687- 川北「世界システム論講義」,Ps1094-,Ps1356-

{ インドから輸入していたものをイギリスでつくる、輸入品の国産化という形がとられたことが重要です。後発国の工業化の特徴とされる「輸入代替」は、「最初の工業化」についてもあてはまることだったのです。… アジアの商品に対するヨーロッパ人の憧れ、需要があり、マーケットが先に広がっていた…}(「イギリス近代史講義」,Ps1718-)

{ 現代の環境学で、熱帯雨林などの森林がなくなっていくことを deforestation といいますが、もともとこの言葉は、16世紀イギリスの現象をあらわすためにつくられたものです。}(「同上」,Ps1742-)

註311-3 柴田三千雄氏の指摘

柴田「フランス史10講」,P100-P101,P78-P79

{ ヨーロッパ経済は1730年頃から好況期に入り、これがさまざまな分野に作用する。… 生活水準の向上による購買力の拡大が、大量生産という新しい経済観念を刺激し、「産業革命」の時代の到来を予告する。}(柴田「同上」,P101)

{ (ブルジョアは)富を蓄積すると、企業の拡張ばかりでなく土地を買って地主になり、さらには … 官職購入の道を選ぶことが非常に多い。… きびしい産業規制が企業発展を制約しているため、安全性があるうえ社会的信用にもなる「ランティエ(金利や年金で生活する者)」の道を選ぶ … この商人の企業活動からの逸脱が、イギリスとくらべて産業革命がフランスで遅れた理由の一つである。}(柴田「同上」(P78-P79)

註311-4 福井憲彦氏の指摘

福井「近代ヨーロッパ史」,Ps1406-

註311-5 ウォーラーステインの指摘

ウォーラーステイン「近代世界システムⅢ」,P2-P37

註311-6 産業革命の経緯

近藤「同上」,P188-P192 W.H.マクニール「世界史(下)」,P208-P213 Wikipedia: 「産業革命」

産業革命の期間について、近藤氏は「国内生産の成長率が伸び始める1780年頃、完了は1825年の空前の好景気、その直後の恐慌で画される」という。

註311-7 他国への波及

柴田「フランス史10講」,P157-P158 川北「イギリス近代史講義」,Ps2320- 北村「イタリア史10講」,Ps1960- 栗生沢「ロシアの歴史」,P95-P96 Wikipedia「産業革命」