日本の歴史認識ヨーロッパが歩んだ道第5章 / 5.3 第2次世界大戦の始まり / 5.3.2 まやかし戦争

5.3.2 まやかし戦争

ドイツがポーランドに侵攻した直後、1939年9月3日に英仏はドイツに対して宣戦布告したが、それからおよそ半年のあいだ英仏とドイツの間に大きな戦闘はなく、まやかし戦争(Phoney War)註532-1と呼ばれる期間が続いた。ただ、この期間に何もなかったわけではなく、イギリスはドイツと海の上で戦いをしていたし、ソ連はフィンランドに侵攻し、ドイツはノルウェーを攻略していた。

図表5.7(再掲) 第2次世界大戦のはじまり

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(1) "まやかし戦争"になった理由

連合軍側の事情註532-2

イギリスは9月4日に大陸派遣軍の先遣隊をフランスに上陸させ、フランスもドイツ領内に数キロだけ兵を進めたが、それだけだった。英仏がドイツを攻撃しなかった理由について斉藤孝氏は次のように述べている。

{ イギリスやフランスでは国民・軍隊の士気が昂揚せず、… 支配層の側もマジノ線※1に対する信頼や対独海上封鎖戦に対する楽観があったとともに、ドイツの攻撃がソ連邦へ向かう可能性に期待していたことにもよるといってよいだろう。}(斎藤「戦間期国際政治史」,P292-P293)

また、ビーヴァー氏は、この当時のフランス陸軍は遠征型ではなく防衛型で防御に重点をおくのが基本戦略だったこと、イギリスは経済封鎖によってドイツを抑え込もうと考えていたこと、などを指摘している。

※1 マジノ線は、フランスがドイツとの国境線にそって構築した要塞群。

ドイツの事情註532-3

ヒトラーはフランスおよびベネルクス3国への攻撃を1939年11月には始める予定だった。しかし、弾薬や戦車などの軍需物資が不足していることに加えて、空軍から天候不順で地上軍への支援が行えない、との申立てがあった。そうこうしているうちに1940年1月10日、作戦計画書を持った参謀の乗った飛行機が不時着し、計画書が連合軍側に渡ってしまったため、計画の練り直しを迫られることになった。結果的にポーランド侵攻から半年以上の期間をおくことにより軍需品の補充だけでなく兵員の拡充、教育などを行なう時間を確保できたことが、この作戦の成功につながる要因となる。

(2) 海での戦いとアメリカの支援註532-4

陸の戦いはほとんどなかったが、海ではドイツ海軍がイギリス沿岸への機雷封鎖や商船に対するUボート(潜水艦)による攻撃をくり返し、イギリス海軍はこれに応戦していた。

アメリカ合衆国は、この戦争に対しては中立を宣言していたが、10月3日、ドイツ海軍はそのアメリカの貨物船を拿捕し、積み荷を戦利品として没収してしまった。アメリカの世論は沸騰し、中立法を改正して英仏両国に対しては武器の売却を認めることになった。

(3) ソ連・フィンランド戦争註532-5

独ソ不可侵条約の秘密協定で、北欧3国のうちフィンランドはソ連、ノルウェーはドイツの自由にまかされ、中間のスウェーデンは緩衝地帯とすることが定められていた。ポーランド戦争が一段落するとスターリンはフィンランドに領土割譲などの要求をつきつけた。フィンランドは第1次大戦までロシア領だったが、大戦後独立していた。

フィンランドはスターリンの要求を拒否、スターリンは1939年11月30日フィンランドに侵攻した。フィンランドにごく少数いた共産主義者による「亡命政権」からの支援要請があったことが侵攻の理由だった。フィンランド軍は15万人ほどの手勢でゲリラ戦術を使ってソ連軍を苦しめたが、年明け2月1日、最新型の重戦車などを投入して攻勢にでた。国際連盟はソ連を除名し、イギリスやフランスも支援しようとしたがドイツの牽制もあってあきらめざるを得なかった。

1940年3月13日、フィンランドはソ連の要求をのみ、戦争は終わった。

(4) ノルウェー・デンマーク侵攻註532-6

ヒトラーの構想では、フランスへの侵攻はポーランドからの撤退を終えた1939年11月に開始する予定であった。しかし、この年の晩秋は霧雨と濃霧がひどく、空からの地上軍の支援が十分行えないと、空軍が言ってきたため、計画を延期することになった。その間にドイツ海軍の総帥がヒトラーにノルウェー侵攻作戦を提案した。ノルウェー北部の北海沿岸にあるナルヴィク港はドイツが大量に輸入しているスウェーデン産鉄鉱石の積出港になっており、ここを押さえれば鉄鉱石の供給を安定させることができる、というのである。ヒトラーはこの提案を採用した。北海からバルト海の経路に当たるデンマークも対象とされた。

1940年4月7日、歩兵を満載したドイツの海軍部隊がドイツの港を出港し、4月9日、デンマークとノルウェーに歩兵を上陸させて首都オスロなどを攻撃した。デンマークはドイツの言われるままに占領を認めた。ノルウェーはドイツの言う「平和的占領」を拒否したが、ノルウェー国王はイギリスに落ち延びるしかなかった。
イギリスとフランスは艦隊をナルヴィクに派遣し、4月28日にナルヴィクを確保したが、制空権をドイツに握られていたため、作戦は失敗に終わった。

(5) チャーチル首相誕生註532-7

ノルウェー作戦における失敗の責任は、イギリスの海相だったチャーチルにあることを本人も後年認めているが、この件で責任をとらされたのは、チェンバレン首相だった。

5月9日のイギリス下院でおひざ元の保守党議員からチェンバレンを非難する声があがり、本人も辞任やむなしと考えるに至った。問題は後任で、候補として名前があがったのは外相のハリファクスと海相のチャーチルだった。チェンバレンも国王ジョージ6世もそして多くの議員もハリファクスを支持したが、ハリファクス本人が辞退したため、お鉢はチャーチルに回ってきた。

5月10日、チャーチルは首相に就任しただちに組閣した。この日、ドイツ軍のフランスへの攻勢がはじまったのである。


5.3.2項の主要参考文献

5.3.2項の註釈

註532-1 まやかし戦争

英語では、"Phoney War”(まやかし戦争)、フランス語では”Drôle de guerre”(奇妙な戦争)。ドイツ語では”Sitzkrieg”(座り込み戦争)、などと呼ばれる。

註532-2 連合軍側の事情

ビーヴァー「第2次世界大戦(上巻)」,P74-P75

{ イギリス空軍はすでにドイツの上空に進出し始めていたが、宣伝ビラを投下するだけで、… 「紙吹雪戦争」にすぎないといったジョークが飛び交うほどだった。… 9月4日、 BEF(イギリス海外派遣軍)の先発隊がまがいなりにもフランス上陸を果たし、これを皮切りに続く5週間余りのあいだに、総勢158千人の兵士がイギリス海峡を越えていったが、肝心のドイツ軍部隊との衝突は、じつにこの年の12月まで一切なかったのである。…
フランスもイギリスも恥知らずなことに、ポーランドに約束していた防衛義務を果たさなかった。}(ビーヴァー「同上(上巻)」,P75)

註532-3 ドイツの事情

ビーヴァー「同上(上巻)」,P146-P148,P192

{ ヒトラーの本来構想では、ベネルクス三国およびフランスに対する攻撃は、ドイツの各師団がポーランド方面から撤収を終えた直後、すなわち1939年11月に実施するはずであった。…
じつは、弾薬(特に爆弾)と戦車が危険なほど不足しているのですとドイツ国防軍が報告をあげると、ヒトラーは烈火のごとく怒った。…
1939年の晩秋は霧雨と濃霧が特にひどく、11月に作戦開始となると、地上軍の怒涛の進撃に不可欠な航空支援が十分おこなえないとドイツ空軍が言ってきたからだ。さしものヒトラーも天候相手では納得するしかなかった。結果、ドイツの対西方作戦は6カ月余りの遅延を余儀なくされる…}(ビーヴァー「同上(上巻)」,P146-P147)

註532-4 海での戦いとアメリカの支援

ビーヴァー「同上(上巻)」,P92-P93 太平洋戦争研究会「同上」,P24

註532-5 ソ連・フィンランド戦争

ビーヴァー「同上(上巻)」,P95-P100,P105-P106 太平洋戦争研究会「同上」,P26-P27

{ フィンランド軍はかれらのいう丸太切り戦術を採用。敵の隊列をスライスしたり、補給ルートを各所で寸断、ソ連兵を飢えさせた。パリパリと肌を刺すような霧が一面に広がっていく。そこへスキー兵がいきなり出現し、ソ連軍の戦車や火砲に手りゅう弾や火炎瓶を投げつけて、瞬く間にどこかへ消えていくのだ。}(ビーヴァー「同上(上巻)」,P98)

註532-6 ノルウェー・デンマーク侵攻

ビーヴァー「同上(上巻)」,P146-P157 太平洋戦争研究会「同上」,P27

{ この作戦の失敗にかんしては、首相たるチェンバレンより、海相たるチャーチルが果たした役割の方がずっと大きかった。ところが、政治がもつ残酷な皮肉というか、この1件で詰め腹を切らされたのはチェンバレンであり、当のチャーチルは後任首相として、以後自前の戦時内閣を率いることになるのである。}(ビーヴァー「同上(上巻)」,P157)

註532-7 チャーチル首相誕生

ビーヴァー「同上(上巻)」,P157,P164,P172、P176

{ 大半の保守党員にとって、順当なのはハリファクスだった。多くの保守党員は依然としてチャーチルを信用しておらず、あの男は危険だし、平気で悪事を働く一匹オオカミだとみなしていた。…
だが、公人たる責任感が非常に強いハリファクス卿は、チャーチルの方がよりよい戦争指導者になれると考え、首相就任を固辞していた。}(ビーヴァー「同上(上巻)」、P172、P176)