日本の歴史認識ヨーロッパが歩んだ道第4章 / 4.4 第1次世界大戦 / 4.4.7 第1次世界大戦がもたらしたもの

4.4.7 第1次世界大戦がもたらしたもの

図表4.14(再掲) 第1次世界大戦への道

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第1次世界大戦は近代から現代への転換点となったと言われているが、具体的にはどんな変化があったのか、以下、木村靖二氏と君塚直隆氏などの指摘を参考に筆者なりに整理してみた註447-1

(1)国際関係の変化

・国際連盟の成立により、列強が主導する国際関係から対等の国家からなる国際関係に転換した。ウィーン体制、ビスマルク体制の時代には大国の指導者が主導する会議外交により、国際紛争の調停にあたっていたが、国際連盟には小国の意向も反映された集団安全保障体制が期待された。しかし、アメリカが加盟しなかったことなどにより、十分な成果をあげることはできなかった。

・19世紀の古典外交を支えていたのは、貴族出身の外交官同士が、同じ価値観のもとで正義と秩序を重んじる閉鎖的な外交であった。ウィルソンが掲げた「秘密外交」の禁止はこうした外交手法を否定し、オープンな「公開外交」を原則とするもので、外交の基本として認知されるようになっていった。(すべてが公開されるわけでないことは現代にいたっても変わらない)

・国際関係の中心がヨーロッパから、アメリカや日本などに多元化した。

(2)民族自決の認知と国民国家

・ロシア、オーストリア、オスマンの三大多民族帝国が解体し、ヨーロッパには多くの新興国民国家が誕生したが、大戦後に急ごしらえで引かれた国境線は、東欧・中欧に火種を播くことになった。

・一方、ヨーロッパ以外の地域の植民地は戦争へ協力させられたのに、見返りはほとんどなかった。しかし、民族自決権に基づく国民国家は普遍化し、民族運動が台頭することになる。

・それまでの宗教的権威や王朝的権威が衰退したなかで、新たな価値観を示す指針としてナショナリズム(国民主義、民族主義)が登場し、それを利用して国家への協同体意識や国家との一体感を醸成することにより、総力戦に不可欠な国民の凝集力を獲得できるようになった。

・他方で、国民国家における民族主義が排他的に過激化すると、自国内の少数民族や外国系市民を弾圧し、排除しようとする動きが、アメリカ(移民禁止法)やドイツ(ナチス時代)などで生じることになる。

(3)国民国家の発達と大衆化

・兵役、労働義務、納税などの公的業務が義務として課されると、国民の権利として選挙権などの公民権が国民に付与され、国民参加型の国家への移行が推進された。また、女性の社会進出も進み、イギリスでは大戦末期に女性参政権が導入された。

・上記のような民主化と連動して、社会保障制度の整備により福祉国家化が進んだ。戦時中には出征兵士の家族や戦死者の遺族の生活補償や食糧配給による最低限の食糧供給などが行われたが、平時でもこうした国民の生活保障が行われるようになった。

・ヨーロッパでは騎士道精神に基づいて戦場で先頭に立って戦うのは貴族など上流階級の者であり、この戦争でも上流階級の若者の戦死者は非常に多かった。これら未来を背負うエリートが失われたことで、出自も知性も異なり、大衆に迎合したり、煽動する人々が戦後の復興の主体となり、大衆政治、大衆社会を実現することになった。

(参考) 第1次世界大戦の犠牲者数

第1次世界大戦の犠牲者数は様々な推定がなされており、確定することは不可能である。下表に以下のいくつかの推計を掲げる。
19世紀まで、戦争は兵士同士の戦闘に限定されていたので犠牲者のほとんどは軍人だったが、第1次大戦では民間人が巻き添えになって多くの犠牲者が出た。

図表4.17 第1次世界大戦の犠牲者数

第1次世界大戦の犠牲者数

注) 出典は以下の通り。「英領植民地」にはカナダなど自治領も含む。
 推計1; 君塚直隆「近代ヨーロッパ国際政治史」,P319
 推計2; 木村靖二「第一次世界大戦」,P213
 推計3; 近藤和彦「イギリス史10講」,P261


コラム スペイン風邪

1918年の春、合衆国カンザス州のアメリカ陸軍基地から始まったインフルエンザが世界的に大流行し、ヨーロッパの戦場や銃後にも及んで猛威をふるった。ドイツ軍兵士の罹患者は50万人にも及び、アメリカ軍の死者の半数はインフルエンザの犠牲者であったという。スペイン風邪と呼ばれたこのインフルエンザは全世界で猛威を振るい、第1次大戦の犠牲者を上回る死者を出したといわれるが、その流行は大戦と密接な関係にあった。多数の兵士の移動や集団生活が感染拡大を容易にし、銃後では栄養不良などによって体力と抵抗力が低下していた幼児や高齢者に犠牲者が集中した。

(参考文献: 木村靖二「第一次世界大戦」,P190-P191 Wikipedia「スペインかぜ」)


4.4.7項の主要参考文献

4.4.7項の註釈

註447-1 第1次世界大戦がもたらしたもの

木村「同上」,P209-P217 君塚「近代ヨーロッパ国際政治史」,P320-P330

木村氏は第一次大戦の負の遺産として、暴力に対する感度が鈍くなったことを指摘している。

{ 第一次大戦が歴史的に前例のない暴力の発動であったことから、その後につづく一連の戦争・内戦の原点、破局の原点ととらえる見方がある。… 19世紀と対比して、第1次大戦後の20世紀世界が戦争・内戦が継続し、大量殺害が引き起こされる時代であったことは明らかで、第1次大戦を破局の原点とする見解が、多くの歴史家に受け入れられている。
大戦という巨大な暴力行使は、戦後社会に暴力に寛容な政治文化を広げるという形で現れた。国内の政敵や反体制への抑圧での暴力の多用、国際対立での軍事手段の容認の度合いは、戦前よりはるかに高くなった。}(木村「同上」,P116-P117<要約>)