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用語集


索引

※ 探したい用語の先頭の文字で選んでください。例えば「軍国主義」の場合、先頭文字は"ぐ"なので「か~こ」をクリックします。


<あ~お>

アタナシウス派

アレクサンドリアの司教アタナシウスの説を信奉するキリスト教の一派。325年ニケーア(=ニカイア)公会議で正統と認められ,のちこの派の説がローマの国教となり,父なる神と子なるキリストと聖霊の三位一体説に発展。以来,正統派教義の地位にある。 (コトバンク〔旺文社世界史事典三訂版〕)

アリウス派

アレクサンドリアの聖職者アリウスAriusの教説,またはその信奉者。アリウスは,父なる神と子なるキリストは、異質的だとする説を立て,一時は東方全域に支持者を得たが,325年ニカイア公会議で弾劾された。アリウスの死後は3派に分裂,なお勢力を保ち,ゴート人にも伝わったが,アタナシウスらの正統派に押されて消滅した。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

アンシャン・レジーム(仏: Ancien régime)

16世紀からフランス革命までの約3世紀を,今日の歴史学は,アンシャン・レジームと呼ぶ。これは,いうまでもなく,革命以後の新体制に対して旧体制を意味する語であるが,必ずしも否定的な意味合いでのみ用いられるのではない。(コトバンク〔世界大百科事典〕)

アンダルス/アル・アンダルス(西: Al-Andalus)

はじめ、イスラム教徒によるイベリア半島の呼称であったが、しだいに同半島における彼らの支配領域を指す用語となった。スペイン南部のアンダルシア地方はこの呼称に由来する。(コトバンク〔世界大百科事典〕)

ウィッグ

"ホイッグ"の項を参照。

エンコミエンダ制

16~18世紀にスペインがラテンアメリカやフィリピンを植民地支配する上で採用した住民支配制度。スペイン国王は、スペイン人入植者にその功績や身分に応じて一定数の先住民の労働力の利用と貢納物を受け取る権利を与えるとともに、先住民の保護とカトリック布教を義務づけた。16世紀半ば以降、国王は直接統治を志向し、この制度はしだい衰退していった。エンコミエンダ(西:Encomienda)は「委託」を意味する。(Wikipedia「エンコミエンダ制」)

<か~こ>

カザーク

英語でコサック、ロシア語でカザーク。15世紀後半からロシアの南部〜南東部辺境地帯に集まった逃亡農民や都市貧民をこう呼んだのが始まり。16世紀ころ …,各地にアタマンと呼ばれる首領をもつ軍事的自治組織が生まれた。… 18世紀に入るとツァーリ政府の支配が強まり,不正規軍として辺境警備に当たった。この間ラージンやプガチョフの乱に見られるように大規模な反乱を起こした。20世紀初めには11の軍団があり,家族を含め総勢443万6千人(1916年)といわれた。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

寡頭政(かとうせい)

寡頭制または寡頭政は、全部または大半の政治権力を、特定の少数の人々が握っている政体。 少数者支配の体制であり、対比語は多頭制(多数支配)である。 寡頭制は君主制や独裁制のほか共和制や民主制でも存在する。(Wikipedia「寡頭制」)

カロリング朝

フランク王国の王朝(751年―987年)。メロヴィング朝に代わって即位したピピン3世に始まり,カール大帝の時、西欧全域にわたる大国家となった。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

騎士

主に中世において騎馬で戦う者に与えられた名誉的称号、およびそれから派生した階級を指す。(Wikipedia「騎士」)

教皇(ローマ教皇) (伊:papa、英:the pope)

全カトリック教会の首長。使徒ペトロの後継者と信ぜられ、ローマの司教。かつては政治的権力をも有した。ヴァチカン市国の元首でもある。現在は、枢機卿の選挙により選ばれる。ローマ法王。(広辞苑)
日本では従来、「法王」を使ってきたが、カトリック関係者は「教皇」を使っていた。2019年11月20日、日本国外務省は今後は「教皇」を使うと発表した。

共産主義(英:communism)

私有財産制の否定と共有財産制の実現によって貧富の差をなくそうとする思想・運動。古くはプラトンなどにも見られるが、主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられたものを指す。
プロレタリア革命を通じて実現される、生産手段の社会的所有に立脚する社会体制。その第1段階は社会主義とも呼ばれ、生産力の発達程度があまり高くないため、社会の成員は能力に応じて労働し、労働に応じた分配を受ける。生産力が高度に発展し、各成員が能力に応じて労働し、必要に応じて分配を受ける段階。これが狭義の共産主義。(広辞苑)

協商(仏:entente)

国家間の相互協調関係またはその取り決め。通常、同盟ほど強固でないものをいう。(広辞苑)
国家間の親善関係を規定したもので、条約というよりも非公式な合意による弾力的な関係で、武力的援助義務の規定は持たない。今日ではあまり使用されない。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

ギルド(英:guild)

中世ヨーロッパの都市で発達した商工業者の独占的、排他的な同業者組合。商人ギルドは11世紀に、手工業ギルドは12世紀に成立。13~14世紀には各都市の政治・経済を支配したが、16世紀以降衰退。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)

クリエンテス(西:criollo)

クリエンテスはラテン語で「被保護者」を意味するクリエンスcliensの複数形で,保護・隷属関係をクリエンテラclientelaという。身分としてのクリエンテスは,人格的には自由であったが,パトリキ(貴族)のゲンス(氏族)に所属し,その祭儀にも加わったと推定される。パトリキをパトロンとして,その服属者となり,軍事的・経済的に奉仕の義務があった。(コトバンク〔世界大百科事典〕)

クリオーリョ(西:criollo)

クレオルともいう。本来は西インド諸島で生れたスペイン人をさしたが,一般には西インド諸島も含めて南北アメリカで,植民地時代に生れて暮すスペイン,ポルトガル,フランスなど白人の子孫を一括していう。生活態度,衣服,食事,話し方などに先住民とは違った独自の様式をもっている。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

軍国主義(英:militarism)

国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備し、対外進出で国威を高めようと考える立場。(広辞苑)

戦争を外交の主たる手段と考え,軍事力を最優先する考え方ないしイデオロギー。軍国主義によれば,戦争は避けるべきものではなく,それは神聖な使命であり,人間の精神を高度にするものである。したがって軍国主義は自己犠牲(滅私奉公)や忠誠を美徳とし,勇気や冒険をたたえ,体力の錬磨を唱導する。またシンボルや儀式を創出して,これらの価値の弘布宣伝に努める。そしてこのような軍国主義が支配する国家においては常に軍人が最高の社会的地位を占め,教育,文化,イデオロギー,風俗習慣などが軍国的特徴を帯びるにいたる。さらに社会生活が軍事的に編成され,そのすみずみまでに軍隊の精神やモラルが浸透し,国家全体が兵営のような観を呈する。兵営国家と呼ばれるのは,これである。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

香料/香辛料

現代の日本語では香料と香辛料は次のように定義されている。

"香料"は、「食料品・化粧品などに芳香を添えるために加える物質」(広辞苑)

"香辛料"は、「辛味または香り・色などを飲食物に付与する調味料。ケシ・コショウ・ショウガ・サンショウ・シナモン・トウガラシの類。スパイス」(広辞苑)

しかし、{ 当時の北西ヨーロッパの人々は、”香料"はフランス語のèpiceの古い意味「遠い地方からもたらされる異国の物産」から、人の身体によい影響を与える貴重な「薬種」としてとらえた。香辛料だけでなく、白檀、乳香、じゃ香、などのように香りを利用するもの、砂糖や茶などにも薬効があると考えられ、これらを含めて”香料"と理解された。}(羽田「東インド会社とアジアの海」,P38<要約>)
西洋史学の文献では"香料”を使う場合が多いが、このレポートでは、原則として"香料"は使用せず、主としてスパイス類をさすと思われる場合は”香辛料”を使い、それ以外のものも含まれる場合はそれらの個別名称を併記する。なお、引用文では引用元の表現にしたがう。

貢納(こうのう)

世襲した農民保有地を耕作することを認めてもらう代わりにそこで収穫された作物の一部を納めるもの。(コトバンク〔旺文社世界史事典三訂版〕)

国民国家(英:nation-state)

{ 主として国民の単位にまとめられた民族を基礎として、近代、特に18~19世紀のヨーロッパに典型的に成立した統一国家。国民的一体性の自覚の上に確立。民族国家。}(広辞苑)

{ 国家内部の全住民をひとつのまとまった構成員(=「国民」)として統合することによって成り立つ国家。領域内の住民を国民単位に統合した国家そのものだけではなく、それを主権国家として成立する国家概念やそれを成り立たせるイデオロギーをも指している。ヨーロッパは一般に「国民国家」成立のモデル地域とされており、その先進国とされるのがイギリス、フランスであった。}(Wikipedia「国民国家」)

コサック

”カザーク”の項を参照

国家主義

国家を人間社会の中で第一義的に考え、その権威と意思とに絶対の優位を認める立場。全体主義的な傾向をもち、偏狭な民族主義・国粋主義と結びつきやすい。(広辞苑)

コミンテンルン(英: Comintern)

共産主義インターナショナル(Communist International)の略称。第3インターナショナル,第3インターとも呼ばれる。1919年3月にモスクワに創設され 1943年5月まで存続した各国共産主義政党の国際統一組織。第1インターナショナル(1864-76)、第2インターナショナル(1889-1914)の崩壊後、レーニンらが30カ国の共産主義諸政党あるいは革命的組織の代表50余名を集めて創設。第2インターナショナルに比べてはるかに強固な国際的団結と規律をもち、ソ連という社会主義国家を支柱とするにいたった。1943年、国内および国際情勢が複雑化し、各国共産党が著しく独立性を強めたために解散した。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

<さ~そ>

再版農奴制

16世紀以降、エルベ川より東の東部ドイツでは,農民の土地保有権が弱かったので,領主たちは農民から土地を取り上げて広大な直営地を形成するとともに,農民を身分的に不自由な農奴の地位に落とし(再版農奴制と呼ばれる)、それら農奴の賦役労働によって直営地で穀物生産を増加させて収入の増大を図った。こうして直営地で生産された穀物が国際的な商品として輸出されるようになるにつれ,農奴の賦役労働に基づく領主の直営農場はますます拡大した。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕を一部編集)

冊封体制(さくほうたいせい)

冊封とは、中国の皇帝が、その一族、臣下もしくは周辺諸国の君主に、王・侯などの爵位を与えて、藩国とすることである。周辺諸国が冊封体制に編入されると、その君主と中国皇帝との間には君臣関係が成立し、君主は皇帝に定期的に朝貢すること、要請に応じて出兵すること、などの義務を負い、皇帝はその国を保護することを保証する。冊封された国ではその国の法を施行することが認められ、その国の君主のみが中国の方を遵守する義務を負うことになる。
3世紀には邪馬台国の女王卑弥呼が倭王に封ぜられ、室町幕府の足利義満(在位1369-1395)も明から日本国王に冊封されたが、室町幕府の衰微とともにその関係は消滅した。(コトバンク〔日本大百科全書〕)

山岳派(ジャコバン派)(仏: Montagnards/Jacobins)

「ジャコバン・クラブ」の項を参照

三部会

フランスの中世末から絶対王権確立期までの身分制議会。聖職者・貴族・平民の三身分の代表者から構成され、全国三部会と地方三部会に分けられる。全国三部会は1615年以降は招集されず、1789年5月に再開され、フランス革命の導火線となった。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)
立法権はなく国王の諮問機関的な存在である。

三圃制(さんぽせい)

中世ヨーロッパで広く行われた農法。休閑地を含む輪作の一形式。村の全耕地が3つの耕圃に分割され、一つは休閑地、他の2つにはそれぞれ春播き(大麦、エンバクなど)と秋播き(小麦、ライムギなど)の穀物が植えられ、これらが順次繰り返された。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

資本主義(英:capitalism)

封建制下に現れ、産業革命によって確立した生産様式。商品生産が支配的な生産形態となっており、生産手段を所有する資本家階級が、自己の労働力以外に売るものをもたない労働者階級から労働力を商品として買い、それを使用して生産した剰余価値を利潤として手に入れる経済体制。(広辞苑)

社会主義(英:socialism)

資本主義の矛盾を批判し,これを克服して,新たな社会を建設しようとする思想と運動の総称。この思想は,資本主義とほぼ同時に生れたといえる。(中略) 資本主義が産業資本主義段階に入ると,サン=シモン,R.オーウェンらが出て,資本主義の矛盾が私有財産制にあることを指摘し,それを廃した平等社会を主張した。その後,19世紀なかばになると,マルクス,エンゲルスが出て,資本主義も過去の社会と同じように一歴史社会であり,労働者階級の力を媒介にして,社会主義に取って代られる社会であることを,唯物史観のもとに明らかにした。マルクスの『資本論』は,その経済学的根拠を証明しようとしたものである。なおマルクス主義において,社会主義という用語は狭義には生産手段の共有がみられるものの,なおも一定の社会的不平等の残存する段階をさして,共産主義の前段階を社会主義と位置づけることもある。その後,社会主義は,マルクス主義を主流に展開したが,ロシア革命以後,基本的にはレーニン主義と社会民主主義に分裂,現在にいたっている。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

ジャコバン・クラブ(仏: Club des Jacobins)

フランス革命期の政治結社。1789年パリのジャコバン修道院で「憲法友の会」として発足した。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)
革命の進展にともなって、下図のようにいくつかの分派に分かれていった。

図表 ジャコバンクラブの系譜

ジャコバンクラブの系譜

フイヤン派(仏: Feuillants)

ジャコバン派設立後は多数派を形成していたが、1791年6月の国王逃亡事件(ヴァレンヌ事件)をきっかけに国王の責任を追及する左派と議会と国王を共存させよとうする右派が対立、右派は1790年に脱退していた「89年クラブ」と合流してフイヤン・クラブ(フイヤン派)を結成した。フイヤン修道院を本部としたことからこの名がついた。
自由主義貴族と上層ブルジョアを代表し、1791年憲法の維持と王権擁護を目指した。1792年8月に王政が停止されると、フイヤン派議員の多くは逮捕されたり亡命を余儀なくされ、解散となった。(Wikipedia「ジャコバン派、同「フイヤン派」)

ジロンド派(仏: Girondins)

1791年10月の立法議会設立時に山岳派とともに民主派勢力を形成したが、ジロンド派が革命の終結を目指したのに対して山岳派は革命の貫徹を主張して対立が激化していった。1793年1月の国王処刑後、ジロンド派の勢力は衰え、1793年6月山岳派により主要メンバーが排除され、ジロンド派は解消した。
大きな港湾都市の銀行家や大商人、商工業ブルジョアを支持基盤とした。指導者3名がフランスのジロンド県出身だっため、この名がついた。(Wikipedia「ジャコバン派」、同「ジロンド派」)

山岳派(ジャコバン派)(仏: Montagnards/Jacobins)

立法議会の最も高い位置に座ったことからこの名が付けられた。ジャコバン派もしくはモンターニュ派とも呼ばれる。主に中間層出身者、それもパリの出身者が多く、内部はさらに3つのグループに分かれた。エベール派(左派)は民衆運動との結合を重視、ダントン派(右派)はジロンド派残党や中間派議員との妥協を重視、ロベスピエール派はその中間的存在であった。1794年7月の「テルミドール9日」のクーデターでロベスピエールが処刑され、11月に解散した。(柴田「フランス史10講」,P129、Wikipedia「山岳派」)

重商主義(英:mercantilism)

主として 16世紀前半から 18世紀前半にかけてヨーロッパ各国に支配的にみられた経済政策とそれを裏づけた理論。初期資本主義時代を代表する経済思想。輸出超過による金銀の流入が国富の増大のために不可欠であり,この結果を得るために貿易の統制が必要であるとする貿易差額説を理論的中核とする。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

主権(英:sovereignty)

①その国家自身の意思によるほか、他国の支配に服さない統治権力。国家構成の要素で、最高・独立・絶対の権力。統治権。②国家の政治のあり方を最終的に決める権利。(広辞苑)
元来「至高性」をさす観念で,フランス国王の権力が,一方ではローマ皇帝および教皇に対し,他方では封建領主に対し独立最高の存在であることを示すものとして登場した。… 今日、主権観念として重要と思われるのは次の3つである。 ① 国権ないし統治権自体の意味での主権。… ここでは国民および国土を支配する権利というほどの意味である。 ② 国権の属性としての最高独立性の意味での主権。 ③ 国家統治のあり方を終局的に決定しうる権威ないし力の意味での主権。国民主権とか君主主権とかいわれる場合の主権観念がそれである。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕「主権」<要約>)
現在の日本国憲法では、第1条で「…主権の存する日本国民 …」と「主権」を使っているが、明治憲法では、同様の意味で「統治権」という用語を使っていた。

主権国家(英:sovereign nation)

他国に従属せず、自らの国内・国際問題を独立して決定できる国。国際法の基本主体。(広辞苑)
主権国家とは、明確な国境でその支配領域を囲い込み、外部に対しては君主が国家を代表し、自らより上位の権力の存在を認めない主体である。(羽田正「東インド会社とアジアの海」,P367)

贖宥状(しょくゆうじょう)

教会に貢献した人にたいして、犯した罪にたいする現世的処罰を免除する証書。中世末期には教皇庁の財政をまかなうためにドイツを中心として広く販売され、人々の反感をかった。(小泉徹「宗教改革とその時代」,P5)

諸侯(しょこう)

封建時代のヨーロッパで一定の支配地と臣下をもった領主階級。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)

私掠船(しりゃくせん)

正規の艦隊には属さないが,国家の認可・命令・監督下に海軍旗を掲げ,他国の商船捕獲や時に軍艦襲撃を行う武装船。16-17世紀のヨーロッパ諸国にその例が多い。特に有名なものはエリザベス1世治下の英国におけるドレーク,ホーキンズらの私掠船隊である。彼らは女王から船を貸与され,その命令によりスペイン船を襲撃し,西インド諸島やパナマ地峡のスペイン植民地にまで遠征し,時にはスペイン本国の港を攻撃した。他に仏・露・オランダなどでも同様の私掠船隊があった。しかし1856年クリミア戦争平和処理のパリ会議で採択されたパリ宣言により禁止が決定された。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)
「私掠船」とは洋上で別の船を襲ってその船の積み荷を掠奪する船のことをいう。海賊船と変わらない。ただし、その掠奪行為をその船が属する国の王や政府が公認している点が異なる。(羽田正「東インド会社とアジアの海」,P76)

ジロンド派(仏: Girondins)

「ジャコバン・クラブ」の項を参照

ジンゴイズム(英: Jingoism)

好戦的愛国主義、狂信的対外強硬主義などと呼ばれる。露土戦争(1877-78)のイギリスの対ロシア強硬策をうたった俗歌の文句に由来する。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

絶対王政

16~18世紀,封建制国家から近代国家への過渡期にヨーロッパに現れた政治形態。国王は中央集権的統治のための官僚と直属の常備軍を支柱とし,弱体化した貴族階級と資本の本源的蓄積期にあるため未発達な市民階級とを押さえ,無制約の権力を振るった。多くの場合,王権神授説を援用して王権を強化し,重商主義を経済理論とした。 (コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

全体主義

個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想および体制。(広辞苑)

ソヴィエト

ロシア革命時のロシア帝国において、社会主義者の働きかけもありながら、主として自然発生的に形成された労働者・農民・兵士の評議会(理事会)。もしくはそれらの(建前ないし名目上の)後継組織であるソビエト連邦の議会。ラテン文字表記や英語では「Soviet」が一般的である。日本語のカタカナ表記としては「ソビエト」や「ソヴィエト」が比較的よく用いられるが、古い資料などでは「ソヴェト」,「ソヴェート」という表記もある。(Wikipedia「ソビエト」)

全体主義

個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想および体制。(広辞苑)

<た~と>

ターイファ(タイファ)(西:Taifa)

かつてイベリア半島に存在したイスラム教諸王国およびその君主を指す。アラビア語で「分立している集団」 「部族集団」などを意味する。(Wikipedia「タイファ」)
後ウマイヤ朝滅亡後にイベリア半島に分立したイスラムの小王国をさす。

大陸封鎖令

1806年、フランス皇帝ナポレオン1世が、トラファルガー沖の海戦に敗れた報復としてヨーロッパ大陸諸国と英国との通商断絶を図って出した勅令。ヨーロッパ諸国の経済を窮迫させ、ナポレオンの没落を早めた。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)
なお、フランスに対抗してイギリスによるフランスへの逆封鎖も行われている。

中世

時代区分の一つ。この概念はヨーロッパ史において,ルネサンス期に成立し,古典文化の時代と古典文化の復活した時代との中間を意味した。中世とは封建時代を意味し,今日では,普通4~5世紀から 15世紀頃までの時代をいう。日本史では,ヨーロッパの中世の概念を受入れ,普通,鎌倉時代から戦国時代までを中世としており,封建時代即中世という習慣は固定していない。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

本レポートでは、柴田三千雄氏の下記の定義にしたがう。(柴田三千雄「フランス史10講」,P25)

中世前期: 6-10世紀、中世中期: 11-13世紀、中世後期: 14-15世紀

帝国(英:empire)

皇帝の統治する国家(広辞苑)
帝国とは、その支配領域が広大であったり、支配圏が拡大傾向を示す政治体である。帝国はその領域内に民族的・文化的に多様な人々を含むが、それを構成する各部分は、互いに平等な関係で結びついているわけではなく、帝国の中心に位置する部分は他の部分に対して支配的な立場に立つ。こうした中心・周縁の存在と、その間の支配・被支配関係が、帝国の基本構造をなす。(木畑洋一「20世紀の歴史」,P17)

帝国主義(英:Imperialism)

軍事上・経済上、他国または後進の民族を征服して大国家を建設しようとする傾向(広辞苑)
一般的にはある国家が権威を背景とし,国境外の人々に対して支配権を及ぼそうとする膨張主義的政策をいう。19世紀後半から使われた用語であるが,歴史的現象としては,古代中国の帝国,… エジプト王朝,アレクサンドロス大王の野望,ローマ帝国などにもその傾向がみられる。15~18世紀の西欧諸国によるアジア、インド、アメリカでの領土獲得や19世紀後半から激化した植民地政策は帝国主義的な支配といえる。しかし理論的には古代から現代にいたるまで多くの学説があり,一致した見解はない。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

トーリー/トーリ党(英:Tory Party)

かつて存在したイギリスの政党。現在の保守党の前身にあたる。チャールズ2世の時代の1678年から1681年にかけての王位継承問題でカトリックであったチャールズ2世の弟ヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)の即位を認める立場をとった人達をさして「Tory」(アイルランドにおけるイングランド人やプロテスタントを狙った強盗)と言ったのが始まりである。(Wikipedia「トーリー党」)

英国の政党。17世紀後半に成立。議会の権利を主張したホイッグ党に対して、王権や国教会を擁護して貴族・地主・聖職者の支持を受けた。1832年の選挙法改正以後、保守党と改称。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)

等族(とうぞく)

貴族、聖職者、市民の代表者など、身分制議会に出席できる権利を持つ者を等族という。身分制議会は等族たちの権利を守ることが主たる目的で、租税・軍事・外交政策などの承認権を持つ一方で、王権を中心とした共同体を創設することにもなった。このような身分制に基づく議会主義をとる国家を等族国家という。フランスの三部会やドイツの帝国議会、イギリスの議会などが代表事例である。(Wikipedia「等族国家」などより編集)

都市国家

都市それ自体が政治的に独立し一個の国家を形成しているもの。古代のエジプト・メソポタミア・インド・中国に存在した。古代ギリシアの諸都市いわゆるポリスも、中世末期の自由都市も、その一種。(広辞苑)

<な~の>

ナショナリズム(英:nationalism)

民族,国家に対する個人の世俗的忠誠心を内容とする感情もしくはイデオロギー。普通,民族主義と訳されるが,国民主義,国家主義あるいは国粋主義と訳されることもある。しかしこれらの訳語はいずれもナショナリズムの概念を十分に表現しているとはいえない。ナショナリズムの概念が多義的であるのは,ネーション(民族,国民)が、歴史上きわめて多様な形態をたどって生成,発展してきたことに起因している。 <中略> ナショナリズムはこうした諸国の独立をもたらす解放的イデオロギーではあるが,民族紛争と戦争の拡大をもたらす危険も大きい。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

農奴(英:serf)

封建社会の生産労働の基本的要素で、一生、領主に隷属し、領主から貸与された土地を耕作・収益し、領主への賦役・貢租の義務を負う農民。逃亡・転住・転業は厳禁され、身分的には強い束縛を受けていた。ヨーロッパ中世の封建社会に典型的。(広辞苑)

農奴は荘園領主から土地のある小さな家を借り、農産物、家賃などの支払いのほか、領主の畑で作業する義務を負っており、領主の許可なしにそこを離れることはできなかった。ただ、あいた時間は、自分たちの土地を耕作することができ、自らの財産を保持することもできた。
農奴契約は一方向の搾取関係ではなく、荘園領主が食料と安全を提供し、土地へのアクセスを保証すると同時に強盗の略奪から作物を守る意味もあった。(Wikipedia「農奴制」)

ノース人

ノース人は、北欧全体に広がった古代スカンディナヴィアの人々(主にノルウェー人)で、ヴァイキングにも含まれる。(Wikipedia「ノース人」)

ノビレス(英:nobiles)

共和政ローマにおける支配者階級を構成した貴族階層。従来の貴族階層パトリキと政治的発言力を強めた有力平民(プレブス)家族をあわせて構成された世襲貴族階級。日本語では、新貴族、平民貴族などと訳される。(Wikipedia「ノビレス」)

<は~ほ>

ファシズム(英: fascism)

①狭義には、イタリアのファシスト党の運動、並びに同党が権力を握っていた時期の政治的理念およびその体制。

②広義には、①と共通の本質をもつ傾向・運動・支配体制。第一次大戦後、ヨーロッパに始まり世界各地で出現(イタリア・ドイツ・日本・スペイン・南米諸国・東欧諸国など)。全体主義的あるいは権威主義的で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の極度の抑圧、対外的には侵略政策をとることを特色とし、合理的な思想体系を持たず、もっぱら感情に訴えて国粋的思想を宣伝する。(広辞苑)

撥土板(はつどばん)

種まきや苗の植え付けに備えて土壌を耕起する農具である犂(すき、英語ではプラウPlough/Plow)の部品のひとつで、土を掘り起こしたり破砕したりする板。(Wikipedia「プラウ」など)

フイヤン派(仏: Feuillants)

「ジャコバン・クラブ」の項を参照

賦役(ふえき)(英: labour service)

君主や領主への農民の負担が,現物や貨幣の支払によるのではなく,生の労働の形で提供される場合,これを賦役という。前近代のヨーロッパの社会に広く存在するが,直接生産者の大多数が小経営を行う農民であった,中世の封建社会で典型的に現れ,領主制における主要な負担形態の一つとなる。封建領主による土地保有農民からの剰余労働収取を地代(封建地代)とする場合には,賦役は労働地代として,生産物地代,貨幣地代と並ぶ前資本制地代の主要な一形態とされる。(コトバンク〔世界大百科事典〕)

府主教(ふしゅきょう)

キリスト教正教の聖職者の位階のひとつで、カトリックの管区大司教又は首都大司教に相当する。ギリシァ系正教の場合、総主教-大主教-府主教-主教の序列になる。ロシアを含むスラヴ系正教の場合、総主教-府主教-大主教―主教の序列になる。 (Wikipedia「府主教」)

部族国家

未開社会における地域集団としての部族によって形成された国家。首長、会議、軍隊をそなえてはいたが、実際上は前政治的社会的形態であって、国家にはなりきっていない不完全国家である。(コトバンク〔ブリタニカ国際大百科事典〕)

ブルジョア/ブルジョアジー(仏:bourgeois/bourgeoisie)

元来の意味は中世ヨーロッパの都市で主として商工業に従事した市民。近代資本主義社会で、資本家階級に属する人。また、生産手段を有する人。(コトバンク〔精選版 日本語大辞典〕)

ブルジョアジーはブルジョアの集合名詞。ブルジョワ/ブルジョワジーともいう。

フランス史が専門の柴田三千雄氏は、上記コトバンクの定義を肯定した上で、次のように述べている。

{ ブルジョワというのは、イギリスでは「ミドル・クラス」という言い方をしている。18世紀の「ブルジョワ」とは民衆から抜け出して貴族に近づく上昇コースをたどっている中間層、平たく言えば平民のなかの上層部と考えていい。都市ブルジョワは、上層/中流/小ブルジョワに区分することができる。上層には金融業者、国際的な商業をいとなんでいる大商人、中流ブルジョワには国内向けで一定の規模を持つ商工業者、小ブルジョワは手工業の親方とか小売店の店主である。ほかにも、役人、弁護士、医者、教師、ジャーナリスト、などもブルジョワに含まれる。}(柴田「フランス革命」,P42-P48<要約>)

歴史学者には、"ブルジョ"を使う人が多いようだが、事典・辞書などはみな"ブルジョ"となっているので、本レポートでは"ブルジョ"を使用する。(2022/3/12)

ベルベル人

北アフリカに広く居住する先住民族。ベルベル語を話す。7世紀以降イスラム化、アラブ化が進んだ。ベルベルの名称はギリシャ語のバルバロイ(ギリシャ世界の外に住む文明化されていない人の意)に由来する。(コトバンク[デジタル大辞泉])

ホイッグ(ホウィッグ、ウィッグ)党(英:Whig Party)

かつて存在したイギリスの政党。のちの自由党及び自由民主党の前身にあたる。ホイッグ党の起こりは、イングランド王チャールズ2世の時代の1678年から1681年にかけての王位継承問題で、カトリックであったチャールズ2世の弟ヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)の即位に反対の立場をとった人達をさして"Whiggamore"と言ったのが始まりである。Whigはスコットランド 方言 の「馬を乗り回す」から来ていると見られる。(Wikipedia「ホイッグ党」)

1680年ごろ、都市の商工業者や中産階級を基盤に形成され、議会の権利や民権の尊重を主張、トーリー党と対立しつつ英国議会政治を発展させた。(コトバンク「デジタル大辞泉」)

法王(ローマ法王)

(ローマ)教皇と同じ。日本では従来、「法王」を使ってきたが、カトリック関係者は「教皇」を使っていた。2019年11月20日、日本国外務省は今後は「教皇」を使うと発表した。

封建制(英:feudalism)

封建社会の政治制度。領主が家臣に封土を給与し、代りに軍役の義務を課する主従関係を中核とする。ヨーロッパでは、カロリング朝初期に国家制度となり、11~13世紀が最盛期。国王・貴族・家臣・教会などの領主と、その支配下に入った農奴とを基本的階級とする。日本では、荘園制に胚胎(はいたい)し、鎌倉幕府の創立と共に発展、江戸時代には内容を変えたが外形は完備した。(広辞苑)

封土(ほうど)

西欧中世の封建君主が,家臣に封建的諸義務を履行させるための物的基礎として与えた恩貸物件。封,知行,レーンとも。土地が通例だが,そのほか官職,公権,収入を伴う権利,のちには定期金も含めるようになった。封土に対する家臣の権利は初め用益権に限られたが,次第に処分権にも及び,保有期間も初めは終身だったが10世紀ごろから世襲化。(コトバンク〔百科事典マイペディア〕)

ボリシェヴィキ(英:Bol'sheviki)

言葉の意味は「多数派」。1903年ロシア社会民主労働党内に生まれたレーニンの一派。マルトフ派との組織路線上の対立から生まれたが12年別党となり、10月革命後、ロシア共産党と改称。転じて、革命的左翼/共産主義者の意。(広辞苑)

<ま~も>

マジャール人

現在のハンガリー人の自称。原住地はウラル山脈からボルガ川流域地方で、9世紀末ごろ現在地に移り、定住。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)

ムデハル(西: mudéjar)

キリスト教徒によって再征服されたイスパニアに残留を許可されたイスラム教徒。また、キリスト教文化と融合して形成されたその建築様式。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)

メンシェヴィキ(英:Men’sheviki)

言葉の意味は「少数派」。ロシア社会民主労働党の右派。プレハーノフ・マルトフらが指導。1903年ボリシェヴィキと決裂。社会主義への道は議会制民主主義の実現を経ると主張。2月革命後、臨時政府の指導勢力となったが10月革命後は抑圧された。(広辞苑)

モンターニュ派(仏: Montagnards)

「ジャコバン・クラブ」の項を参照

<や~よ>

ユンカー(独:Junker)

もと「若い貴族」の意。ドイツ東エルベ地方の大農場を経営する領主貴族の呼称。プロイセンの上級軍人や高級官僚が多くこの階層から出た。保守的で自由主義的改革に反対し、ドイツ軍国主義の温床となった。(広辞苑)

<ら~ろ>

領邦国家

中世末期から近世にかけて、神聖ローマ帝国を構成した小国家群。皇帝権の弱体化に伴って諸侯が事実上独立して形成し、その数は300余に及んだ。(コトバンク〔日本大百科全書〕)

ルーシ(英: Rus')

ロシアの古名。人種的・民族的な概念としての部族の名称なのか,それとも部族連合体=同盟を呼んだのか,または一定の地域を指す地理的用語か、は意見が分かれる。(コトバンク〔世界大百科事典〕)

{ このルース(Rus)はギリシア語で「ノルマン人」、アラビア語で「スペイン、フランスにいるノルマン人」をさすことばなのである。つまり、「ロシア」とは語源的にいえば、「ノルマン人の国」ということになる。}(和田春樹編「ロシア史」,P3)

レコンキスタ(西:Reconquista)

レコンキスタは、スペイン語で「再征服」の意。8世紀初頭から1492年のグラナダ開城までの約800年間、イベリア半島で北のキリスト教スペインと南のアル・アンダルス(イスラム教スペイン)との間に展開された対立抗争をさし、国土回復戦争と訳される。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)

※ 「国土回復運動」とも呼ばれる。

レバント/レヴァント(英・仏:Levant)

東部地中海沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はないが、広義にはトルコ、シリア、レバノン、イスラエル、エジプトを含む地域。現代ではやや狭く、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル(およびパレスチナ自治区)を含む地域を指すことが多い。フランス語のルヴァン(Levant)は「太陽が上る」を意味する。(Wikipedia「レバント」)
レヴァント貿易とは東方貿易の意味であった。(コトバンク〔旺文社世界史事典〕)

<わ・他>

(未登録)