日本の歴史認識ヨーロッパが歩んだ道第1章 / 1.6 イベリア半島 / 1.6.1 レコンキスタ

1.6 イベリア半島

中世イベリア半島の歴史は、レコンキスタ(国土回復運動)の歴史といってよいだろう。7世紀に興ったイスラム勢力はあっという間に東地中海一帯と北アフリカを支配し、8世紀初頭にはイベリア半島の北部以外を支配下においた。キリスト教徒は、税金さえ払えば信仰の自由は保証されたが、社会的差別はあったのでイスラム教に宗派替えする人たちもたくさんいた。

イスラム勢力の内部分裂もあり、キリスト教勢はしだいにイスラム勢を追いつめて、13世紀初頭までには半島南部のグラナダ以外は回復した。回復した土地にいたイスラム教徒に対して、キリスト教徒はイスラム勢力と同じように信仰の自由を認め、キリスト教とイスラム教が融合したスペイン独自の文化が形成された。

 図表1.28 イベリア半島のレコンキスタ

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1.6.1 レコンキスタ

(1) イスラムの支配(5~8世紀)註161-1

西ゴート王国(5~8世紀)

西ゴート族は、ゲルマン諸部族のなかでも最も早くからローマ帝国に入り込んだ部族であり、415年にはローマと同盟を結んだうえで、イベリア半島に西ゴート王国を設立していた。西ローマ帝国滅亡後、そのままイベリア半島を支配するようになり、フランク王国と同様にキリスト教の異端とされたアリウス派から正統派への改宗(589年)を行ったほか、ゴート的伝統にローマ的伝統を組み込んだ西ゴート法典の制定や、文芸や美術の振興にも取り組んだ。

イスラムの支配(711年~)

661年に建国されたイスラム帝国のウマイヤ朝は、地中海沿岸地方を制覇し、711年ジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に侵入した。このころ西ゴート王国は王位をめぐる争いで混乱を極めており、イスラム側に寝返る勢力も少なくなかった。

イスラム勢力はわずか3年足らずのあいだにイベリア半島の主要都市のほぼすべてを征服した。彼らは、被征服民に対して寛容だった。一定額の人頭税さえ納めれば、身体と財産が保障されるばかりか、信教の自由も維持された。西ゴート王国で迫害されていたユダヤ人にとってイスラム勢力は歓迎すべき存在だった。

ジブラルタル海峡

ジブラルタル海峡 左の写真はジブラルタルからのぞむ北アフリカ。アフリカは目と鼻の先にある。右はジブラルタルにそびえる岩山で要塞の跡があり、現在はイギリス領になっている。

(2) レコンキスタのはじまり(8~10世紀)

後ウマイヤ朝(756~1031年)註161-2

イスラム勢力は内部分裂を起こし、750年ウマイヤ朝はアッバース朝にとって代わられるが、ウマイヤ朝の一族はイベリア半島に逃れて後ウマイヤ朝を建てる。後ウマイヤ朝下でイベリア半島は繁栄をきわめ、キリスト教からイスラム教に改宗する者(ムワッラド)が増加していく。しかし、ムワッラドと古くからのアラブ支配者層のあいだにある差別は解消されず、ムワッラドの不満が高まっていく。一方、ムワッラドの増加にともなって減少したキリスト教徒は危機感を募らせていく。

レコンキスタ開始(722年~)註161-3

718年、西ゴート族の貴族はイベリア半島北西部に逃れてアストゥリア王国を築き、722年イスラム軍と戦って勝利をおさめた。これをもってレコンキスタ(国土回復運動)の始まりとされる。

つづいて、732年、フランク王国の宮宰カール・マルテルはトゥール・ポアティエ(フランス南西部)間の戦いでイスラム勢力に勝利、カール大帝(在位768-814)は9世紀初頭にバルセロナ伯領を設置した。824年にはフランク人の支配に抵抗したバスク人の国ナバーラ王国が設立された。

9世紀末から10世紀にかけてアストゥリア王国は勢力を拡大し、レオン王国と名を変えて、西の最前線にはカスティーリャ伯領(カスティーリャ王国の前身)が設置された。その後も王位の分割継承などにより、11世紀初めにイベリア半島北部は、レオン、ナバーラ、カスティーリャ、アラゴンの4王国とカタルーニャ公領が並立することになる。

{ レコンキスタ理念はあくまでもカスティーリャ王国内で発展・継承されたイデオロギーであって、中世スペインのキリスト教諸国全体の悲願だったわけではない。アラゴン王国やナバーラ王国はカスティーリャとは異なる思惑を抱いていた。}(立石、内村編著「50章」,P72<要約>)

(3) レコンキスタの経緯(11~15世紀)

ターイファ(小王国分立)時代へ(1031年~)註161-4

10世紀後半までに後ウマイヤ朝は半島北部のキリスト教国との戦闘に勝利し、その支配を維持した。しかし、11世紀に入ると王朝は内乱状態となり,1031年滅亡した。イスラム勢力は各地に割拠するターイファ諸国(小王国)がキリスト教勢力とときには結びながら相争う時代に突入する。

1085年、カステイーリャ王アルフォンソ6世はこうしたターイファの一部を味方に引き込んで、西ゴート王国の首都だったトレドを奪還した。トレドにいたイスラム教徒たちは、そのままイスラム教の信者であることを保障された。

 図表1.29 1031年のイベリア半島

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ムラービト朝とムワッヒド朝(1085年~)註161-5

1056年北アフリカで建国したベルベル人※1のムラービト朝は、モロッコやガーナを支配下においていた。キリスト教諸国の攻勢をうけたイベリア半島のターイファ諸国は、ムラービト朝に支援を要請し、ムラービト朝もこれに応じてイベリア半島に渡り、アルフォンソ6世の軍に壊滅的打撃を与えた。1110年には南部イべリアの統一に成功したが、ムラービト朝は内部の反乱から1147年に滅亡し、代って同じベルベル人のムワッヒド朝がその後を継ぎ、イベリア半島のターイファもムワッヒド朝の支配下に入った。

※1 ベルベル人 北アフリカに住む先住民族。ベルベル語を話す。7世紀以降、イスラム化した。

決戦(1212年)註161-6

ムワッヒド朝とキリスト教勢力は一進一退を繰り返したが、ローマ教皇の呼びかけに応えて、ヨーロッパの騎士団からの援軍とカスティーリャ、アラゴン、ナバーラなどからなる連合軍が編成され、1212年イスラム連合軍とスペイン南部ナバス・デ・トロサにおいて激突した。戦いはキリスト教連合軍の勝利に終わり、ムワッヒド朝は衰退に向かった。

 図表1.30 1210年のイベリア半島

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終焉(13世紀半ば~1492年)註161-7

キリスト教軍はイベリア南西部のイスラム諸王国に侵攻し、13世紀半ばにはグラナダを除いてイスラム勢力はイベリア半島から駆逐された。グラナダもカスティーリャ王国への臣従を誓っており、この時点で実質的なレコンキスタは終了したことになる。グラナダはその後も存続したが、1492年、内乱をきっかけにカスティーリャ王国に攻め込まれて本拠アルハンブラ宮殿が陥落し、滅亡した。

 図表1.31 1474年のイベリア半島

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1.6.1項の主要参考文献

1.6.1項の註釈

註161-1 イスラムの支配

立石、内村編著「50章」,P33-P47

西ゴート王国の末期、庶民やユダヤ人などは圧政に苦しんでいた。

{ 【西ゴート王国は】8世紀に至ると王継承権をめぐって貴族間の党派争いに終始する末期症状を呈し始める。権力争いの余波を受けて、庶民は悲惨な生活に苦しみあえいでいた。… ユダヤ人は国王貴族やキリスト教聖職者からの迫害に苦しんでいた。庶民やユダヤ人のなかには暴政に耐えきれなくなってスペインを逃れ、対岸のイスラム領へ渡る人々も多数あった。}(岩根「物語」,Ps183-<要約>)

註161-2 後ウマイヤ朝

立石、内村編著「50章」,P52-P53

{ 後ウマイヤ朝治下のアンダルスは、社会経済的そして文化的な閉塞状況にあった同時代の西欧中世世界と比較するならば、圧倒的な先進地域といっても差し支えない。}(立石、内村編著「50章」,P52)

※アンダルス(アル・アンダルス): イベリア半島におけるイスラム支配地域を指す。

註161-3 レコンキスタ開始

立石、内村編著「50章」,P61-P65 Wikipedia「レコンキスタ」

{ 初めてイスラム軍を撃破した戦闘として722年のコバドンガの戦いが知られているが、その実はイスラムの守備隊を初めて撃退した程度の小競り合いにすぎなかった。しかしこの戦闘の逸話がいつしか神話のごとくに語り継がれ、キリスト教戦士の勇気を大いに鼓舞する結果となった。}(岩根「物語」,Ps454-)

註161-4 ターイファ(小王国分立)時代

立石、内村編著「50章」,P54-P55 Wikipedia「レコンキスタ」

註161-5 ムラービト朝とムワッヒド朝

岩根「物語」,Ps460 WIkipedia「レコンキスタ」

{ イスラム帝国諸侯の分裂と内紛に乗じたキリスト教軍は、主要な都市を確実に奪還していった。1236年には沿岸のコルドバを落とし、1238年にはバレンシアを奪取、そして1248年にはついにセビーリャもキリスト教軍の前に降伏開城するのである。}(岩根「物語」,Ps486-)

註161-6 決戦

立石、内村編著「50章」,P71-P74 Wikipedia「レコンキスタ」

註161-7 終焉

岩根「物語」,Ps557- Wikipedia「レコンキスタ」