日本の歴史認識ヨーロッパが歩んだ道第5章 / 5.2 世界恐慌から第2次大戦へ / 5.2.5 ヒトラーの思想

5.2.5 ヒトラーの思想

ヒトラーの思想の基盤になっているのは、アーリア人(≒ドイツ人)は優秀だ、という人種主義(レイシズム)であり、ヨーロッパ中に分散しているドイツ系民族を集約して生活空間を確保し、そこに「国民(国家)社会主義」(=ファシズム・全体主義)に基づく国を建設すべきである、というものである。

図表5.3(再掲) ナチス・ドイツの台頭

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(1) ヒトラーの野望註525-1

ヒトラーは、1925,27年に刊行した「わが闘争」でヨーロッパの大陸部全域を支配することを目標に掲げている。その要旨はおおよそ次のようなものである。

ドイツ民族は世界強国となることによってのみ将来を擁護できる。広大な領土を持っているのはイギリス、アメリカ、ロシア、中国、フランスであり、その意味でドイツは強国ではない。現在のドイツ領土以外にいるドイツ民族を収容し、「軍事的地理的な合目的性」を達成するためには、前記の国々に匹敵する広い領土が必要である。ナチス・ドイツはそれを東のロシアに求める。なぜならロシアはユダヤ人のボルシェヴィズム※1に引き渡されており、崩壊させなければならない存在になっているからである。

そして、ヨーロッパ内に2つの大陸強国があってはならない。つまり、フランスも粉砕しなければならない。ドイツはイギリス及びイタリアと同盟を結ぶことができる。

※1 マルクス主義の提唱者カール・マルクスがユダヤ人であることからこう言っていると思われる。

(2) ヒトラーの思想註525-2

歴史学者 石田勇次氏によれば、ヒトラーの政治思想のなかで重要な要素は次の8点である※2が、いずれもオリジナリティはなく、すべて他の学者などが主張しているものをかき集めたものだという。

A 人種主義(レイシズム)

① アーリア人種(≒ドイツ人)は、他のどの人種よりも優秀だとする思い込み。

② 歴史発展の原理は民族にあり、国家は民族の維持・強化のために役立たねばならない、という信念。

③ (ドイツ人の)民族共同体が拒絶すべきすべて(民主主義、議会主義、自由主義、個人主義、平和主義、マルクス主義など)にユダヤ人が関係している、という反ユダヤ妄想。

B 全体主義(ファシズム)

④ 経済は国家に従属しなければならないとする確信。

⑤ 議会主義は無責任体制を意味し、民族を全体として代表する一人の指導者の人格的責任において万事が決定されるべきだとする指導者原理。

⑥ 社会的、階級的な相違を超える統一体としての民族共同体を創造するという願望。

C その他

⑦ 強者は必ず弱者に勝利する、という社会ダーウィニズム的な発想。

⑧ マルクス主義は民族共同体から生命を葬り去る墓堀人であるという観念。

※2 これら8点は、石田勇治氏がドイツの政治学者クルト・ゾントハイマーが整理したものをもとに挙げているものである。(石田「ヒトラーとナチ・ドイツ」、P73) なお、ABC3グループへの分類は筆者による。

(3) 「わが闘争」にみるヒトラーの思想

ヒトラーの思想の基盤になっているのは、アーリア人(≒ドイツ人)※3は優秀だ、という人種主義(レイシズム)であり、そのドイツ人国家は「国民(国家)社会主義」(=ファシズム・全体主義)※4に基づいて構築すべきだというものである。ここでは、有名なヒトラーの著作『わが闘争』※5より、その思想のエッセンスを抜き出してみる。(引用は要約している場合もある)

※3 「アーリア人」は、ヨーロッパやペルシア、インドなどに住むインド・アーリア語を話す人種のことだが、ヒトラーは主として「ドイツ人」をこう呼んでいる。

※4 いわゆるナチ党の正式名称は、「国民(国家)社会主義ドイツ労働者党」Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei。 『わが闘争』では「国家社会主義」という言葉が頻繁に出てくる。なお、最近は「国民社会主義」と訳されることが多いようである。

※5 『わが闘争』は、ミュンヘン一揆(1923年)後、ヒトラーが禁固刑を受けている間に原稿を書いたと言われており、第1巻(上巻)が1925年、第2巻(下巻)が1927年に刊行された。ここで参照したのは次の翻訳本である。
 平野一郎・将積茂 訳「わが闘争」(上下・続 3冊合本版)、角川文庫,2016年2月5日(電子書籍)

闘争の目的は人種・民族の存立と発展

{ われわれが闘争すべき目的は、我が人種、我が民族の存立と増殖の確保、民族の子らの扶養、血の純潔の維持、祖国の自由と独立であり、またわが民族が万物の創造主から委託された使命を達成するまで、生育することができることを目的としている。}(ヒトラー「わが闘争」、P306)

人類の文化創造者はアーリア人種!

{ 人類を文化創造者、文化支持者、文化破壊者の3種類に分けるとすれば、第1のものの代表者として、おそらくアーリア人種だけが問題となるに違いなかろう。すべての人間の創造物の基礎や周壁はかれらによって作られており、ただ外面的な形や色だけが、個々の民族のその時々にもつ特徴によって、決定されているにすぎない。…
日本は多くの人々がそう思っているように、自分の文化にヨーロッパの技術をつけ加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ。実際生活の基礎は、たとえ、日本文化が … 生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。
ユダヤ人はどのような文化形成力ももっていない、… かれらの知性はけっして建設的に活動しないだろうし、かえって破壊的に働き、おそらくきわめてまれな場合にせいぜい人を刺激するくらいのものである。… ユダヤ人によって、人類のなにかある進歩がなされたということはない}(同上,P414-,P432)

混血により人種は劣化する!

{ 程度がまったく同じではない2つの生物を交配すれば、すべて結果は両方の親の程度の中間となって現れる。… 子供は両親の人種的に低い方よりは、なるほど高いかもしれぬが、しかし、より高いほうの親ほど高くはならない。 …
その住民のほとんど大部分が劣等な有色民族とはほとんど混血したことないゲルマン的要素から成り立っている北アメリカは、主にロマン民族※6の移住民が、幾度となく広い範囲に渡って原住民と混血した中央アメリカや南アメリカと比べて、別種の人間性と文化をもっている。このひとつの例でさえも、人種混血の影響をきわめて明白に認識させるのだ。}(同上,P406,P408)

※6 ロマンス語・ラテン語系(フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語など)を話す民族のこと。

国家の目的は人種の維持と育成

{ 国家の目的は同種の人間の共同社会を肉体的および精神的に維持し、助成することにある。…
国家としてドイツ国はこの民族の中から人種的原要素として最も価値ある部分を集め、維持するばかりでなく、徐々に確実に支配的地位に高めるように導いていく課題をもったすべてのドイツ人を包含すべきである。}(同上,P600,P606)

民族のために身を捧げよ!

{ 自分の民族を愛する者は、民族のために喜んで身を捧げる犠牲によってのみ、それを実証するのである。ただ利益からのみ発するような国民感情は存在しない。…}(同上,P645)

民主主義ではなく独裁制!

ヒトラーは、民主主義の基礎にある多数決は無責任体制になるだけだ、とした上で、次のように述べる。

{ 最良の憲法と国家形式は、民族共同体の最良の頭脳をもった人物を、最も自然に確実に、指導的重要性と指導的影響力をもった地位につけるものである。…
多数決はなく、ただ責任ある人物だけがある。… もちろん、すべての人々には、相談相手というものはある。だが決定は一人の人間だけがくだすのである。}(同上,P675-)

稚拙な組織管理

{ ヒトラーという独裁者は組織をまとめ、国家を運営することにほとんど関心を示さず、それゆえ互いに機能面で競合し合う類似の部門や省庁が、野放図に生み出されていった。それら相互のライバル関係、特に大管区指導者とその他のナチ党幹部、親衛隊とドイツ陸軍との内紛は、方針の首尾一貫性を阻害し、驚くほどの無駄を発生させた。…幹部たちは、総統閣下の単なる思い付きのような言葉尻を捉えたり、あるいは総統閣下の真意を勝手に斟酌して、それぞれに忠誠合戦を繰り広げ、他の関連機関に一切相談もなく、様々な計画を思い思いに立ち上げていったのだ。}(A.ビーヴァー「第2次世界大戦(上)」,P84)

(4) 民族共同体(フォルクスゲマインシャフト)註525-3

民族共同体とは、民族が一体感をもって連帯するという概念のことで、第1次大戦後のドイツに現れたが、ヒトラーはこれにナチ的思想を織り込み、国民統合のツールとして活用した。彼は下記のように、ワイマル共和国を引き合いに出して民族共同体の必要性を訴えた。

{ ワイマル共和国では、なぜ国民の分裂が生じたか。それは西欧的な自由主義、個人主義が利益政治・政党政治を生み、民族の一体性を砕き、国民の連帯を断ち切ったからだ。マルクス主義は「神聖な労働」を苦しみに変え、階級闘争を煽り、国民をたがいに反目させた。こうして弱体化したドイツに巣くって不当な利益を貪り、民族から生気を奪ったのがユダヤ人だ!}(石田「ヒトラーとナチ・ドイツ」、P215)

ナチの民族共同体の活動には、排除、序列化、平準化、宣伝と教化の4つの要素があった。

a)排除 … 共同体の成員は、ドイツ人の血をひくものだけであり、異民族は除外された。その筆頭がユダヤ人だった。当初、ユダヤ人は全員、ドイツ国外に追放する予定であったが、最終的にはホロコーストによる絶滅作戦になった。

b)序列化 … ドイツ人であっても、遺伝病患者、犯罪常習者、同性愛者、反社会的分子など「価値の低い者」は、共同体から排除され、不妊手術などによる出産抑制策がとられた。

c)平準化 … 旧来の労働組合は廃止され、頭脳労働者、肉体労働者だけでなく、経営者も含めた「ドイツ労働戦線」が編制され、階層間の格差の是正と業績主義が導入された。労働戦線には、「歓喜力行団」と呼ばれる娯楽(演劇、音楽会、スポーツ大会、旅行など)を提供する組織も設けられた。

d)宣伝と教化 … ナチ党は、職業団体(ナチ教員同盟など)、ヒトラー・ユーゲント(青少年団)、ナチ婦人団、などの付属組織によってナチズムの普及を図った。また、宣伝相ゲッペルスの下で、新聞・雑誌・ラジオなどマスメディアは統制され、ナチズムが宣伝される一方で、それに反する言論や出版は禁止された。


5.2.5項の主要参考文献

5.2.5項の註釈

註525-1 ヒトラーの野望_ヨーロッパ制覇

ヒトラー「わが闘争」,P933-P968

註525-2 ヒトラーの思想

石田「同上」,P72-P73

ヒトラーの思想については次のような整理もある。(若尾・井上「近代ドイツの歴史」,P197)

註525-3 民族共同体(フォルクスゲマインシャフト)

若尾・井上「近代ドイツの歴史」,P231-P237 石田「同上」,P214-P228

{ 余暇組織「喜びを力に」【歓喜力行団】を通じて、ドイツの労働者は割引切符による演劇・オペラ鑑賞から週末旅行、観光地での避暑滞在、はては専用客船による外国へのクルージングまで楽しむことができた … 低所得者や母子家庭のための福祉事業も欠けてはいなかった。ナチ的「民族共同体」の中に、「新時代の民主主義」を感じ取ったものがいたとしても不思議ではない。}(坂井「同上」,P2923-)