日本の歴史認識ヨーロッパが歩んだ道第4章 / 4.4 第1次世界大戦 / 4.4.3 アジア・アフリカの戦い

4.4.3 アジア・アフリカの戦い

第1次世界大戦はアジアやアフリカにあるドイツの植民地でも戦われた。

(1) 日本の参戦註443-1

イギリスからの参戦依頼(1914年8月)

イギリスは1914年8月7日、同盟国である日本に「シナ海でのドイツ武装巡洋艦の捜索と撃破」を要請した。日本政府は、これを対外膨張の絶好の機会と捉え、「ドイツの根拠地を東洋から一掃して日本の国際的地位を高めるために参戦する」と決定し、イギリスに通知した。この積極姿勢に不安を感じたイギリスは参戦依頼を取りそうとしたが、日本はそれを認めず、イギリスはやむなく参戦を認めることになった。

日本は8月15日、①ドイツ艦艇は日本海及びシナ海から即時退去又は武装解除すること、②膠州湾租借地の全部を中国に返還する目的で、9月15日までに無条件で日本に引き渡すこと、という最後通牒をドイツに送った。イギリスは8月17日、「日本の行動はドイツ占領地域以外には及ばないものとする」、アメリカは同19日に「膠州湾の中国への返還と中国の領土保全」を日本に申し入れた。

ドイツと開戦(1914年8月)

8月23日、日本はドイツに宣戦布告した。日本軍は9月初めに山東半島上陸作戦を開始し、ドイツ軍の抵抗を抑えて11月7日に青島を占領した。翌年1915年1月、日本は中国に「対華21カ条要求」※1をつきつけ、中国への侵略を始めることになる。

また、南太平洋に散在していたドイツ領諸島のうち、赤道より北にあるマーシャル、マリアナ、カロリン、パラオの島々をドイツ軍の抵抗らしい抵抗もないまま、10月14日までに占領した。なお、赤道より南のサモアはニュージーランドが、ドイツ領ニューギニアやビスマルク諸島はオーストラリアが占領した。

※1 「対華21カ条要求」は、山東や満州などにおける日本の権利のほか、日本人を政治・財政・軍事の顧問として招聘する要求が盛り込まれ、中国の反日感情を悪化させた。

(2) アフリカでの戦い註443-2

アフリカにあったドイツの植民地でも開戦と同時に英仏など連合国とドイツの間で戦闘が行われ、いずれも連合国側が勝利した。戦後のヴェルサイユ条約において、それぞれの地域で戦勝した国によって植民地は分割された。

・トーゴランド; 1914年8月12日、英仏とドイツの間で戦いが始まったが月末には英仏の勝利で終わった。

・カメルーン; 続いて同じ西アフリカのカメルーンで英仏軍とドイツ軍の戦闘が始まった。熱帯病などで多くの犠牲者が出るという状況下で決着がついたのは1916年2月だった。

・独領南西アフリカ(現ナミビア); 1914年9月に南アフリカ連邦とドイツの間で戦闘が始まり、1915年7月にドイツ軍が降伏して終わった。

・独領東アフリカ(現タンザニア); 1914年秋からイギリスのほか、南アフリカ連邦、ポルトガル、ベルギーも参加してドイツ軍と戦った。戦争は長引き、終わったのはヨーロッパでドイツ軍が降伏したあとの1918年11月25日であった。


コラム 塹壕生活

第1次世界大戦の特徴のひとつに塹壕戦がよくあげられるが、兵士たちの塹壕生活とはどんなものだったろうか。

一般的な戦闘方法は戦線によって異なり、塹壕戦が主体になったのは西部戦線やオスマンのガリポリ戦などで、東部戦線では機動戦、イタリア戦線では山岳戦が多かった。ここでは、西部戦線における兵士たちの塹壕生活をみてみよう。

塹壕戦で重要だったのは、塹壕そのものと鉄条網だった。突破されにくい鉄条網は、塹壕の防衛には極めて重要だった。突撃前の大砲撃も鉄条網の破壊が主たる目的だったし、戦車も鉄条網の破壊と塹壕の征圧が期待された。鉄条網は新規敷設だけでなく点検と修理が必要で、こうした作業は狙撃などの危険を避けてもっぱら夜間に行われたため、塹壕生活は昼夜が逆転する世界であった。それでも、この作業には危険が伴い、作業中の犠牲者は全犠牲者の半数を占めた。

西部戦線では防御に回ることが多かったドイツ軍の塹壕は、堅固で巧妙な構造になっていたが、フランス軍は安全な塹壕にすると兵士の攻撃精神を低下させるとの理由から脆弱な作りだった。どちらの塹壕も不潔で劣悪な環境であることには変わりなく、兵士たちはシラミやネズミに悩まされ、肺炎やインフルエンザ、あるいは恐怖や緊張の連続による精神的な病気も蔓延した。

一方で、最前線の部隊や兵士はかなりの頻度で交替していた。ドイツ軍の場合、前線への配置は4年余の大戦中平均して15カ月程度、イギリス軍は年間日数の15%が最前線への配置であった。兵士は休暇で郷里に帰ったり、労働者として軍需工場に戻されたりすることもあった。

(参考文献: 木村靖二「第一次世界大戦」,P159-P164)


4.4.3項の主要参考文献

4.4.3項の註釈

註443-1 日本の参戦

中山「同上」,Ps3703- 木畑「20世紀の歴史」,P72-P75 木村「同上」,P74

{ イギリスが望んだのは、イギリスの補完戦力としての戦争協力だったが、日本は中国における勢力拡大の足掛かりにしようとしたのである。イギリスはいったん日本への参戦依頼を取り消すことを決定したが、日本はイギリスに態度変更を求め、駐日イギリス大使も、イギリスが参戦を認めなくても日本は一方的に参戦するであろう、と本国に知らせた。その結果、イギリスは日本の参戦を認めた。}(木畑「同上」、P72-P73)

註443-2 アフリカでの戦い

木畑「同上」,P67-P71 Wikipedia「アフリカ戦線(第一次世界大戦)」