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ひとりごと2011年3月

 ここは私の独り言のページです。展覧会や映画の感想から、日頃思ったこと、感じたことを不定期的にアップしていきたいと思います。お付き合い下さい。



 3/28(月)『花粉症になって25年!』


 去年、一昨年はそれほど感じなかった花粉症だけど、今年は結構来てますね。
 昨日はビールを飲んだこともあって夜中に鼻が詰まって苦しくて起きてしまった。

 今でもはっきり覚えているけど、私は昭和61年(1986)3月9日に箱根の乙女峠でロケをして、杉林の中を1日中歩き、撮影を終えて下山したら、車の中で目が開かないほどの涙とかゆみに襲われた。そのころは花粉症という言葉はまだ知れ渡ってなく、何が原因かもわからなかったのを覚えている。思い出してみると、風が強くて山の中は黄色いほこりが舞っていた。それが杉花粉だったのは後になって知ったのだ。

 それから今日まで25年たったことになる。
     
 こんな私が使っている市販薬は『コルゲンコーワ鼻炎ジェルカプセル』。
 中味が液状だから飲んですぐ効果があらわれる。
 ただ、眠くなるので運転する人にはあまりおすすめできません。

     
 そして目薬は最近買ったロート製薬の『アルガードクリアブロック』で、目のかゆみやがとれます。それに、つけた感触がさらりとして清涼感があるのが気に入っている。

 ※上記はあくまでも個人の感想で効果を保証するものではありません。


3/11の東日本大地震から続く余震の後遺症から
揺れてないのに揺れてる感じがする
『地震酔い』というそうだ。

 3/25(金)『地震酔い』


  あれ、地震か?

  と思ったら、私の気のせいだった。

  3/11の東日本大震災以来、揺れているようなふらつきを感じることが多い。
  10日以上たっても横浜でも余震を感じることがあり(注)、そのため、不安心から
  ゆれてる錯覚が続いてるんだと思う。

  これを『地震酔い』と呼ぶそうだ。
  同じような症状をもつ人が首都圏でも多いそうだ。

  ネットで調べると、この『地震酔い』は、通常は数日で治まるが、余震の不安など
  強いストレスの中で症状が続くことがあるといわれ、深呼吸をしたり、お茶をゆっくり
  飲んだりしてリラックスを心がけるしか治す方法がないらしい。

  私は会社で、天井からヒモに重りを下げて簡単な地震計を作り、ビルが揺れてるのか
  自分なのか確かめるようにした。こうして少しでも不安心を取り除きたい。

             

  (注)
  今回の地震は余震の回数が多い上、長期化。気象庁によると、マグニチュード5.0以上の
  余震は、11日の本震から10日間で315回あるそうだ。これまで多いとされてきた1994年
  の北海道東方沖地震(M8.2)の98回をはるかに上回る。大抵は1週間で収まるが、10日
  以上たっても活発な状態が続くのは初めてのことらしい。


都内ではお米やティッシュ、ガソリンの買いだめで
スーパーに物がなくなっている。ここはぐっと我慢して、
『贅沢は敵だ』の精神を思い出そう。(って古い?)

 3/20(日)『震災から1週間…その時あなたは?』


 震災から1週間、この間、会う人会う人、最初の挨拶が「大丈夫でしたか?」ではじまる。

 私の知り合いもみな、それぞれに体験が違う。

 ■大和市の運転手Wさんは、
 その日、横浜スタジアムにオープン戦を見に来てて、試合の途中に地震に遭遇しプレーが中断した。スタンドも揺れたが、Yの字型の照明の鉄塔が大きく揺れて危険なので、アナウンスによって観客はグランドに降ろされた。しばせらく様子を見ていたが何度も余震が続いたため試合は中止になる。帰宅するにも電車がすべてストップしたために帰れず、夕方からしばらく関内で呑み、緊急避難場所に指定されたパシフィコ横浜に行って待つことにした。22時に相鉄線が運行再開し、深夜0時に小田急線が再開して、地震発生から9時間かかってようやく家にたどり着いたそうだ。
 大和駅でタクシーを待っていたら「小田急線が運行再開します!」とのアナウンスの声が聞こえてきたら、その声の主は大木市長だったそうです。

 ■船橋に住むカメラマンのMさんは、
 その時、都内のビルのエレベーターに乗っていたそうだ。エレベーターの揺がそれほど大きく感じなかったものの、近くの階で緊急停止して動かなくなり、階段で降りたそうだ。そこからが大変。電車がストップしているものだから、仕方なく東京から千葉県の船橋まで5時間かけて徒歩で帰ったそうだ。(後に帰宅困難者と名が付いた)

 ■ディレクターのMさんは、
 その日は仕事の打ち合わせで上野から急行で水戸に向かっていた。石岡駅を過ぎたところで電車が急ブレーキして止まり、その後、地震が来て、マジに転覆するかと思うぐらいの大揺れだったそうだ。しばらくたっても運行再開の目途がつかないため電車から降ろされ線路の上を徒歩で石岡駅までもどったそうだ。ところが、その後帰る足はなく、仕方なく近くの高校の体育館で着の身着のままで一泊したそうだ。まるで難民キャンプのようで寒かったらしい。
 翌日はバスで石岡駅から土浦に出たものの、そこからの足がなくて困っていたら、運良くレンタカーを借りて東京に向かう人の車に同乗させてもらい、何とか夕方には都内までもどって来れたそうだ。26時間かかったそうだ。

 ■関内の飲み屋のママSさんは、
 その日は予約していたヘアサロンにいて、めったにすることがない"まつ毛"のカールをしているところだった。
 ガチャガチャと店内のビンやガラスが鳴りはじめたかと思うと、突然ビルが大きく揺れだして店員が悲鳴を上げる始末。が、ママはまつ毛にカールしているため目が開けられなくて「何、何が起こったの!」と叫び、「目が開かない目が開かない!」ってパニックになったらしい。このまま店員に逃げられたらヤバイと思って、逃がさないようにひっしにサロンの人をつかんで離そうとしなかったそうだ。


  ・・・そういうみなさんはどうでした?

 


この度の大地震、津波により、亡くなられた方々の
ご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

 3/17(木)『ウエシマ作戦発動中!』


 私の弟家族が仙台に住んでいる。
 といっても山側なので津波の心配はない。

 地震があった当日に1度連絡が取れて家族が無事なことを知ってとりあえず安心した。
 でもそれ以来、電話がつながらず不安だった。

 昨日(16日)の朝にひさしぶりに連絡が取れて今の状況を聞くことができた。

 弟の家は仙台の山側にある富谷町で東北自動車道の泉インターチェンジの近くにある。大きな揺れはあったものの家は無事で、家具はみな耐震用金具やつっぱり棒をつけていたため倒れることもなかったようだ。でも、停電と断水で不便な日々を送っているらしい。

 2日後に電気は復旧したものの断水は今も続いているため、水をもらいに毎日、自転車で15分かけて支給所に通っているそうだ。もらった水は食事と飲料用で使い切ってしまうためトイレと風呂に不自由している。トイレは避難場所の仮設トイレを使い、風呂は連絡がとれた16日にやっと近隣の温浴施設が一般に開放され、4日ぶりに入れることで喜んでいた。ちょうど連絡が取れた16日の朝は風呂に入るため早朝6時から家族で並んでいたところだった。

 東京では被災地と関係ないのに、多くの人がお米やトイレットペーパー、ティッシュやカップラーメンなどの品物を買いだめをするためにスーパーの棚がガラガラになってしまった。商品は工場で生産しているそうなので商品がなくなることはない。まず、物が必要なのは被災地である。被災してない人は噂に振り回されず、買いだめをせずに節度ある対応をすることで被災地への協力をしてほしい。また、ガソリンスタンドではガソリンを確保するための自動車が長い列を作っている。


 ところで、ネットでは若い人たちが、電力不足による国を挙げての節電対策を『ヤシマ作戦発動中!』(エヴァンゲリオンから)と呼んでいるそうで、続いて今回の買いだめを規制するために『ウエシマ作戦発動中』というメールが流れているそうだ。これはダチョウ倶楽部の上島竜兵のネタから来ているもので、「どうぞどうぞ」というギャグから、買いだめなどをせず、資源、品物を譲り合おうということらしい。・・・その通りだ。(^_^)V☆

 『贅沢は敵だ』の精神を思い出そう。(って古い?)


東日本大震災の影響による電力不足のため
関東地方で『計画停電』が起こっている。でも、
やっていることは全然、計画的ではないけれど…。

 3/16(水)『福島原発事故…日本人を信じたい!』


 福島第一原子力発電所の事故が心配でたまらない。

 12日に1号機が、14日に3号機が水素爆発を起こし、15日、2号機の圧力抑制プールが損傷した恐れがでた。安全に停止していたはずの4号機でも火災が起きるし放射能漏れもあったらしい。

 核反応は停止しているのに余熱が止まらないなんて・・・
 まさか、このような事態に陥るとは。

 前回も書いたが、原子力安全・保安院による記者会見は情報が断片的でわかりにくく視聴者の不安をあおることばかりだった。これに対して菅総理も「テレビで(1号機の)爆発が放映されているのに首相官邸には1時間ぐらい連絡がなかった。いったいどうなっているんだ」と、東電の対策本部で声を荒らげたという。

  ・・・もっともだ。

 今回の地震と津波は想定外の規模とはいえ、原子力発電所の安全管理について考え直さねばならないだろう。

 一刻も早く沈静化してほしい。

 「わしゃ日本が好きじゃった。これからも日本を、日本人を信じたい!」(by田所博士「日本沈没」)


3号機爆発の瞬間(日テレで放送した映像)

11日に起きた東日本巨大地震。
私の弟家族が仙台に住んでいるが幸い無事だった。
祈ることしか出来ない自分がもどかしい。

 3/14(月)『原子力発電所の危機!』


 東日本大震災。(東北関東大震災)

 この休みは大震災のことが気になって絵に手がつかずテレビばかりを見ながら過ごしていた。日本だけでなくBBCやCNNjも見た。海外の報道は津波による震災もさることながら原子力発電所の危機に注目していた。日本テレビは福島原子力発電所1号機の爆発で建屋が吹き飛ぶ瞬間の映像を何度もくりかえし流していた。

 私は平成3年に、この福島第一原子力発電所のPRビデオを制作したことがある。その時はディレクターで、広報の方とシナリオの打合せで何度も現地を訪れ、ロケも1週間近く滞在して一般の見学者が立ち入ることが出来ないレベルまで入って撮影した経験がある。自分が関わったものだから今回の事態を他人事のように思えない。(_ _;)

 制作したビデオは原子力発電所は安全だということを施設の見学者にPRするものだった。私もその時は担当者に話しを聞きながら、何重もの安全対策が施されているため安全でクリーンなエネルギーのイメージを持っていた。

 しかし・・・、


 まさか、冷却装置が働かなくて放射能もれを起こすとは。(今のところ人体への影響は少ないが)

 私が言っても説得力ないが、今回の地震はまったくの想定外、予想を遙かに超えた地震と津波だったことが原因だと思う。

 ただ、原子力安全・保安院による記者会見は、爆発が起きているのになかなかそれを認めなかったり、事態の把握ができているのかどうか、とても頼りない印象を受けた。情報も断片的でわかりにくく視聴者の不安をあおることばかりである。むしろ、何かを隠しているようにさえ感じるのに怒りを感じることもあった。一刻を争う有事の際なんだから、すべてのことをつまびらかにして貰いたい。

 私の記憶によると、発電所では100人近い人が24時間体制で休みなく働いているはずだ。この最悪の事態に対して、おそらく現場の担当者は放射能という危険な環境の中で体を張って、命を懸けて努力していると思う。

 しかも原子炉格納容器に海水を入れて圧力容器を冷やすなんて、もう二度と使用できない、つまり廃炉を覚悟した決断に、仕方ないと思う一方で現場の人達の無念さも痛感している。

 家族を持つ作業員も多いだろうし、体を張って事態をくい止めようとする作業員を応援し、最悪の事態にならないよう祈りたい。



11日、東北から関東にかけて記録的な大地震が起きた。
こんなに大きくて振幅の長い地震は
生まれてはじめて。

 3/12(土)『東日本巨大地震発生!!』


 昨日11日(金)の午後2時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大のマグニチュード8.8(注)の地震が、つづいて気仙沼沖、茨城県沖と3箇所を震源とする巨大地震が起こり、東北の太平洋側は大津波によって壊滅的な打撃を受けた。ニュースでは、地震で建物が崩壊する様子や、津波で車や家が流され、千葉ではコンビナートのタンクが爆発炎上するなど悲惨な映像が流れ、NHKの報道によると、三陸海岸周辺では地盤が4m東に移動した上、1m近く沈んだそうだ。まるで日本沈没だ!

 「日本列島のあちこちで、地殻は縮むか割れるかだ!」(by田所博士「日本沈没」より)

 地震があった時、私は横浜の会社にいたのだが、その時の震度は5強!

 会社はビルの4階にあるため大きく揺れ、ビデオケースや本が棚から降ってきた。すぐさま会社の入り口のドアを開けながら、揺れがおさまるのを待っていたが、普段と違ってなかなかおさまらない。こんなに大きくて長いのは初めての経験だ。恐くて足が震えてしまった。

 先日ニュージーランドの地震で建物がつぶれた記憶も新しく、社員のひとりから公園に避難した方が良いと言われて横浜公園に行った。ここは広域避難場所に指定されてるため近所のビルから避難してきた人たちでいっぱいになった。そこから揺れるビルを見ながら余震がおさまるのをしばらくながめていた。

 昨晩はJRが全面運休し、東京で帰宅難民ができた。私も家に歩いて帰れる距離ではないので会社に泊まることにして、今朝、壁が崩落したビルの撮影をしてから帰宅した。私は映画会社に勤務してるので記録として残したかったからだ。

 自宅の部屋は大きなDVDラックや本棚が並んでるので全部倒れたかと心配したが、以外にも被害は少なく、本棚の上に飾ってあったおもちゃのロボット「フライデー」が床に落下して両腕がもげてしまったのと、知り合いのネコが大きな揺れに驚いてパニくって、おしっこをチビッてしまったことぐらいだった。(笑)

 それにしても、問題はdocomoから流れる『緊急地震速報』。
 この巨大地震が3回起こったというのに一度も鳴らなかったのだ!

 それだけでなく、長野と新潟の余震の時に急に鳴り出して脅かされ、そのうちの1回は「神奈川県で地震が発生」なんて流れたのに、横浜にいるのにいっこうに地震が起きない。・・・で、結局、何も来なかった。

 まったく脅かされるばかりで全然役にたたないヤツだ。プンプン


会社前の横浜公園は広域避難場所に指定
されてるため、人々が続々と集まってくる。


みんな携帯で家族や友人と安否の連絡をとり合ったり、
携帯テレビで放送を見ていた。


横浜スタジアムも避難場所として解放されていたため
このチャンスに新しい人工芝の感触を確かめに行った。


これが会社の近くで壁が崩落したビル。
赤い壁面がはがれ落ちている。

  マグニチュード8.8(注)→ その後、マグニチュード9.0に変更された。

  関連記事 2010.10/1『緊急地震速報、またも空振り』


コント55号の坂上二郎さんが亡くなられた。
子供の頃、よく見ていたので残念でならない。
ご冥福を祈ります。

 3/11(金)『うなぎと少年』


 3月というのに寒気が流れ込んでいて風が冷たい。
 月曜日は昼に雪が降り、晩もみぞれ混じりの雨が降っていた。

 夜の9時頃、湯豆腐と熱燗でほろ酔い気分で帰る途中、
 小学生の男の子がひとり、塾帰りかトボトボ歩いていた。

 同じ帰り道なので、その子の後を歩いていると、
 彼はうなぎ屋さんの前で立ち止まって、うなぎの水槽をじっと見はじめた。

 水槽には10匹ぐらいのうなぎが左向きに並んで口をパクパク開けている。

 この寒い中、半ズボン姿で傘を差した男の子は、そんなうなぎたちに手を振っていた。

 彼はうなぎたちと何を話していたんだろう。

 私は彼に気が付かれないよう、そっとその場を去った。


テレビドラマ「バーテンダー」を見ている。
30代の頃、ハマッていたカクテルが懐かしく思え、
ひさしぶりにBarでも行ってみようかな。

 3/5(土)『蜘蛛はじめました』


 フランス展にむけて新作「Une araignee(蜘蛛)」をはじめた。

 背景は「花魁」と同じく海綿スポンジを使った金色の鱗雲(うろこぐも)。

 今まで『アニメ塗り(注)』にこだわってきたが、今回はそれをヤメ。
 色は混色で作り、肌の影にも寒色系のブルーを入れて、つまり西洋絵画塗りにした。

 さて、どんな作品になるか、自分でも楽しみだ。

      

(注)『アニメ塗り』
   絵の具の混色を避けて、チューブから出した絵の具の原色を使って塗ること。
   しかも筆跡も残さないように均一なベタ塗りにする。自分で考えた塗り方。
   どうして『アニメ塗り』にこだわったかを説明すると長くなるので
   この話はいずれ、ひとりごとでくわしく書こうと思う。

  関連記事 1/27『新作エスキース「蜘蛛」完成』


ニュージーランドの大地震。
日本人28人が安否不明で現在も救出活動が
続いている。無事助かってほしい。


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ここに書かれている内容は徳富の個人的な感想によるものです。
特に悪意はありませんし下心もありませんので、なにとぞご了承下さい。


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