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ひとりごと2000年7月

 7/29(土)『草間弥生リトグラフ購入』


 生まれて初めて美術品を買いました。草間彌生のリトグラフです。

 ものは黄色地に黒の斑点の南瓜(かぼちゃ)。画面の左右に赤地に白い水玉の生地が付いている。しかも真っ赤な額縁に入ってるんです。そのキッチュな感じが気に入って衝動買いしました。

 私は絵が好きでいっぱい飾っているけれど、みんなポスターとか印刷のたぐいなんです。画廊で買ったプロのリトグラフは初めて、ちなみに38/100です。今、部屋の一番いい場所に飾って毎朝拝んでます。

 好きな画家の作品を所有しているって心が落ち着くというか胸が熱くなると言うか、充実感を感じるんですね。コレクターが高い金を出して買う気持ちがよくわかりました。この満足感はクセになります。

 買う人の気持ちを実感したものだから、この満足感を持っていただけるような作品を描かないといけないですね。私の絵にもそんなことを感じてもれえる方が現れてくれるのでしょうか?



 7/23(日)『レンブラント、フェルメールとその時代展(上野)』


 最近各地でフェルメール展が開かれている。
 先日、私は上野で行われている「レンブラント、フェルメールとその時代展」を観た。

 はじめに言っておくとフェルメールの作品は「恋文」の1点だけ、あとはレンブラントと同時代のオランダ美術の作品郡だ。フェルメールを期待していた私は少々がっかりした。

 さて、フェルメールの第一印象は、思ったより色彩が鮮やかで明るかったことです。フェルメールの絵は画集で見ている限り、影の部分がドーンと暗く、窓から差し込む光がかもしだす明暗のコントラストとが好きだった。ところがコントラストが高いと思っていたのは印刷のせいで、実物の絵は明暗の差は少ない。僕のイメージを実現するには、実物を見るときに片目をつぶり、なおかつ薄目で見るとイメージに近い(何も印象の方が大事とは言わないが)。けれど画面の構図や空気感は他の画家を圧倒していてすばらしかった。

 フェルメールの作品は少なかったけど、同時代の画家を勉強するにはよかった。フランス・ハルスの肖像画も見ることができたし、レンブラントはさすがと唸ってしまうような描写力で、描かれた顔のしわに人生のひだを感じることができた。

 これから鑑賞に行く方に言いたいのは、フェルメールの作品は「恋文」の1点だけだと言うこと(結構、こだわっている)、それと『常設展』を見ることをオススメします。「フェルメールとその時代展」のチケットで見ることができるので、是非ご覧になって下さい。

 常設展では、ロダンの彫刻の数々と、近代の画家、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ルオー、それに私の好きなロセッティとモローの「ピエタ」があります。しかも、今は北の丸公園(竹橋)の東京国立近代美術館の増改築のために所蔵品の一部が公開しているのです。ここには20世紀前半の前衛絵画、ルソー、エルンスト、ミロ、レジェの作品があります。常設展は作品数が多く、しかも館内は涼しくてお客さんはガラガラ。ゆったりと鑑賞できます。3つの展覧会が1つのチケットで見ることができ、今回は満足でした。

 「レンブラント、フェルメールとその時代展」-アムステルダム国立美術館所蔵-
  場所 国立西洋美術館(上野公園) 期間 7/4 〜 9/24
  東京国立近代美術館所蔵 「20世紀前半のョーロッパ前衛絵画」(同上・常設展)



 7/16(日)『中川幸夫・花の死』


 中川幸夫氏について私は多くを知らない。ただ衝撃を受けたのは「花坊主」というカーネーションの花びらを数百枚も詰め込んだガラス壺を白い和紙の上に逆さに置き、真っ赤な花液が和紙の上に流れ出てくる作品、その写真を見たことがあるだけです。

 常々私が思っているのは、より高度な芸術は、観た人の想像力が介在できる作品だと思っている。観客の想像力が加わることで、その作品は作者の意図を増大させ感動できるのだ。

 生け花(フラワーアレンジメントも)の多くは、素材となる花(植物)を作者がトリミングし、花器の上に構成することで作者の美的演出がほどこされる。つまり、そこには完成された作品として成立し、見た目の美しさの、それ以上でもそれ以下にもならないような気がする。(それはそれで好きだが)

 しかして中川氏の作品はあきらかにそれらとは違っている。カーネーションの壺から流れ出た液体は観る人に『血』を連想させる。中川作品にはそれそのものの美しさだけでなく、観客の想像力の介在がなくてはならないのだ。だから実物をこの目で見ない私にもその感動は伝わるのだ。

 昨日、私が観に行ったのは銀座で行われている瀧口修造氏へのオマージュ展である。会場には瀧口氏のゆかりのある4本のオリーブの木がゴロンと重なっており、雲間から差し込む陽のようにスポットライトが木を照らしている。
 今回はカーネーションの壺のような緊迫した雰囲気はなかったが、会場のオリーブの木は、期間中、水を補給されないため次第に枯れていき、葉がポロポロと床に落ちている。我々は木々が死んでいく様を鑑賞することになるのだ。静寂した会場の中、枯れて朽ちていく葉を見ていると何やらもの悲しくなってきた。というか、死んでいく植物を見守るのが辛かった。

 行った日には中川先生もいらしてて、背中を丸めて会場の床に座り込んでいた。偶然、私はその様子を枯れていくオリーブ越しに見たのだが、その姿はまるで雑木林の中にひっそりとたたずむお地蔵さんの様だった。

 第20回オマージュ瀧口修造展「中川幸夫 献花 オリーブ」6/30-7/23
   会場 ザ・ギンザアートスペース

 なお銀座1丁目のギャラリー コヤナギでは中川幸夫の写真展が行われている。



 7/10(月)『草間弥生版画展』


 原宿のせ・らーるで草間弥生版画展を観た。草間さんはご存じの通り子供の頃から物体のまわりにオーロラが見え、植物や動物の言葉が聞こえたそうで、60年代後半にはアメリカでヌードパフォーマンスをしてハプニングの母、アバンギャルドの女王となった人である。

 草間さんの版画って、黒と赤、黒と黄色など2色の水玉模様のカボチャが有名である。つまり地味な版画が多い。ところがだ、今日せ・らーるで観たのは原色キラキラのカラフルな版画だった。もうビックリ! その題材もショートケーキや熱帯魚、人形のある静物など、およそ草間さんらしくないんだ。2匹の蝶の版画は派手な水玉模様の羽をしててサイケデリックな画風で楽しかった。私にとっては新鮮な驚きです。草間ファン必見!
 うーん、ほしいな。 



 7/1(土)『3つの公募展を観る』


 横浜市民ギャラリーで「現展」「創造展」「日曜画家展」を観た。
 私は絵を観るのが好きだが、中でも『公募展』に行くのが大好きだ。

 『公募展』というのは、会員の作品発表と同時に一般からも作品を公募して、その会員を増やしていこうという活動展のことです。
 公募展のお面白さというのは、一般の方の既成概念にとらわれない独創性あふれる作品に出会えることである。時々観ている者を引きつけて足を止めさせるパワーを感じる作品がある。しかも、それがおでんの屋台のように並列に並べられているのが良い。

 「神奈川創造展」では、黒い空間をドーンととって静寂に満ちた世界を表現した作品のとなりに情熱的な赤を配した日本版クリムトを思わせる作品が隣り合っていた。どちらも独特のエネルギーを持っててお面白かった。

 「神奈川現展2000」では、抽象画やポップな作品が多く、会場の真ん中のソファに座って作品群に囲まれていると、まるで万華鏡の中にいるような気持ちにさせられた。しばらく眺めていると、自分の心が浄化され、ウキウキと楽しくなって来た。

 これからも『公募展』を見続けようと思う。

 第24回「ヨコハマ日曜画家展」6/26-7/2
 第29回「神奈川創造展」   6/24-7/2
 第31回「神奈川現展2000」 6/26-7/2 
 上記いずれも関内駅前 横浜市民ギャラリーにて



 6/28(水)『踊るマハラジャにハマるじゃ』


 いやあ、今までバカにして見てなかったけど、やっとビデオで見ましたよ「ムトゥ〜踊るマハラジャ」。もうバカうけ!痛快丸かじり!

 私はミュージカル映画が好きだから違和感なくこの映画に入り込めた。

 けど、よりによって何であんなオッさん(ラジニカーント)がインドの大スターなの? ヒロインのミーナも太ってるしね。でも私は太ってる女性が好みだから、お目目パッチリで小太りのミーナに惚れた。それにミーナのインド風腰クネクネ踊りに目が釘付けです。

 ビュンビュンと唸る手ぬぐいアクション、ブルースリーもどきのカンフーアクション、ベンハーばりの馬車追跡シーン! 野生のヒツジはマジになって逃げ回るワ、アヒルは踊るワ、ひっちゃかめっちゃか。突っ込み始めるときりがないから、途中からは呆れて笑ってしまう「おバカミュージカル」だ。

 --全然、評論になってないか?



 6/25(日)『4月8日はお釈迦様の誕生日』


 4月8日はお釈迦様の誕生日。

 お釈迦様の誕生の由来って知ってますか? 先日聞いて大笑いした。

 紀元前566年4月8日、その日、釈迦国の国王夫人である摩耶夫人(まやぶにん)は、出産のため里帰りをする旅の途中だった。インドのルンビニー園で休憩し、池のほとりに咲いていた無憂樹(むゆうじゅ)の花を見つけ、ひと枝取ろうとした。その時である。彼女の右脇の下を破って、男の子(シッダールタ太子)が出産したのである。

 オイオイ、赤ちゃんは出てくる場所は「××××」って決まってるのに、何の前触れもなくですよ、突然、脇の下から出て来ちゃいけないよね。摩耶夫人も驚いちゃいますよ。(これが本当の『インド人もビックリ!』)

 赤ん坊(シッダールタ太子)は生まれてすぐ立ち上がり、ゆっくりとした足取りで7歩、歩いたそうだ。そして赤ん坊は立ち止まると、おもむろに右手をあげて空を指し、左手は地面を指してこう言った。「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」

 キャー! 生まれたての赤ん坊が7歩も歩いてそんなこと言うか! 産声(うぶごえ)がいきなり「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」かい。『天の上、天の下、我にまされる聖者はいない。』だと、このがき、生意気にも生まれた瞬間にこのような自己中心的なことを言うとは、もっての他だ。

 私は仏教に興味がある。仏教は人(シダールッダ太子)が悟りを開いたところに良さ(意味)があるので、生まれながらの奇跡なんて必要ないと思う。こんな逸話はかえって信用なくすからやめたほうがいい。




 6/24(土)『中田喜直さん亡くなる』


 中田喜直さんが5月3日に亡くなられた。中田喜直さんって誰? 新聞の記事を見た時そう思った。 中田喜直さんは童謡の作曲家で、主な作品に…、

 「夏の思いで」<夏が来〜れば思い出す 遙かな尾瀬 遠〜い空>
 
「ちいさい秋みつけた」<誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが見〜つけた>
 
「雪の降るまちを」<雪の降〜る街を 雪の降る街を〜 思い出だけが通り過ぎていく>

 その他に「めだかの学校」「あひるの行列」「かわいいかくれんぼ」などある。

 どう、歌える? 私は全部歌えるよ。

 上の曲を口ずさんでみると、中田さんの曲はどこか寂しい。特に「ちいさい秋みつけた」と「雪の降るまちを」が似ているのに驚いた。

 最近、『癒し系』が流行ってるけど、童謡って正に『癒し系』だね。心と体がリラックスする。今の子供たちってどうなんだろう、歌謡曲ばかり聴いてて、童謡って昔ほど歌われないのかな? ぜひ、子を持つ親は子供に情操教育として童謡を歌ってあげてほしい。



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ここに書かれている内容は徳富の個人的な感想によるものです。
特に悪意はありませんし、下心もありませんので、ご了承下さい。



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