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ひとりごと2005年12月

 ここは私の独り言のページです。展覧会や映画の感想から、日頃思ったこと、感じたことを不定期的にアップしていきたいと思います。お付き合い下さい。



 12/29『2005、年末マイ・ベスト10』


 今年もとうとう終わりが近づきました。もういくつ寝るとお正月。恒例の年忘れマイ・ベスト10です。

  1.初の海外進出、メルボルン展参加
  2.オーストラリア旅行
  3.銀座「青木画廊」にて個展
  4.プラズマテレビ購入
  5.映画「三丁目の夕日」に感動
  6.クーラー購入
  7.さよなら「パソコン通信」
  8.映画「スターウォーズEP3」完結
  9.横浜ベイ・佐々木投手引退
 10.功績「クールビズ」

 <次点>
 ・英語版サイト制作 ・オイオイ3止まったJR ・CDチェンジャー
 ・ホラーチャンネル開局 ・衆院選に行こう(小泉自民党圧勝)



 1.初メルボルン展参加 2.メルボルン旅行(4/17・4/22・4/27)
 まさか自分が海外での作品発表のチャンスを得るなんて考えてもみなかった。これもお声をかけて下さったマユミインターナショナルのみなさまのおかげです。一番の思い出はガラ・オープニングのパーティー。映画で見るようなドリンク飲み放題のパーティーで、セレブになった気分でした。たまには海外旅行もいいもんです。

 3.銀座「青木画廊」にて個展(9/5・9/13)
 青木画廊はシュルレアリスムの老舗で、あこがれの画廊で開けて光栄です。しかもオーナーが画家スワンベルグとお会いしたことがあるという話しを伺い、その時撮影した記念写真の複写を頂戴して感激でした。

 4.プラズマテレビ購入(6/13)
 前のテレビが壊れてしまった買い換えとして購入。一番重宝しているのは二画面テレビ。ニュースとスポーツを同時に見たり、メインで番組を見ながらサブ画面でDVDのダビング作業ができたりと超便利。

 5.映画「三丁目の夕日」(12/9・12/14・12/17)
 12月はすっかりこの作品にやられてしまったと言っても過言ではない。劇場に二度行き、その度に同じく感動する。飲み会での会話も影響から昭和の話しに華が咲いてしまう。はやくDVDにならないだろうか。それと続編(テレビ番組)をつくってほしい。

 今年は選挙で自民党(小泉首相)が圧勝し、レッサーパンダが立ったり、歩道の割れ目にど根性ダイコンがなったり、幼女殺人人事件が多発、耐震偽装建築のニュースなど、暗い話題が記憶に残る。さて、来年はどんな年となることやら、みな様、良いお年をお迎え下さい。

 関連記事 2003/12/29『年忘れマイ・ベスト10』

 ・今年ひとりごとに登場した事件
 JR
尼崎線の脱線事故、ライブドアのニッポン放送株購入問題、愛・地球博、AppleのiPod shuffle発売など


今月、休みらしい休みがなかったから
ひさびさの休日は病人のように布団の中で
1日寝て過ごしてしまった。


 12/25(日)『今年亡くなられた方々を偲ぶ』


 毎年恒例となってしまった偲ぶ会、今年も多くのスターが亡くなられました。

 ■小森和子さん
 「小森のおばちゃま」で親しまれてきた映画評論家の小森和子さん。ジェームス・ディーン(ディーンちゃん)について熱く語っていたお姿が記憶に残っています。テレビのお仕事に出演していただいたことが懐かしい思い出です。

 ■岡本喜八監督
 「肉弾」「独立愚連隊西へ」「暗黒街の顔役」「日本の一番長い日」など、日本映画の常識を越えて、どんな作品も娯楽・スポーツ・西部劇・ミュージカルのユーモアとダンディズムに仕立て、岡本ワールドをかましてくれた個性溢れる監督。この日本人離れした感覚とバイタリティあふれる映像が好きだったために新作が見られなくなるとはさびしいものです。そういえば「江分利満氏の優雅な生活」は録画したけど見てないな。

 ■ロバート・ワイズ監督
 映画「サウンド・オブ・ミュージック」や「ウエスト・サイド物語」などで有名なロバート・ワイズ監督。作品の完成度からすると、もっと名前を知られてもいいはずなのに以外と知名度がないのが残念。年末NHKBSで追悼放送があります。見てない方はご覧になって下さい。

 ■俳優の松村達雄さん
 寅さんの2代目のおいちゃん役ですが、私はそれよりも若尾文子出演の「純情篇」に登場した町医者(ちょっとスケベな医者)の方が印象的です。去年は3代目のおいちゃんを演じた下条正巳さんが亡くなっているので、二年続いておいちゃんが亡くなったことになりました。

 ■俳優の根上淳さん
 歌手のペギー葉山さんの夫で知られドラマや舞台の脇役で親しまれてきました。先日スカパーで「帰ってきたウルトラマン」の第33話「怪獣使いと少年」をやっていて、MATの隊長でありながら怪獣が町で暴れている最中に突然の虚無僧姿で現れツッ込みたくなりました。この人が登場すると画面に緊張感が走るものです。チリン

 ■俳優の藤木悠さん
 Gメン75、アイフル大作戦などドラマの脇役一筋の方でした。怒鳴るようにしゃべるセリフは藤木さん独特。刑事とともに学校の先生も多かったっけ。私のベストは「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」「海底軍艦」です。あっ「温泉人間!」

 ■作曲家の山下毅雄さん
 テレビドラマやCMの音楽を数多く作曲してきた山下毅雄さん。「大岡越前」「ジャイアント・ロボ」「悪魔くん」などジャンルが広いが、何たって「七人の刑事」「プレイガール」そして「旧ルパン三世」でしょう。ニヒルでカッコイイ音楽は、今にも先にもないと思います。

 ■プロレスラーの橋本真也さん。
 これほど唖然としたのは近年まれにみることでした。青天の霹靂というか信じられなかった。そのスタイルから破壊王といわれていたプロレスラーの橋本真也さん。引退試合を賭けた長州力との一戦は記憶に新しいです。

 ■東京コミックショウのショパン猪狩さん
 「東京コミックショウ」で”レッドスネーク・カモン”と笛の音に合わせて手人形のヘビが踊るショーで人気を集めていました。いつも同じネタなんだけど、なぜか見入ってしまう。ヘビ役はショパンさんの奥様です。

 他にも、歌手の本田美奈子さん、おばあさん女優の原ひさ子さん、指パッチンのポール牧さん、田園調布に家が建つの星ルイスさん、Wけんじの宮城けんじさん、江戸風俗評論家の杉浦日向子さん、漫画家の中尊寺ゆつこさん、元オリックスの仰木彬監督、角界のプリンス・相撲の二子山親方、映画監督の野村芳太郎さん、フォーク歌手の高田渡さん、劇作家のアーサー・ミラーなど…。

 ご冥福をお祈りいたします。

 関連記事 2004.12/25『今年亡くなられた方々を偲ぶ』


深夜の帰宅途中、道路脇にある物置のトタン屋根の上に
何かがポトンと落ちた。カラカラカラカラと転がる音。
どんぐりの実が落ちる音だった。懐かしい

 12/17(土)『耐震構造疑惑と職人気質』


 大工さんをはじめとして”手に食を持つ人”には「職人気質(しょくにんかたぎ)」を持っていた。自分の技能に絶対の自信を持ち、曲がった物は作らないというプライドと意地があり、そのため頑固で、出来ない事は出来ないときっぱりと断るような、ある意味、融通がきかない面を持っていた。でも、それがいい加減な仕事をしないという『規制』にもなっていて、敗戦した日本が戦後復興数十年にしてゼロからここまで築いてこられたのは、そういうプロ意識が大工さんに限らず誰の心にもあったからに違いない。

 姉歯(元一級建築士)氏が耐震構造偽装問題の主役として連日ワイドショーで取り上げられにぎわせているが、発覚した当初にTVのインタビューで、「(耐震偽造をしたら住んでいる人にとって)危険だと思いませんか?」という怒りの質問に、「そうですね、危険ですね」と、まるで他人事のように答えていたのには激怒した。いけしゃあしゃあとよくそんな言葉が言えるなと。

 先日見た映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の一場面だが、クリスマスの晩に、ひと芝居を終えた町医者の宅間(たくま)先生は、その成功に上機嫌で飲み屋で祝杯をあげていた。「先生もう一杯」と酒をつごうとするママの誘いにふと我に返り、「いや、やめておこう。これ以上飲んだら酔っぱらってしまう」と、飲むのをやめて帰るのである。映画ではこれだけで、なぜ酔っぱらってはいけないのか理由は出てこない。だが察するに、宅間先生は個人経営の町医者なため、いつ何時、急患が発生して電話がくるかもしれない。その時にはスクーターに乗って駆けつけないといけないだろうし、酔っぱらって診察しては先方に失礼だろうと。だから深酒はしないと心に誓っているんだろうと思う。それが町医者としての(宅間先生の)ポリシーなのだ。普通なら見逃してしまうような処にも当時の人が仕事に対する真面目で頑固な姿勢を持っていたのを感じたのだった。

 先の国会での証人喚問、マンションの依頼主、施工会社、設計者、それを検査する業者が集められたが、姉歯氏は非を認めてすべてを暴露するという反省の色を感じたが、他の人は、自分は知らない、関係ない、非がないことをくりかえす責任逃ればかりで、ニュースを見て腸(はらわた)が煮える思いだった。誰が悪いというのではなく関係者全員の責任だろうと思う。

 頑固にプライドを持って仕事をすること。最近、なかなかできない世の中になってしまったようだが、そこを踏ん張る度量がなくては、日本の未来は明るくない。



 12/14(水)『最近夕日見ましたか?「三丁目の夕日」の続き』


 最近、夕日を見たことがありますか?

 私はというと、思えばないなあ。というのも、仕事をしているといつの間にか暗くなり、外にいたとしてもビルが建っているめ地平線が見えなくなったせいもあると思う。東京では、夕日は意識して見ない限り見えなくなってしまった。

 15年ほど前、仕事で船に乗っていたことがある。1ヶ月間、陸地に寄らず船内生活をしていた(させれていた)。その時知ったのは、夕方になると作業員達が甲板やデッキに出てきて、水平線に沈む夕日を見ながらタバコを吸ったりビールを飲んだりしていたのだ。つられて私も缶ビールを飲みながら、今日も一日、無事終わったことを確認するために、また一日の疲れを癒すために、デッキの手すりにもたれながら揺れる水平線に沈む夕日を毎日ながめていたのである。

 別の仕事で沖縄へ行った時のこと、私が滞在したのは名護という田舎町。小さな商店街をはずれたところに住宅地があって、住宅といってもみな平屋で、家の前に側溝(水がきれいでスッポンが居た!)があるようなところだが。夕方6時頃ぶらついてると、台所から煙が出ていて夕飯の支度のにおいが漂っていた。はちまきをしたお父さんらしき人が縁台でビールを飲みながら夕日をながめていたのを今でも覚えている。そこに顔見知りの旦那が来て「お疲れ」などと挨拶をしていた。まるで昭和3、40年にタイムスリップしたように感じたものだ。

 思えば昔の生活って、晩、父親が帰ってきて、全員そろったところで夕食をとるのが普通だった。父親が食卓につくまで家族は食べられなかったような気がする。家族そろって晩飯が食べられるなんて現代の生活では希になってしまったんじゃないだろうか。その頃夕日を眺めるのは生活にとってひとつの儀式だったんじゃないだろうかと思う。夕日を見て癒されるのは、そんな儀式が古代から人間のDNAに記憶として残っているんじゃないだろうか。

 さて、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」だが、映画のラスト、土手の上から東京タワーを眺める鈴木一家のラストのセリフは、沈む夕日についてだった。

  母「今日もきれいね」
  父「当たり前じゃないか」
  一平「明日も、あさっても、50年後だって夕日はずっときれいだよ」
  母「そうね、そうだといいわね」
  父「そうだといいなぁ」

 一平くんの言った50年後とは、映画の舞台設定が昭和33年だから、数えると昭和83年、つまり現在のことを言っていたのである。母が言った「そうだといいわね」は、鈴木一家がその時見た夕日は現在の私たちの時代にもきれいに見えているだろうかと問いかけているのと同時に、夕日の美しさを素直に美しいと思える気持ちを持っているだろうか?ともとらえられる。

 タイトルの『ALWAYS』とは、どの時代にも、どんな人にも変わらず同じように輝いていて一日の終わりを告げる夕日のことであり、いつの時代であっても変わらない人の心(親子の絆)を持ち続けてますか?と問われているような。そんなメッセージを感じるのだった。

 みなさんには夕日はきれいに見えているでしょうか?


映画「ALWAYS・三丁目の夕日」を観ました。
ジーンと胸にしみる良い作品でした。時間がある方はぜひご覧
下さい。そして感想メールを送ってください、お返事します。

 12/9(金)『映画「ALWAYS 三丁目の夕日」』95点。(心の中では100点満点です。)


 「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た。
 恥ずかしいことに、まぶたが腫れるくらい泣かされてしまいました。(T_T)オロロ

 物語は、集団就職で青森から上京して来た六子(愛称ろくちゃん)が東京の夕日町三丁目にある「鈴木オート」という小さな自動車修理工場に居候するという話し。と、その向かいに建つ駄菓子屋に住む売れない小説家の茶川竜之介がひょんなことから他人の子を預かってしまうという話しの二本柱で進行する。原作はビックコミックオリジナルで連載されている西岸良平の漫画の映画化(アニメではなく実写です)。私は単行本を40巻ほど持っている西岸良平のファンでもある。だから今回の映画化は、楽しみでもあるけれど原作のイメージが損なわれるのを心配して不安もあった。ところがそんな不安をみごと払拭してくれた。

 この作品の魅力のひとつは、セットや小道具、最新のCGを駆使して再現された昭和30年代の映像である。映画の冒頭、子供たちが模型飛行機(もはやこの言葉すら懐かしい)を追っかけて路地から大通りへ出ると、カメラがクレーンアップして、二、三階程度の低い建物が並ぶ家並みの奧に建造中の東京タワーを望むカットは、その映像を見ているだけで感動してしまう。と同時に、自然と昭和時代へタイムスリップさせてくれる。CGって、その発生から未来や架空の物など、どちらかというと冷たい感じの無機質な表現に効果があると思っていたが、こうして過去の(失ってしまった)物の再現として利用価値があるとはじめて気付かされたのである。

 もうひとつは、西岸良平のもつほのぼのとした人情ドラマの快さ。エピソードのひとつひとつは誰もが人生の中で経験したことのあるものがベースとなっており、O・ヘンリの短編集のような心暖たまる話しがチェアリングのようにつながっている。ちょっとベタで鼻につくという人がいるかもしれないが、この作品はリアリズムで描く「泥の河」(小栗康平監督)のような作品ではなく、寅さん映画のようなファンタジーになっているから違和感はない。

 こうして昭和30年代の生活を観てみると、今と違って物はなく貧乏だったが、現代より明るく元気に生きていたような気がするのはなぜだろう。現代は欲しい物が手に入り、物は豊富で豊かな時代になったはずが、その影で多くの大切なものを失ってきたのではないだろうか。相次いで起きている女児殺害事件や偽造建築事件に腹を立てている人はぜひこの映画を見て下さい。昔は街角には必ず「たばこ屋」があって、そこにはおばあちゃんが居て、通りを駆け抜ける子供たちを見ていたし、悪いことをすれば他人が子供を叱ることもあった。近年、面倒だと思って避けてきた近所付き合いなど、環境が変わることで人々の心も変わってしまったんではないだろうか。現代が失ってしまった人間関係をもう一度見直すのにいい機会を与えてくれた作品だと思う。
 それともうひとつ、当時はどの家庭もみな貧乏だった(コロッケがご馳走だったんだから)。映画には出てこなかったが、「パパは何でも知っている」などの外国のTVドラマを見てあこがれ、いつかは自分たちの暮らしも良くなるだろうと、きっと「明るい未来」がやってくると信じて生きていたような気がする。それが自然と前向きに生きることにつながったのではないだろうか。新しい時代の幕開け、その未来の象徴が今回の「東京タワー」だと思う。高齢化社会、年金問題、未来に不安ばかりを感じてしまう現代、これでは暮らしに活気もなくなってしまうものだ。

 95点。(心の中では100点満点です。)
 六ちゃんを演じた堀北真希がいい。吉永小百合の若い頃を思わせ、まっすぐに素直に生きている感じが出て好感が持てる。それから子役たち、小津安二郎監督作品に登場する子役のように、ひさびさに子供らしい子供の演技を見せてくれた。茶川竜之介役の吉岡秀隆は原作の設定よりも若いのでどうかなと心配したが、彼独特の「頼りない親近感」とコミカルな演技がこの作品にマッチしていたと思う。 最近の映画は感動や迫力はあるんだけど、なぜか映画館を出たとたんに内容を忘れてしまうものが多い。だがこの作品は違う。見終わって1週間たっても数々の場面を覚えているし、もう一度見たくなり、友達や家族にまで進めたくなる近年めずらしい作品だと思う。

 つづく。(まだまだ書きたいことがいっぱいあるので)



 12/3(土)『横浜トリエンナーレ2005』

 現代アートの国際展、第2回「横浜トリエンナーレ2005」に行ってきました。

 ”トリエンナーレ”とは3年に一度開かれるものを言う(ちなみに2年に一度はビエンナーレ)、今回は前回とは随分変わって、展示してる作品をただ鑑賞するだけでなく、観客が参加する作品が多かったのです。

 会場は横浜港、山下公園の氷川丸という船の近くにある入場ゲートから700メートルほど歩いた横浜埠頭の倉庫にある。目印は公園内に建つ、三つのコンテナを組み合わせたルック・デルーの大きな作品(写真右)。

 青空に赤茶けた貨車が映え、シンボリックな形と迫力に圧倒される。

 会場に入ってまず最初に現れた作品は、工事現場で足場として使う鉄パイプを組み合わせて作ったアーチ型の作品「コンニチハヨコハマソウコデス」(池永慶一)。この作品は観るだけでなく実際に作られた階段を上ることが出来るので今回のアートショーの「作品に参加する」というテーマを象徴的する作品です。アートショーのサブタイトルが「アート・サーカス」とあるのは、芸術に片寄らず、しかしてあまりエンターテイメントに走らずにその中間のような存在をめざしたそうで、実際、巨大なサッカーゲームで遊べたり、電話ボックスの受話器を取って(バーチャルな)母親からのメッセージを聞いたり、似顔絵を描かれたりと、ほとんど鑑賞者が作品にかかわったり、会期中も徐々に作り続けられていたりするすものだった。

 『百均絵画』
 その中でも面白かったのは「百均絵画」。これは、客がコイン投入口に100円玉を入れてメニューの中から好きなのを注文すると、ベニア造りの部屋の中にいる作家が即興でオリジナル作品を作ってくれるというもの。いわば「アートの自動販売機」。メニューは「ペンペン絵画」「馬鹿にした絵画」「音絵画」「これでも絵画か」など10種類。私はこの中から一番難しいと思えた『正しい絵画』を注文した。注文してから30秒ほどして出てきたのが、ボール紙の台紙の上に、開いた箱を銀色のテープで貼った作品(写真)だった。

 写真ではわからないが、箱の上にはくつで踏んだ跡(足跡)がある。まあ、これも「正しい絵画」って言われれば納得するしかない。これが100円。

 次に一緒に行った知人が「正しい絵画」の逆をいこうと『これでも絵画か』を注文した。お金を投入しようとしたら財布に100円玉がなく、あいにく私も持ってなかったので係の人に尋ねて50円と10円で払ったのだ。

 「正しい絵画」は30秒ほどで出来たのに「これでも絵画か」はなかなか出てこない。オイオイ、私に言わせると「これでも絵画か」の方が簡単だろう(メチャクチャなもの作ればいいのだから)と思っていた。が、作家は悩んだらしく1分近くしたろうか(私には長く感じたが)、出てきたのは、台紙に今投入した50円玉1枚と10円玉5枚が木工用ボンドで貼ったものだった。(写真)

 

 これにはビックリしたのと同時に笑ってしまった。アーティストは箱の中にいて、本当にその場で作っていたんだと感心した。後で知ったが、この「百均絵画」をしているのは堀尾貞治+現場芸術集団「空気」で、堀尾貞治氏は1972年に解散した具体美術協会の会員だった有名な人らしい。堀尾氏にとって「制作すること」は生きることにかかせない空気のようなものであり、こうして現場で即興で作品を作るというのはアーティストにとって"真剣勝負"なんだと言うことだ。顔を合わしていないにもかかわらず、アーティストとのコミュニケーションをしている感じがした。


サインの部分アップ(右下に堀尾氏のサインがある)

*  *  *

 今回のアートショーは、正直言って「これがアート?」と思わせるものばかりだったが、作品は必ずしも完成したものでなければならないものでもなく、制作しつつ変化したり、鑑賞者が参加したりするのも「すべてあり」なんだということがわかったし、いろんな意味で刺激を受けて、今後、自分の生活や思考、作品に反映されるかもしれない。正直、前回より展示規模が小さくなったのは否めないが、とにかく2時間程の鑑賞時間、楽しめました。

 「横浜トリエンナーレ2005」会期:2005/9/28〜12/18
  会場:横浜山下埠頭 3号・4号上屋他

 関連記事、 2001.10/7『横浜トリエンナーレ2001展』



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特に悪意はありませんし下心もありませんので、なにとぞご了承下さい。


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