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7/25(金)『作品の写真撮影について』 |
作品はイーゼルに固定して、カメラも三脚に固定してレリーズというスイッチを付けて撮影します。手持ちの撮影は手ぶれが起きて良い写真は撮れません。見た目ではわからないが、印刷すると違いがはっきりと出て、ピントが甘い写真になってしまうのです。 写真はDM(ダイレクトメール)やポストカードをつくるための印刷原板として使えるように、ポジ・フィルム(スライド・フィルム)を使い、ファインダーで見た画面の余白部分に『カラーチャート』を入れた。『カラーチャート』とは、印刷する時に業者が色見本として使うための赤青黄色の色が印刷されたものさし状のものだ。このチャートは銀座1丁目のニコンショップの地下にあるプロ用ショップで2970円(税別)で購入した。 ![]() |
7/20(日)『私の絵について1「私の絵の原点」』 |
友人M宅に遊びに行った時、外国に住んでいる兄からもらったと、マグリットの画集(それがA3縦ぐらいの大きなもの)だった。解説文はほとんどなく(あったとしても外国語)、マグリットのポップな絵が並んでいるだけの素朴な本(絵本のよう)だった。当時、マグリットのことを知らないので、山高帽をかぶったチャップリンみたいなおじさんが空に浮いている絵が面白く、不思議な気持ちでながめていた。 高校になって自主映画をつくるようになり、友人N宅に行った時である。海外旅行した兄からおみやげとしてもらったとエッシャーの画集を見せてもらった。それは日本では販売されてないもので、エッシャーの幾何学的なだまし絵が楽しく、Nの家に遊びに行くたびにながめていたのを覚えている。今でこそマグリットやエッシャーはポピュラーな存在になっているが、30年近い当時は、極めてめずらしいものだった。 そんな友人の影響もあってか、私も画集を持っていたいと思うようになり、はじめて買ったのがアングル(ジャン・オーギュスト・ドミニック・アングル)である。女性のヌードがまるで写真のような美しさに惚れたのだ。今にして思うと、アングルの絵は大理石を思わせるような冷たいタッチで人間味に欠けるとは思うが、当時の私はアングル教にでも入ったように彼のデテールに魅了された。アングルは見た目の美しさのために人間の身体の構造を無視したポーズを描いていると批判されたという。ダ・ビンチが人の骨格や肉体を解剖分析して忠実に描いたのとはまったく逆である。 どうやら私は形態(見た目)の美しさに中学時代に目覚め、アングルの後はアルフォンス・ミュシャ、エルテへと(私にとって)装飾重視した画に傾倒していったのである。 私の作品の原点はプロフィールにも書いてある通りスワンベルクに違いはないが、中学時代にふれたマグリットとエッシャー、アングルが美的感覚の根を形成しているに違いない。 |
7/16(水)『長野へ初出張』 | ||
長野と言えばやはり善光寺様(タクシーの運ちゃんがこう呼んでいた)。「牛にひかれて善光寺参り」と昔から言われているように、長野に来て善光寺に行かないと非国民になってしまうので行って来ました。 この日は天気が良く、青空に白い雲を背景に建つ黒い善光寺がりりしく見えました。仲店通りから見る姿は、まるで時代劇のセットの中にいるみたいで、この雰囲気は他では味わえません。 調べるところによると、善光寺自体には基本的に宗派というものがないそうです、だから宗派にこだわらず誰もが訪れていい場所らしい。本堂内には「びんずる尊者」という像があって、これはお釈迦様の弟子のひとりで人々の病を引き受けてくださるという信仰があり、「撫で仏」と言われているものだそうです。つまり、自分の身体の弱いところを撫でて病を払ってくださるそうで、私は膝と目に病気があるので、「びんずる尊者」の膝と目を撫でました。昔から多くの人に撫でられた様で、膝や肩がはげて基礎となる木が露呈して、顔ものっぺりとしてしまい、何やらかわいそうだった。その痛々しさが人々を救って下さったおかげかと思うと、何ともありがたい思いになるんですね。 本堂の脇に「御百度詣数取」という石柱にそろばんの玉がついているものを発見した。おそらくお百度参りする時に、このそろばん玉をひとつづつ動かしたんでしょうな。でも、不思議なのは10個の玉が8つ分しかないんです。全部使ったとして80しかないのがおかしい。なにかいわれがあるのだろうか、今度調べてみよう。 もうひとつ、境内の経蔵前に「輪廻塔」(写真)があった。寺山修司の映画だったか、この「輪廻塔」がたくさん出る映画を見たことがあっておぼえている。この石柱にはめ込まれている車(この車も石でできている)に南無阿弥陀仏の文字が刻まれていて、この車(輪廻車)を手で回すことで諸々の苦悩を抜け出すことができるといわれている。私もここのところ仕事に追われて苦しんでいるので、苦悩を払うために二回転させた。 ところが後になって気づいたのだが、考えてみると、逆回転させていたような気がする。南無阿弥陀仏の文字が反対に回っていたかもしれない。これってまずいだろうか? | ||
![]() 善光寺の山門 屋根はヒノキの皮ぶきで高さは20m、重要文化財になっている。 |
![]() 山門の鳩字額 善光寺の「善」の字が牛の顔に似ているし、鳩が5羽隠されている。 |
![]() 「輪廻塔」 真ん中の車を回すことで苦悩を抜け出すことができる |
関連記事、2002.7 『青森・弘前(ひろさき)出張』 |
7/13(日)『アルコールの残量時間は?』 |
NHKの「ためしてガッテン」という番組で以前紹介していたアルコールの残量時間を思い出したので紹介します。 残量時間を調べるために、まず『酒1単位』の量(基本量)をおぼえることです。 『酒1単位』とは、ビールなら中ジョッキ1杯のこと。ワインやカクテルはグラス1杯、日本酒はお銚子(2号)1本、ウイスキーや焼酎は水割りグラスで1杯。これらを『酒1単位』とします。ようするに、ジョッキ1杯、グラス1杯のことです(覚えやすいでしょ)。 「アルコールの残量時間」は、自分が飲んだ酒単位の合計を3倍した数字が「残量時間」となるのです。 <例題1> <答え> 翌日の夕方4時 <例題2> <答え> どうですか『酒単位』で考えると便利でしょ。ところが、飲み始めると、この『酒単位』のこと忘れちゃうんだよな。それが問題だ。(-_-;)反省 |
7/10(木)『鍋は鍋でもジンギスカン鍋』 |
いやあ、ひさしぶりの『ジンギスカン』ですよ。何十年ぶりになるんだろうか(前回が思い出せないくらい久しい)。新橋駅前商店街の路地裏に煙をもうもうとあげてその店はある。ジンギスカンはジンギスカン鍋という真ん中がもっこり(こんもり?)と丸く盛り上がっている鉄板(穴が空いてて肉の油が落ちる構造になっている)で、焼くのは羊(ひつじ)の肉。つけダレもりんごの甘い香りのする独特の味である。 新橋の店はL字型のカウンターにテーブル席がひとつの狭い店。壁にはサラリーマン対応のスーツに匂いが付かないように上着をしまうビニール袋が下がっている。改めて味わってみると、ジンギスカンって、目を見張るようなお美味しい物ではないけれど、たまに食べると感激してしまう。 加山雄三の若大将シリーズでこんなセリフがあった、「やっぱりジンギスカンは『マトン』だよな」。マトンとは、羊毛生産後に食用とする成羊のことで、脂身にちょっとクセがある。つまり肉としては安いものだが、がそこがまた良い。ということで、私も「マトン」を注文したが、この店はラム肉(子羊で肉がやわらかくクセがない)だけでマトンは置いてないらしい、ちょっちがっかり。 思えば、東京・横浜に焼き肉店は数あれど、「ジンギスカン」ってないね。材料の問題だろうか? それとも人気がないのだろうか? |
7/7(月)『イ・クトゥット・ブディアナ展』 |
『イ・クトゥット・ブディアナ展』は東京駅の一部を改装して造られた美術館、ステーション・ギャラリーで行われている。美術雑誌の紹介記事に添えてあった写真が、「芸能山城組」のジャケットのものだったので、驚いて観に行って来たのである。しかも、会場に入って、一作目にこの絵が飾ってあるものだから驚きと感激でいっぱいでした。 イ・クトゥット・ブディアナ氏は、インドネシアを代表する画家で、バリ島に残る神話の世界を、バリに昔から伝わる伝統的技法に独特のタッチを加えて表現しています。先のジャケツトの作品は、「クララウ」という題名で、月の女神を呑み込む魔物のことで、『月蝕』を意味しているそうです。 ブディアナ氏の作品は、ヒンドゥの神々達とその物語を題材にしている。バリの美術というと、民族衣装からきらびやかな装飾過多のきらびやかなイメージだが、彼の作品は逆で、すごく色調を押さえたモノトーンの世界です。基本的に隈取り(絵を輪郭で描く)技法だが、墨を使っているため、画面全体が無光沢で、印象が暗い。その闇の中から魔物が出てくるイメージだ。グロテスクな魔物とエロティックでもあり艶めかしい魅力的な女神は、一度観たら忘れられないインパクトがある。会場で大きな作品の魔物達に囲まれると、迫力に圧倒されて背筋が凍るようだった。 会場にはDVDコーナーがあり、ブディアナ氏の画に「芸能山城組」の音楽とのコラボ作品も上映されている。この両者の組み合わせはバツグンで、神秘的な世界を表現している。「芸能山城組」の音楽が5.1chで収録されて発売されているようだが、DVDオーディオ仕様で、私の家では聞くことができない。 『イ・クトゥット・ブディアナ展』 2003年7月21日まで |
7/4(金)『渋谷パンテオン終幕』 |
私にとって東急文化会館とのつきあいは、映画よりも先に屋上にあるプラネタリウムがはじまりだ。それは中学生の頃、科学で星座の単元があり、天体望遠鏡を買ってもらったことからはじまり、それから宇宙や星座について興味を覚え、プラネタリウムを観に毎月通っていたものだ。(毎月フログラムが変わる、しかも250円と安い)子供だけではない、私事で恥ずかしいが、大人になってからも一回だけ、女の子とのデートにプラネタリウムを観たことがある。(その頃、プラネタリウム・デートが流行っていた) さて、私は新横浜に住んでいて、映画館のある近くの街は横浜である。しかし、なぜか映画、特に大作を見るようなときは、わざわざ時間をかけて渋谷に行っていたのである。パンテオンは70mm映画が上映できる大きな劇場だったから、迫力のあるパニック映画やSF映画は必ずといっていいほど行ったのである。 中学の頃、友人と映画「タワーリングインフェルノ」を見に行ったときのことである。それは映画のクライマックスで、燃えさかる炎を一気に消すために屋上にある浄水タンクを爆破して一気に火を消すという作戦に出た。私は作品に魅了され、息をのんでダイナマイトのタイマーが刻む針を見つめていた。ドッカーン、爆音とともにタンクが壊れ、膨大な量の水が洪水のように降り注いだ。その時である、となりに座っていた友人が、作品に感情移入しすぎたためか、持っていたコーラをひっくり返してしまい、シートから床にコーラ浸しになったのである。友人もあわてたが、となりに座っていた私も突然のことに驚き、映画もパニックだったが私もパニックになったのを今でもはっきり覚えている。 ということで、子供の頃から親しんできたパンテオン、東急文化会館が壊されるのは残念でならない。同じく文化会館に併設されている映画館「渋谷東急」では、最後の1週間を「大脱走」や「E.T」など人気作17本を上映し、往年の『東急名画座』の復活をしたそうだ。一方パンテオンでは、6月30日のラストデーに「サウンドオブミュージック」の70mm上映で締めくくったそうだ。時間があったら観に行きたかったな。 |
7/1(火)『納豆キティちゃん』 |
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