This page is not support English. 

2004年12月


 12/29(水)『今年一年、年忘れマイ・ベスト10』


 今年も終わりが近づきました。恒例の年忘れマイ・ベスト10を紹介します。

  1.銀座にて個展・グループ展開催
  2.日本列島異常気象
  3.芸名使用
  4.ぎっくり腰
  5.インターネットで美術書輸入
  6.吉野家から牛丼なくなる
  7.スカパー加入毎日録画
  8.感動・アテネオリンピック
  9.新潟中越地震
 10.プロ野球再編とストライキ
 <次点>
 ・携帯を505isに機種変更 ・イラク人質事件で日本人犠牲者 ・地下鉄の動く看板!
 ・曽我さんジェンキンスさん帰国



 1・『銀座にて個展・グループ展開催』(8/22の記事)(9/14の記事
 年に一度は個展をしようと思っている。今年は自分の個展の他に、画廊が主催するミニ公募展にも参加した。その上、オーストラリアに本社を置く会社からアートショーへの誘いも受けて絵画活動も本格的になってきた。行動を起こして継続することの大切さを実感する年でした。

 2・『日本列島異常気象』(7/25の記事
 日本に上陸した台風が10個と過去最高を記録、夏には東京で39.5度の観測史上最高記録をだし、30度以上である「真夏日」の連続日数を40日と記録更新、それだけではない、12月5日には発達した低気圧のせいで、12月の東京としては、これまた観測史上最高の25度を記録、同じ日に北海道では50センチの積雪がある猛吹雪に見舞われた。この冬も暖冬で、東京の現在までの平均気温は、九州の宮崎県と同じになったという。今年を語る上で、この異常気象ははずせないだろう。

 3・『芸名使用』(1/10の記事
 今年の元旦に宣言した芸名宣言。はじめのうちは慣れなくて使い分けにとまどったり、照れくさかったり迷いが多かった。また、「喜翔」という名前は姓名判断から自分で作った字だったが、ネットで同名を検索すると雅号として使っている人が他にいてビックリ。偶然だから仕方がないけどね。

 4・『ぎっくり腰』(5/23の記事)(5/26の記事
 うわさには聞いていたが自分がなってみて初めてその辛さがわかった。だって寝ていて寝返りができないんだから。辛いのは、ふとんから起きあがる時と靴下をはく時。幸いにして治ってから再発はなく順調である。

 5・『インターネットで美術書初輸入』(12/8の記事
 ネット購入はしたことはあったが、海外からの輸入は初めてで、改めてインターネットの便利さがわかった。おかげで輸入用として新規に銀行口座を設けたり翻訳ソフトを買ったり、来年オーストラリアに行くためにパスポートを取ったりと、私自身の国際化がはじまった。

 6・『吉野家から牛丼なくなる』(1/7の記事
 長年利用していたので、そのショックは大きい。ただ私は半年に一度ぐらいの使用なので、それほど影響はないのだが、時々、牛丼の味が恋しくなることはある。

 7・『スカパー加入ほとんど毎日録画』(2/24の記事
 CSのスカイ・パーフェクTVに加盟して映画を楽しんでいる。ハードディスクレコーダーも買い、一時期は毎日のように録画していた。ただ録画しても、それを見る時間がないのが残念だ。

 8・『感動・アテネオリンピック』(8/31の記事
 今回は日本人の活躍が目立ち、過去最高のメダル数を獲得した。4年に一度のオリンピック、勇気と感動をありがとう。

 9.『新潟中越地震』
 上越新幹線が脱線し山間の道路は寸断、私が思ったより死者が少なかったのがなによりである。会社近くの馴染みのカレー店の店長が新潟出身で、被災後、田舎に帰ったままもどっこなくて店を閉じたのが何とも悲しい。私は仕事があるのでボランティア活動に行けないので義援金をしたが、そんなことぐらいしかできない自分がふがいない。

10.『プロ野球再編とストライキ』(10/8の記事
 今年はプロ野球界も大荒れだった。球団の母体である企業が経営不振に陥って身売りさわぎや合併ニュースが報じられ、ヤクルトの古田を代表とする選手会がストを決行した。楽天が新球団をつくり、ダイエーが変わるなど大荒れに荒れた。


 相変わらず子供を拉致しての殺人や「ドンキホーテ」の放火事件、おれおれ詐欺、スマトラ沖地震による津波被害で死者が10万人を超すなど、殺伐としたニュースが多い。追い打ちを掛けるように、もうひとつ記憶にひっかかるニュースがある。それは『自殺者の影響で日本男子の平均寿命下がった』というものだ。日本は毎年、男女ともに平均寿命が世界一位だったが、男性は抜け切れぬ不況の影響からか年輩者の自殺が増えたために寿命が下がったというものだ。まさか自殺者がそんなに多いとは…。

 さて、来年はどんな年となることやら、みな様、良いお年をお迎え下さい。

 関連記事 2003/12/29『年忘れマイ・ベスト10』


過労のため、目の持病の黄班変性が再発して
左目が暗くて見えません。トホホ

 12/25(土)『今年亡くなられた方々を偲ぶ』


 今年も多くのスターが亡くなられました。私の記憶に残っている方々をご紹介します。

 ■ドリフターズのいかりや長介さん
 今年を象徴するかのごとく世間を驚かせたのがドリフターズのリーダーで俳優としても人気の高い、いかりや長介さんです。1964年、現在のザ・ドリフターズを結成し、16年間続いた「8時だヨ!全員集合」で国民的な人気を集めました。「オッス!」「いってみよー」「だめだこりゃ」などのギャグが、もう聞けないかと思うと寂しいかぎりです。

 ■ゴールデンハーフのルナさん
 同じく「8時だヨ!全員集合」の初期にレギュラー(?)出演していた、お色気と美貌のグループ、ゴールデンハーフにいた高村ルナさんは、ドイツ人の父を持つハーフで、生まれも育ちも日本です。「全員集合」では後半のミニコントに出演、たどたどしい日本語のエバ(その後「お笑いマンガ道場」に出演)とは逆に、早口でまくしたてる英語でドリフを困らせる役を演じていた。

 ■「お笑いマンガ道場」の鈴木義司(すずき・よしじ)さん
 ユーモアと風刺あふれる作風で知られ、「サンワリ君」「キザッペ」など、新聞や雑誌で活躍していました。テレビのバラエティー番組「お笑いマンガ道場」のレギュラー出演者として親しまれ、富永一郎氏との漫画バトルは今も記憶に残っています。

 ■「太陽にほえろ!」の長さん
 ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ)の刑事役”長さん”で人気のあった下川辰平(しもかわ・たっぺい)さんが敗血症で亡くなりました。「太陽にほえろ!」では人情味あふれる野崎刑事役(意外とこの役名を知らない)で500回以上も出演されたそうです。

 ■風車の弥七こと中谷一郎さん
 時代劇「水戸黄門」(TBS系)の”風車の弥七”役で親しまれた中谷一郎さんは、69年の放送開始から出演し、99年まで計687本の出演をされたそうです。今年1月から癌(がん)で入院したが、医師には「手術はしなくていい」と告げていたそうです。私にとっての思い出の作品は、「独立愚連隊」(岡本喜八監督)の軍曹役と山田洋次監督の「家族」で、「家族」では主人公の不器用な親父像を熱演していました。

 ■三橋達也さん
 ニヒルな役柄が多い三橋達也さんの思い出の作品は、黒沢明監督「天国と地獄」「悪い奴ほどよく眠る」でしようか。米映画「トラ!トラ!トラ!」(70年)での日本海軍の参謀。テレビではNHK「連想ゲーム」のレギュラーを務め、遺作は「CASSHERN(キャシャーン)」だったようです。うーん残念。

 ■おいちゃんこと下条正巳さん
 「男はつらいよ」シリーズのおいちゃん役で親しまれた、俳優の下条正巳(しもじょう・まさみ)さんがすい臓がんのため亡くなりました。「男はつらいよ」シリーズ第14作「寅次郎子守唄」からの出演で、おばちゃん役を演じた三崎千恵子さんと並んでシリーズに欠かせない名脇役でした。おいちゃん役としては3代目。前2代と違って、もの静かでやさしく人情味あふれる下条さんらしい"おいちゃん"でした。

 ■セントルイスの星セントさん
 「田園調布に家が建つ!」「右目で右目が見られるか」「義理と人情とお中元」などの早口言葉のようにまくしたて、知的なギャグが好きでした。70年代後半にツービート、B&Bが流行した漫才ブームでは「テレビにこびたくない」と、持ち前のつっぱり精神からテレビ出演を拒否。ブームに背を向ける形で信念を貫いたため、人気が落ちた感は否めません。

 ■「スーパーマン」のクリストファー・リーブさん
 映画「スーパーマン」に出演した後、落馬事故で首から下が不自由になった米国の俳優クリストファー・リーブさんが心不全のため亡くなりました。スーパーマンというりりしい姿と車椅子姿とのギャップに驚いきましたが、その後、麻痺財団を設立し活動家として活躍するなど、スーパーマンを地でいく活躍には頭が下がります。

 ■「サイコ」のジャネット・リーさん
 米映画女優ジャネット・リーさんは1947年に映画界に入り、「若草物語」やオーソン・ウェルズ監督の「黒い罠」に出演しました。ヒチコック監督の名作「サイコ」(60年)でのシャワーシーン(シャワーを浴びているところを殺害される役)は有名です。俳優トニー・カーチスと結婚(その後離婚)し、女優のジェイミー・リー・カーチスは娘さんです。

 ■個性派俳優マーロン・ブランドさん
 エリア・カザン監督の『波止場』に29歳で主演してアカデミー賞を獲得。「ラストタンゴ・イン・パリ」などで粗野でセクシーな反抗児として時代のカリスマとなる。『片目のジャック』で監督のキューブリックをクビにして自分で演出したり、『戦艦バウンティ』では浪費でMGMを破産寸前に追いこんだりとわがまましほうだい。「ゴッドファーザー」では顔と声まで変えてしまう究極の役作りを披露して人気を得るが、「地獄の黙示録」では高額なギャラを要求したにもかかわらず、役作りもせずにぶくぶく太ってしまいコッポラ監督と大喧嘩。また、実の息子が異母妹の恋人を射殺したり、もう一人の娘が家で首を吊って自殺するなど、なんとも不幸な人生です。しばらくブランクがあいた後「スーパーマン」で父親役を演じた時は、他の役者を寄せ付けない圧倒的な存在感をみせていたのはさすがでした。
  (参考:「マーロン・ブランド」パトリシア・ボズワース著 スターで厄介者…「聖なる怪物」の伝記より)

 ■映画音楽の巨匠ジェリー・ゴールドスミス氏
 作曲家のジョン・ウィリアム氏の陰に隠れている感じもありますが、B級映画の傑作を多く手がけ、職人おやじという印象(私の勝手な印象ですが)が好きで、私は何枚もサントラ盤を持っています。思いあげるだけでも「猿の惑星」「カプリコン・1」「カサンドラクロス」「パピヨン」「オーメン」「スタートレック」「エイリアン」「エア・フォース・ワン」…、特に「オーメン」でのオスカー受賞は感動したものです。


 ■フランスの映画監督フィリップ・ド・ブロカ氏
 ガンのため11月に亡くなりました(享年71歳)。フランスのコメディ映画監督で、40年にわたって30本以上の映画を作っている。思い上げるだけでも、「リオの男」「カトマンズの男」「おかしなおかしな大冒険」とあり、特に精神病院を抜け出した患者が街の人間と入れ替わる「まぼろしの市街戦」は傑作で、私の好きな洋画の6位にランクされる。フランスのシラク大統領は「フランス映画界は大きな才能を失った。彼は熱意と想像力を持った監督で、フランスに素晴らしいコメディを与えてくれた」と語ったそうです。

 その他にも
 ・昼ドラマに出演し「昼メロの女王」と呼ばれた三ツ矢歌子さん
 ・コメディアンから俳優に転身し、「裸の大将」を演じた芦屋雁之助さん
 ・小さな旅の渡辺文雄さん
 ・「チキチキマシン猛レース」のケンケンの声優、神山卓三さん。「ラピュタ」では海賊のシャルルを演じてました。
 ・「太陽にほえろ!」のブルース刑事役で出演していた又野誠治さん
 ・漫才から政治家になったコロンビアトップさん
 ・階段から転落死した中島らもさん
 ・歌手レイチャールズさん
 ・小説家で映画監督のジョゼ・ジョバンニさん
 ・「荒野の七人」 「大脱走」の作曲家エルマー・バーンスタインさん
 ・カルト映画で巨乳マニアの監督ラスメイヤー氏
 ・レーガン大統領

 ご冥福をお祈りいたします。

 関連記事 2003/12/25『今年亡くなられた方々を想う』


もう、今年もあと2週間たらず、
みなさ
んにとって今年はどんな年でしたか?

 12/21(火)『出た!ガラスの仮面42巻』


 本屋の店頭に平積みされている漫画を見て驚いた。「ガラスの仮面」の42巻じゃないですか!

 「ガラスの仮面」が「花とゆめ」で連載開始したのが昭和51年というから今から28年前のこと。第40巻が出て5年後に41巻が発売され、それから6年してやっと42巻の登場となったことになる。11年に2冊というスローペースだから、いつも読む時、それまでどんな話しだったかすっかり忘れている。だから毎回、前の巻を読み直してから新刊を読んでいる。

 42巻では主人公、北島マヤの片思いの相手で「紫のバラの人」こと速見真澄の婚約会見に出席したところから始まる。あこがれの彼(ひと)の婚約と挫折。一方、一途に慕われている桜小路くんとの間で恋愛経験の浅い心が揺れ動く。

 今回は次の展開へのブリッジともいうべき作品であり感動的な展開はあまりない。それよりも目立つのは、携帯電話やメール、富士急ハイランドなど現代と場所を特定する小道具が出てきて違和感を感じた。特にペアのイルカのペンダントを桜小路くんからプレゼントされるくだりは、今時、恥ずかしくて赤面してしまう。「ガラスの仮面」って、サザエさんではないけれど、時代が変わろうとも独自の世界観の中で描いてて充分であり、無理して現代を取り込む必要はないように思える。あの、どちらかというと硬派で不器用な絵柄とともに大げさな表現を含めた作者の世界と、読み手が感ずる現実とのズレにツッ込みを入れながら楽しむところに魅力があるのは違いないが。

 さて、次が出るのはいつのことだろう。また5、6年先のことになるのだろうか・・・。


漫画「ガラスの仮面」の42巻が発売されました。
6年ぶりの新刊です。

 12/18(土)『映画「Mr.インクレディブル」』


 楽しいじゃないっスかあ。ピクサー社の映画ってハズレがないから好きですよ。

 スーパー・ヒーローが訴訟で訴えられ活動停止になるという設定が、いかにもアメリカらしくて面白い。しかも、その栄光を忘れられず、夜な夜な覆面をかぶって人助けするヒーローにも笑える。この辺のアニメという非現実的な世界に現実を投影させることで観客がすんなりと作品世界に入り込む場面をつくるのがうまい。
 また、自己嫌悪から髪を長くして顔を隠していた娘ヴァイオレットが、それまでは人の言うことに言い訳ばかりしていたが、自分の無力さを認めることで素直になれたり、自信を取り戻してから耳を出したりと、心の移り変わりがしっかり描かれているから感情移入ができる。ピクサー社の作品は、とかくアニメの技術ばかりに目がいってしまうが、しっかりとしたシナリオと演出が作品を支えているのを忘れてはいけない。

 私は吹き替えで見たが、俳優の声に違和感はまったくなかった。アクションシーンの動きが速いため字幕は読んでられないので吹き替え版をオススメします。大型ロボットや小道具がレトロ調なのは、映画「アイアン・ジャイアント」の監督ならではでしょうか。タイトルデザイン・マニアの私としては、エンドタイトルがオシャレで、流れるビックバンド(ジャズ・ミュージック)にしびれた。(CD買おうっと)

 点数 80点

 ダメパパの復活劇かと思っていたら(それもあるが)、家族を守る母親の印象が強い。子供のために闘う母は強おい! そして家族一丸となる姿は誇らしくて頼もしい。ぜひ家族で観てほしい作品です。個人的には劣等感にさいなまれる娘ヴァイオレットが好き。インクレディブルの相棒フロゾンも良い味出している。ただ、見る前に思っていた『感動』の要素は少なかった。ま、そんなことはどうだっていい、楽しけりゃいいんです。ひさびさにもう一度観たくなる映画でした。



 12/12(日)お宝紹介4『東宝8ミリカラー映画・怪獣シリーズ』


 1作目のゴジラが公開されて50年、その集大成「ゴジラ・ファイナルウォーズ」が上映されている。これを期にゴジラ映画は休止するという。(誰も信じてないが)

 先日、スターウォーズの8ミリフィルムを紹介したが、当時、東宝映画からも家庭用に販売されていた8ミリ映画があった。私が持っていたのは「怪獣ジャイアントサンダ」と「怪獣No.1ゴジラ」。この作品はそれぞれ映画をダイジェストに編集して、新たなナレーションを付けくわえたもので、その昔テレビで放送していた「ウルトラファイト」と同じつくりになっている。

 「怪獣ジャイアントサンダ」は、当時、東京12チャンネルで放送していた「ちびっ子スペシャル」という番組の視聴者プレゼントで当たったものだ。私が小学校5年生だから1971年頃である。

 この8ミリセットには、8ミリフィルムと、映写に合わせて聞くためのレコード、絵本がセットになっている。しめて4900円(当時としては高額!)。カセットテープさえめずらしかった時代なので、音声がソノシートで、部屋を暗くして壁に大きく映写してレコードのボリュウムを一杯にあげて映画館ごっこをして遊んだ記憶がある。 あれ? 考えてみれば今も同じ事をホームシアターでやってるんだっけ。私も変わってないなあ。

 ちなみにこの8ミリ映画、現在販売されているDVDの映像特典として収録されている。持っている方はご覧下さい。(付録の絵本もDVDで見ることができます)


「東宝8ミリカラー映画・怪獣シリーズ」を見る

 関連記事 11/7 お宝紹介3『SW8ミリフィルム・コレクション』



 12/8(水)『ネット輸入成功!』


 ポストに分厚い封筒が入っていた。外国の見知らぬ切手がたくさん貼られている。これこそ待ちに待ったスウェーデンからのエアメールである。

 プロフィールにも書いてある通り、私がインスパイヤーされた画家は、スウェーデンのシュールレアリスムの画家、M・W・スワンベルクである。ところが現在、日本で彼の画集は販売されていない。およそ25年前に1冊だけ渋澤龍彦氏によって刊行されたことはあるが、もはや絶版である。それ意外に彼の作品を見るすべは現在の日本ではない。

 神田・古書店のオーナーが私と同じくスワンベルクのファンなのを知り、話しをしていると、パソコンを持っているならインターネットで輸入してはどうかと誘われた。さっそくアメリカやフランスの大手サイトを探すが、スワンベルクに関しての記事は見あたらず、画家の故郷であるスウェーデンのサイトまで行ってみた。すると、GRAFIK/GRAPHIQUEという画集があるのを発見した。もちろん、これは日本では販売されていないものである。

 スウェーデンのサイトなので、本文はスウェーデン語だが、文の端々にある英語を読み解いて注文メールを送ってみた(「返事は英語か日本語で願います」と書き添えて)。するとメールを送った翌日に返事が来て、届いた英文を翻訳ソフトで解読しながら、つたない英語で、住所、氏名と、VISAの番号を書いて返送した。カードで注文する場合、カード番号の他に有効期限も書く必要があるのだが、輸入初心者の私は知らなかったため、その旨が書かれたメールが再度やってきた。おかげで何度か手戻りがあったものの「明日朝、発送します」のメールをもらった時はホッとした。それから5日目、ポストにエアメールが届いていた。(届いた画集は「スワンベルクの窓」ページに掲載してあります)

 日本の、横浜の、小さな部屋に居ながらにして、北欧スウェーデンの買い物をすることができるなんて、うれしい気持ちの半分、魔法でも見せられたような不思議な気分である。こんなに簡単に買うことが出来るとすれば輸入業者は仕事が減ってしまうだろうね。 インターネット万歳。\(^o^)/



 12/3(金)『ポインセチアの花咲いた』


 去年11月の個展のお祝いでいただいたポインセチア。(S様ありがとう)
 1年間大切に育ててふたまわりも大きくなり、先日花が咲きました。

 クリスマスの象徴として知られるポインセチアですが、赤くみえるのは花ではなく「ほう葉」と呼ばれる葉です。花は「ほう葉」の中にできる黄色いつぶつぶのもの。ポインセチアは短日性の植物のため、一日の日照時間が短くならないと色づきません。先日テレビで紹介していたけれど、夜の時間が12時間以上にならないと花芽せず、葉も赤くならないそうです。自然のままに育てると、ほう葉が赤くなるのは2月頃になってしまいます。そのため、クリスマスに合わせるには10月から人工的に夜を長くしてやります(これを短日処理と言うらしい)。電灯のわずかな光にも反応するので、段ボールなどで箱を作り、夕方から翌朝まで箱をかぶせておくのです。

 ということで、いただいたポインセチアを、夏場は日に当てて育て、10月初旬から段ボールをかぶせました。おかげで11月には上の葉から色づきはじめ、11月25日には黄色い花を咲かせました。

 ポインセチアについてネットで調べると、原産地はメキシコで、名の由来は、1825年頃、植物学者でありメキシコ駐在のアメリカ大使であったJoel Robert PoinSett氏が、修道会などのお祭りや誕生祭で使われているめずらしい植物を、アメリカの温室や植物園、園芸仲間などへ配ったところ、ポインセット氏の名が付いたといわれています。

 花ことばは『祝福』『私の心は燃えている』


これは10月初め箱をかぶせて色づきはじめた頃


ほう葉が赤くなり中央に黄色い花が咲きました。
これで立派なポインセチアに。


過去のひとりごとを見たい人は下記の月別ボタンをクリックして下さい。

2000年

7月

 

9月

10月

11月

12月

2001年

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

2002年

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

2003年

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

2004年

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

2005年

1月


ここに書かれている内容は徳富の個人的な感想によるものです。
特に悪意はありませんし下心もありません
ので、なにとぞご了承下さい。


[HOME] [GALLERY] [PROFILE] [NOTICE] [PHOTO] [個展情報] [LINK] [MAIL]
Copyright 2004 by TOKUTOMI 

ご意見・ご感想・リンクについては下記のアドレスにメールして下さい

 E-mail tokutomi@yokohama.email.ne.jp