北方領土問題  関連資料 (法令・条約)

特に重要なものを太字にしました

年月日 名称
1604/1/27 慶長9年徳川家康黒印状(松前慶広宛)
 
1789/6 御境松前御加勢
クナシリ・メナシ蜂起に対する盛岡藩の対応。このなかで、道東を「外国」としている。
 
1855/2/7 下田条約(日露通好条約)(日本語)   ロシア語   オランダ語
 
1875/5/7 サンクトペテルブルグ条約(千島樺太交換条約)(日本語)  フランス語  ロシア語
 
1876/1/14 明治九年布告第弐号
(この布告によって、ウルップ島以北が千島の国に編入された。なお、国後・択捉は明治2年から千島の国。)
 
1885/1/6 明治十八年布告第一号
(この布告によって、色丹島が千島の国に編入された)
1895/6/8 日露通商航海条約(日本語)
(この条約によって、1855年の下田条約は完全に無効となった)
 
1896/6/9 山縣・ロバノフ協定(日本語)
 
1897/7/30 明治30年・勅令第二百五十号
「千島」「琉球」の名称が使われた勅令
 
1899/3/2 北海道旧土 人保護法
 
1905/9/5 ポーツマス条約(日本語) 英語
 
1941/4/13
1945/4/5
日ソ中立条約 、 声明書
日ソ中立条約の廃棄通告
 
1941/7/2 情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱 
   
1941/8/14 大西洋宣言(日本語訳)  (英語
   
1941/9/24 ロンドン同盟国会議における大西洋憲章への参加に関するソ連邦政府宣言(日本語訳)
 大西洋宣言では領土不拡大の原則が宣言されているが、ソ連政府宣言では、この部分を留保しているとも取れる表現がなされている。
   
1943/11/27 カイロ宣言(日本語)  英語  中国語
   
1945/2/11 ヤルタ協定(日本の処置に関する部分)(日本語訳)  英語  ロシア語
 
1945/5/9〜5/30 大陸命第1326号〜1340号
 大陸命とは天皇の陸軍に対する統帥命令。
 昭和20年5月、日本軍は対ソ連戦に向けて、戦争準備を行った。ここに示す大陸命は、対ソ連戦の作戦準備命令。
 
1945/6/26 国連憲章(敵国条項の抜粋) 日本語、英語
(日本など旧敵国だった国が、国連憲章に違反して侵略戦争等を起こした場合、米国・ソ連など旧連合国は、国連決議等の拘束力に優先して軍事制裁を課す事が出来るとした条項。現在も有効です。)
 
1945/7/26 ポツダム宣言(日本語)  英語  中国語  ロシア語
 
1945/8/8 日本政府に対するソ連政府の声明(宣戦布告)(日本語)
 
1945/8/9〜8/14 大陸命第1374号〜1380号
 大陸命とは天皇の陸軍に対する統帥命令。
 昭和20年8月9日、ソ連は日本に宣戦布告し参戦した。ここに示す大陸命は、ソ連参戦以降、8月14日に大詔渙発までのもの。
  
1945/8 スターリン・トルーマン秘 密書簡(日本語訳)
 
1945/8/14 ポツダム宣言受諾に関する通告(東郷外相発、加瀬公使宛) 日本語  英語
 ポツダム宣言受諾の用意があることを通告した。
 
1945/8/14 終戦の詔書(玉音放送)  
 8月14日、終戦の詔書を決定し、録音した。この録音は、翌日、ラジオ放送された。この放送があったことから、8月15日を終戦記念の日としているが、この放送は国民に向けて、ポツダム宣言受諾をすることを知らせたものなので、法的には停戦とは関係ないものです
 
1945/8/15〜 大陸命第1381号〜1392号
 大陸命とは天皇の陸軍に対する統帥命令。
 ポツダム宣言13条では、日本国に対して、ただちに軍隊の全面的な無条件降伏を宣言することが定められている。しかし、日本政府は8月14日にポツダム宣言受諾の意思を連合国に伝達した後も、日本軍の無条件降伏命令を8月15日以降も出すことなかった。
 ここに示す一連の大陸命から、ポツダム宣言により指示された無条件降伏命令は9月2日の降伏文書調印まで出されていないことが分かる。
 
1945/8/16〜8/28 戦闘停止に関する文書
 ポツダム宣言では日本軍の無条件降伏が義務付けられていたが、8月15日の段階で、日本軍に対する停戦命令は出ていなかった。このため、米国から停船命令を出すことが指示され、その旨を、米国に伝えたもの。なぜ、ソ連に伝達しなかったのか、謎である。
 
1945/8/16 日本の降伏に関し赤軍最高司令部の説明
 8月16日以降も、ソ連・中国では戦闘が続行した。
  
1945/8/18〜8/28   千島・樺太進攻に関するソ連軍最高司令官命令
 
1945/9/2 降伏文書(日本語)   英語
 この文書が、正式なポツダム宣言受諾、日本の降伏を意味している。このため、法的には、終戦は9月2日である。 
 
1945/9/2 降伏文書調印に関する詔書
 この詔書で、日本軍の無条件降伏が指示された。
 
1945/9/2 一般命令第一号(陸、海軍)(日本語)
(GHQにより最初に出された命令。この命令により、満州・北緯38度以北の朝鮮・樺太・千島はソ連に降伏する事が定められた。)
 
1945/9/2 大陸命特第一号、大陸指特第一号
大陸命とは、陸軍に対する天皇の最高統帥命令。ポツダム宣言第13条に基づく全陸軍の武装解除命令である。
大陸指特第一号により、第五方面軍(千島・樺太)、第十七方面軍(朝鮮)のうち北緯38度以北、関東軍(満州)の日本陸軍は、極東ソ連軍最高司令官に降伏する事が定められた。
 
1945/9/2 連合国軍代表最高司令官総司令部 布告第1号、第2号、第3号(日本語訳)  英語
 いわゆる「三布告」。マッカーサーが日本国民に告示する布告文。告示直前に、日本政府の努力により中止された。
 
1945/9/6 連合国最高司令官の権限に関するマックアーサー元帥への通達
 
1945/9/22 降伏後ニ於ケル米国ノ初期対日方針(日本語)   (英語)
(『日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州、四国竝ニ「カイロ」宣言及米国ガ既ニ参加シ又ハ将来参加スルコトアルベキ他ノ協定ニ依リ決定セラルベキ周辺ノ諸小島ニ限ラルベシ』と書かれている。ここで『米国が既に参加した他の協定』はヤルタ協定以外にないので、日本の領土決定はヤルタ協定に従うことが米国の方針であったことが分かる。)
    
1945/9〜1948/12 マッカーサーラインについて
 GHQは45年9月27日付で、マッカーサーラインが設定された。北方領土近海では、マッカーサーラインが若干不明瞭だったため、48年12月、SCAPIN1033ノ1により、ノサップ岬−貝殻島の中間地点を通る線が引きなおされた。マッカーサーラインは講和直前に廃止されたが、中間ラインとの名称で、事実上の日ロ間の国境となっている。
   
1945/12/1 根室町長 安藤石典より、連合軍総司令官マッカーサー元帥宛の陳情
この陳情が、日本における北方領土返還運動第一号とされる。陳情の中で、色丹・国後・択捉を南千島・千島諸島と表現していることが注目される。
   
1946/1/19 極東国際軍事裁判所条例(日本語) (英語)
   
1946/1/29 SCAPIN-677(日本語)  英語
(この指令により、千島・樺太・竹島の支配権を失う)
 
1946/2/2 南サハリン州の設置に関するソ連邦最高会議幹部令 日本語訳  ロシア語原文

サハリン島南部及ぴクリル諸島の国有化について(ソ連邦最高会議命令)日本語訳  
 
1946/4/12 国後地方ウプラウレニヤ法令
 ソ連の法に基づく行政下に置かれた
  
1946/6/29 外地在留同胞引揚
 
1946/8/6 北海道付属島嶼復帰懇請委員会会長 安藤石典より連合軍総司令官マッカーサー元帥宛の陳情
根室町長、安藤石典、北海道附属島嶼復帰懇請委員会会長名で第2回目のマッカーサー宛陳情。この日、安藤はホイットニー准将に面会している。
 
1946/9/9 逓信省令第16号 外国郵便物取扱規則
「千島列島(珸瑤瑁諸島を含む)」の表現が使用されている
 
1946/11 一九四六年十一月に外務省が連合軍総司令部に提出した北方領土問題についての調書
この資料は、日本政府は公開を拒んでいます。しかし、オーストラリア公文書館で発見され、内容が明らかになっています。日本の北方領土要求に致命的な打撃を与える可能性があります。
    
1946/12/19 ソ連地区引揚米ソ協定
北方領土を含むソ連占領地からの日本人の引揚は米ソの協定によって行われた。
    
1947/6/19 降伏後の対日基本政策
極東委員会の一般的政策声明
   
1947/8/10 北海道附属島嶼復帰懇請根室国民大会の決議
 「千島列島の一部を成す択捉島、国後島」としている
   
1947/10/6

衆議院 外務委員会 択捉島、国後島及び色丹諸島を日本領土に復帰の請願
現在言われている北方領土返還要求の根拠と同様な主張がある。しかし、国会でこういう請願があつたことを、連合国司令部に伝できても、こうしてもらわなければならないということを、交渉することはできない、と説明されている。
 
1947/10/8 参議院外務委員会
日本政府は、以下の公式見解を示した
@「平和条約によつて領土の帰属が確定する」との考えには議論の余地が有る
A国後島、択捉島は千島列島に含まれる。歯舞諸島と色丹島は千島列島に含まれない。
B千島の人口は約一万一千で、極く少数のアイヌを除き、全部北海道から行つた日本人が住んでいる
 
1948/11/12 東京裁判判決(ソ連に対する侵略 部分)(日本語)
  
1950/1    北海道付属島嶼である南千島及び歯舞諸島の復帰懇請趣意書
 千島列島とは、ウルップ島以北を指すことを、日露和親条約(1854年条約)・千島樺太交換条約(1875年)の日本語翻訳の条文により証明できるとした文書。
 1980年代に、村山七郎・和田春樹によって、条約の日本語訳は誤訳であることが示されるまで、北方4島返還要求の主要な論拠となっていた。
 
1950/3/8


衆議院 外務委員会
 国後・択捉がヤルタ協定で言う千島に含まれるか否かが議論された。国後・択捉はヤルタ協定で日本の領土で無くなる「千島」に含まれると言うのが、日本政府の考えである。サンフランシスコ条約のずっと以前から、国後・択捉の領有を事実上諦めていたことがうかがえる。
  
1951/2/5 参議院外務委員会での根室町長参考人意見
 
1951/3/3
1951/3/31
衆議院水産委員会、衆議院本会議 歯舞諸島返還懇請に関する決議
北方諸島に対して固有の領土の用語が使われた。歯舞諸島は北海道と行政区が同じなので、日本の固有の領土との説明である
 
1951/8/17
衆議院本会議
講和会議に臨むに当たって、吉田茂は以下の発言をしている。
日本の領土なるものは、四つの大きな島と、これに付属する小さい島とに限られておるのであります。すなわち、その以外の領土については放棄いたしたのであります。
 
1951/9/5 サンフランシスコ会議 ダレス演説(抜粋)(日本語訳)  英語
 
1951/9/5 サンフランシスコ会議 グロムイコ演説(第2回総会)(日本語訳)
 
1951/9/7 サンフランシスコ会議 グロムイコ演説(第8回総会)(日本語訳)
 
1951/9/7 サンフランシスコ条約 吉田茂 受諾演説  英語抜粋
 
1951/9/8 サンフランシスコ講和条約(日本語)  英語
 
1951/10/19
衆議院 - 平和条約及び日米安全保委員会
日本が条約で放棄した千島に国後・択捉が含まれると答弁)
 
1951/10/24 衆議院 - 平和条約及び日米安全保委員会
(ポツダム宣言とサンフランシスコ条約の関係に対して説明)
 
1951/10/25
1953/7/23
衆議院 - 平和条約及び日米安全保委員会など
 現在、日本政府は「固有の領土」とは、一度も外国の領土になったことがない領土と説明している。しかし、固有の領土は、国際法上の用語ではなく、人により場合により適宜意味が変えられて使われるため、日本政府の固有の領土論は諸外国の理解を得られていない。日本の国会においても、野党委員により、樺太は日本の固有の領土と主張されたことがあった
 
1951/10/26 衆議院 本会議
 衆議院本会議における、平和条約及び日米安全保障条約特別委員長田中萬逸委員長の委員会報告。このなかで、田中委員長は、政府が「クリル・アイランドの範囲は、いわゆる北千島、南千島を含むものである」と説明したことを、衆議院本会議に報告している。
 
1951/11/6
参議院 - 平和条約及び日米安全保委員会
日本が条約で放棄した千島に国後・択捉が含まれると答弁)
   
1952/7/31 衆議院決議
 サンフランシスコ条約締結当時、日本が放棄した千島に国後・択捉が含まれると解釈されていた。衆議院決議においても、北方領土は、歯舞、色丹島の引渡を求めるものだった。
   
1953/3/5 参議院  外務・法務委員会連合審査会
領土紛争は、歯舞・色丹・竹島 以外にはないと説明
1953/7/7 衆議院 本会議 領土に関する決議
歯舞及び色丹島等、また、沖繩、奄美大島、小笠原諸島等が完全にわが国に帰属するよう政府に最善の措置を講ずべきことを求めた決議。
(歯舞及び色丹島等となっており、国後・択捉の名前が明示されていないことに注意。)
 
1955/8/20 昭和天皇の政治介入 大臣に反共命令
 昭和天皇は、国務大臣が拝謁したときなどに重要な指図をするなど、国政に口出しをしていることが知られている。
 
1955/12/7
1955/12/8
1955/12/9
1955/12/10
1955/12/15
衆議院予算委員会、外部委員会 参議院予算委員会 主要部分の抜粋
現在の四島返還論・固有の領土論の最初はこれら委員会答弁にある
 
1955/12/8
1955/12/9
1955/12/10
1955/12/16
衆議院外部委員会 上の資料のうち、四島返還論関連を、もう少し詳しく掲載
 
1956/2/11 衆議院-外務委員会
日本が条約で放棄した千島に国後・択捉が含まれるとの答弁を取り消す。この時以降、四島返還論となる
 
1956/3/10 衆議院-外務委員会
(サンフランシスコ条約で、歯舞・色丹・南千島が日本の領土になるように米国に働きかけたと説明)
 
1956/3/10 1956/11/24 衆議院-外務委員会/日ソ共同宣言等特別委員会
(国会議論の中で、政府委員が『北方領土』の用語を使った。)
 
1956/8/14 日ソ平和条約案(一九五六年八月十四日現在)
 モスクワで行われた日ソ平和条約交渉では、日本は四島返還を主張したが、ソ連の態度は硬く、四島返還を実現することは不可能だった。このような状況の中で、重光外相(主席全権)は、1956年8月12日、歯舞・色丹返還で平和条約を締結することを決意、8月14日には、日ソ双方の条約案を持ち寄った。両者の条約案はほとんど一致し、これで条約締結は可能と思われた。ところが、日本政府は、日本の出した条約案を否定、日ソ平和条約交渉は膠着した。
 この資料は、8月14日現在、日ソがほとんど妥結した平和条約案である。
 
1956/9/7 日ソ交渉に対する米国覚書
日ソ交渉が妥結することを阻止するために米国から日本政府に出された通知。
現在、北方4島がサンフランシスコ条約で言う千島列島に含まれないとの根拠に使われる文書であるが、実際には、同条約から5年も経ち、国際政治情勢がかなり変化した後に出されたものであるので、条約解釈の根拠とするには、無理がある。
 
1956/10/19 日ソ共同宣言(日本語)
 
1956/11/25 衆議院日ソ共同宣言特別委員会
日ソ共同宣言で「返還」ではなく「引き渡し」となっていることが議論された
 
1956/11/29 参議院外務委員会  
ソ連が引き続き北方4島を支配する事は不法占拠とは言えないと説明
 
1956/12/20 根室町議会決議
 
1959/2/25 最高裁決定
千島列島に属する国後島は、日本国には属しない、との決定が下った。
  
1960/3/2 根室において開かれた「日ソ平和条約締結促進根室地方住民大会」宣言
日ソ関係が膠着している為、地元では漁業に大きな支障をきたしていた。色丹、歯舞群島をもって平和条約を締結することをもとめている
 
1960/3/8 参議院予算委員会
台湾問題に関して、岸首相は「日本としてはサンフランシスコ条約によって放棄しておる何であるから、これがどこに帰属するかということについて発言の何らの権利をもっておるわけでもない」と答弁。
 
1961/10/3


衆議院-外務委員会 池田首相の重要な答弁。
 クーリル・アイランズとは、得撫島以北のことであり、これが固有の領土の根拠であるとの説明。(この根拠は後になって、条約の誤訳に基づく誤解であることが明らかになった。)
 
1961/10/6
衆議院-外務委員会
(サンフランシュスコ条約では留保していない事、のちになってから四島返還論が起こったこと及び根拠を説明している。)
 
1961/10/16 昭和36年10月16日  参議院予算委員会
 参議院予算委員会で小坂善太郎外務大臣は、北方領土をソ連が占拠することを、不法占拠と答弁した。
 
1964/1, 2 台湾の帰属は条約上未確定であるとの政府見解
 昭和39年の外務委員会・予算委員会で池田総理大臣は、台湾の帰属は連合国が決めるのであって、中華民国の本来領土ではない、との日本政府の見解を示した。また、中華民国が支配している状態を「これは不法占拠と申しますか、私は未確定の問題で、一応観念上あそこを支配しておるぞと、こう考えております」と説明している。
 
1964/6/17 外務省事務次官通達
「南千島」の用語を使うと、国後・択捉島がサンフランシスコ条約で放棄した千島に含まれるとの印象を与えるので、南千島の用語を使わないように要請した。この通達以降、徐々に「南千島」の用語は使われなくなる。
 
1970/9/30
1971/4/22
北島丸事件、第2の北島丸事件最高裁判所決定・判決
 国後島近海で密漁した日本人漁船員に対して、日本の漁業法で有罪にすることが出来るか否かが争われた。国後島近海は外国の領海なので、漁業法等の日本の法律で有罪にすることは出来ないとの主張に対して、国後島近海が日本の領海であるか否かを判断することなく、日本の漁業法を適用して日本人を処罰することが出来るとの判断である。
  
1976/4/30
参議院-農林水産委員会、外務委…-1号
(国後・択捉が千島・クリルに含まれるか否かには、いろいろな考えがある。四島返還論の根拠は固有の領土論であると説明。)
 
1977/6/6 衆議院外務委員会 - 25号
(政府は、不法占拠とは「法的根拠を有するものではないという意味で」あると説明)
 
1978/2/6  朝日新聞記事
 北洋サケ・マス漁業が対象魚種の乱獲にとどまらず、海鳥・海獣類の殺害につながと国際非難を浴びているとする記事
  
1981/1/6 北方領土の日制定 閣議了解
 
1982/8/31 北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律
 
1982/8/31 北特法
北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律
 
1983/6/23 朝日新聞・論壇
水産業界団体・大日本水産会専門調査委員の投稿。違法操業がまかり通っている事実を告発・批判するもの。
 
1983 北海道ウタリ協会 「北方領土」問題に関する基本方針 総会決議
 
1986/4/2
第104回国会 参議院外務委員会 第2号
(クリルの範囲に対する政府見解。下田条約・サンクトペテルブルグ条約の日本語訳が誤訳であり、これまでの政府見解の妥当性が議論された。)
 
1989/9/19
我が国国民の北方領土入域問題に関する 閣議了解、我が国国民の北方領土入域問題に関する内閣官房長官談話  
(日本人が北方領土に行かないように要請した)
   
1990/6/1
1992/4/21
北方四島はソ連・ロシアが実効支配している
現実には北方四島はソ連・ロシアが実効支配しているが、日本政府は実効支配ということを嫌がることが多い。大臣が「実効支配」と説明した事例。
 
1991/3 海部・ゴルバチョフ会談の国会説明
 (日本政府は、海部・ゴルバチョフ会談で、「水津満参謀が・・・得撫島まで来て択捉を見て、ここは日本固有の領土であるから米国の占領地であると言って反対した事実」をもって、北方領土の領有を主張した、と説明している。ところが、このような事実はなく、水津の証言は、はなはだ疑わしいものである。日本は嘘をついて、ソ連に対して領土要求をした可能性が高い。)
   
1991/10/29
我が国国民の北方領土への訪問について 閣議了解  成3年10月29日 
(政府の方針に従った運動をしている団体は、北方領土に行っても良いように定めた)
 
1995/6/9 衆議院本会議 歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議
(北方領土問題とは直接関係ない。過去の侵略戦争を反省する国会決議。)
 
1995/8/15 村山内閣総理大臣談話
(北方領土問題とは直接関係ない。過去の侵略戦争を反省する内閣総理大臣談話。村山談話と呼ばれ有名。)
 
1998/4/17,30
我が国国民の北方領土への訪問について 閣議了解 平成10年4月17日 
平成10年4月30日付け 総務庁・外務省告示第1号
(政府の方針に従った運動をしている団体は、北方領土に行っても良いように定め、細目を定めた。)
 
1999/9/10 我が国国民の北方領土への訪問について  閣議了解 平成11年9月10日 (再要請)
 
1999/1/26
札幌高裁 平成09 不動産登記申請却下処分無効確認控訴事件 判決
(北方領土に不動産投機ができるか否かが争われた裁判。控訴審判決で「できない」との結論。)
  
2002/4/9 アジア太平洋戦争時の千島への朝鮮人の連行
今野東衆議院議員の質問と政府答弁
   
2002/11/8 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会
ピースボートによる北方領土旅行に対して『北方領土に対する我が国の法的立場を害するおそれがある』との答弁
   
2005/10/28 「固有の領土」とはどういう意味か
鈴木宗男衆議院議員の質問と政府答弁
   
2005/10/31 「不法占拠」とはどういう意味か
鈴木宗男衆議院議員の質問と政府答弁
 
2005/10/31 千島の定義
鈴木宗男衆議院議員の質問と政府答弁
   
2006/2/14 一九五六年の日ソ共同宣言など
鈴木宗男衆議院議員の質問と政府答弁
 
2007/1/16 朝日新聞記事    ロシア・ソ連問題とは関係ない
イワシの乱獲に対する水産行政の問題点の指摘
   
1998〜2009 竹島は韓国が実効支配しているとする政府答弁



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