国会議論の中で、政府委員が『北方領土』の用語を使ったのは、昭和31年からである。昭和31年3月10日、11月24日に下田武三条約局長が使っている。
 11月24日の答弁では、「桑港条約で、ちょうど北方領土と同じように、台湾及び澎湖島に対する日本の権利権原は放棄するということを規定しております」との答弁からも分かるように、北方領土は日本が放棄したと、説明している。これは、南千島を日本が放棄したとの認識ではなく、当時、「北方領土」の用語は、日本が放棄した、南樺太・千島を指している場合も有り、用語として、定義は明確になっていなかった。




衆議院 外務委員会 昭和31年03月10日

○下田政府委員 ただいま議事録を読んで御引用になりました占領時代から日本政府の出した資料、その資料は実は私が作ったのでありまして、当時から一貫して変りないのでございますが、日本政府のねらいは、桑港会議で歯舞、色丹、南千島等固有の日本の領土であったものは明確に日本の領土に残してもらうような定議を得ることをねらいとしておったわけでございます。そのために占領中から歯舞、色丹初め領土問題だけにつきまして七冊の、民族的にも歴史的にも地理的にも経済的にも、あらゆる角度からの検討をいたしました資料を準備いたしまして、アメリカに出したのであります。なぜかと申しますと、来たるべき講和会議において日本は敗戦国として大きな発言権を行使できない、そうだとするとアメリカ政府が日本政府の立場にかわってそういう歴史的の事実を知っておいてもらわなければいけないという見地から出したのであります。それでしかし御承知のように講和会議では、日本政府の希望するような北方領土の定義は下されませんでした。そのかわり日本政府の希望するような定義は下されませんでしたが、他のいかなる定義も下されなかったのであります。そこで吉田総理は桑港会議の席上、南千鳥につきましてはそれが日本の固有の領土であるということを明言せられておる。記録にとどめる措置をとられたのであります。と申しますのは、将来やがて北方領域のいかなるものを譲渡せしめ、いかなるものを日本に残すかということが国際的にきまる段階になるだろう。日本の希望する定義は下されないとすれば、少くとも将来に対する足がかりだけは、残しておこうということで古田総理は発言されたわけであります。まさに私どもが当時予想いたしましたように、今日におきましてはその桑港条約の定義は下されてないために、今それをはっきりしようという試みが直接ソ連との間に行われておる。そこでそうであるとなりますと、その占領当時から出しておった日本政府の見解、また講和会議に当りまして吉田総理が述べられた見解、それを足がかりとして最も有利な態勢に努力するというのが私どもの立場でありまして、その点におきましては、当時からも一貫いたしておるのであります。




衆議院 日ソ共同宣言等特別委員会  昭和31年11月24日

○穗積委員 そういたしますと、私が大別して説明いたしました前節、すなわちあとの帰属は国際会議にかけてきめなければならぬという条約上の条件が付されていない、すなわち、あとの帰属を決定する場合には、日本とソビエトとの二ヵ国の合意にさえ達すれば、それが必要にしてかつ十分なる条件である、こう解釈していいわけですね。念を押しておきます。
○重光国務大臣 条約上そう私は解釈して差しつかえないと思います。
○穗積委員 法制局長官並びに条約局長はそれで差しつかえございませんね。特に法制局長官にこの際伺っておきたいと思います。
○下田政府委員 条約問題でございますから、私から先に御説明させていただきます。北方の領土問題につきましては桑港条約がすべてではないわけで、これはもちろんであります。そこで桑港条約でカバーされておりません日本とソ連の間の処理という別の面があるわけでございます。そこで、この問題を考えます場合に最大の前提として考えるべきことは、桑港条約におきまして連合国側の示した立場、これはつまり日本との利害対立者の立場ではないのであります。ただいま穗積先生がおっしやいましたように、北方領土を日本の帰属のままに残しておいたのではソ連が桑港会議に出てこないから、そこで取りあえず日本の手から離すという意味で、日本の放棄をきめまして、そこで連合国とソ連との間で日本の北方領土の帰属をできれば一年以内にきめたいという腹が実はあったわけです。ところが、仰せの通り、ソ連が入りませんので、その目的が達成せられなかったわけです。そこで、連合国の立場といたしましては、日本が北方領土を取り返しても決して異議は申さないというのが初めからの大前提であり、むしろ連合国は日本に対する同情者の立場である。日本が領土を取り戻したからけしからぬと言って、それに対立する立場には絶対ないというその事実、その大前提を考えませんと、これは非常な誤解を起すと思います。そこで、先ほど外務大臣が申されましたように、桑港条約で明確になっておらない帰属を直接の当事者である日ソ間にきめた場合に、桑港条約との関係はどうなるかということ、日ソ間に日本の主張通り北方領土をすべて日本に取り返しました場合には、桑港条約締約国はおそらく黙っているでございましょう。それは、日本が奄美大島を日本に取り返した場合に、これを桑港条約の第三条に反するといって文句を言った連合国はないのです。黙っている間に、奄美大島は日米間の取りきめだけで日本に返ってきたのであります。だから、日ソ間におきましても、北方領土を日ソ間だけで取り返しましても、桑港条約の締約国は黙っているということは、ほぼ推察にかたくないわけであります。
○穗積委員 澎湖島は……。
○下田政府委員 澎湖島の場合は、穂積先生は誤解があると思いますが、あれも、桑港条約で、ちょうど北方領土と同じように、台湾及び澎湖島に対する日本の権利権原は放棄するということを規定しておりますので、その点はやはり北方領土と同じ関係にあるわけであります。
○林政府委員 ただいまの条約局長の答弁で尽きていると思います。



注)
下田政府委員:外務事務官(条約局長)下田武三
林政府委員:法制局長官 林修三
 



北方領土問題の先頭ページへ   北方領土問題関連資料のページへ