衆議院 - 外務委員会 - 3号   昭和36年10月06日


昭和三十六年十月六日(金曜日)   午前十時三十九分開議

○森下委員長 これより会議を開きます。
 国際情勢に関する件について調査を進めます。質疑の通告がありますので順次これを許します。床次徳二君。

○床次委員 私はまず北方領土の問題に関しまして、お尋ねいたしたいと思います。さきに、かが国の北方領土に関しましては、フルシチョフ首相がすでに解決済みであるという書簡を寄せました。これに対しまして、池田総理がはっきりとわが国民の意思表示をいたしまして反論を加えたことに対しましては、国民といたしましてわれわれ心から賛意を表するものであるのでありまして、フルシチョフ首相の論拠というものは全く根拠はないと考えておるのであります。従ってわれわれは北方領土なるものはわが国の固有の領土である。だからすみやかに返還すべきものでありますが、むしろ論理的に申しますと、返還と申しますよりも、ソ連に不当に占拠せられましたところのわが領土をすみやかにわが国に返す、ソ連からわが国に引き渡すべきものであると私ども考えておるのでありますが、この際政府におかれましてはいわゆる国後択捉はわが国の固有の領土であるという根拠を重ねて明らかにせられたいと思うのでありまして、これは過去の経緯にかんがみましてこの際政府が明瞭にせられることがきわめて大切だと存じまして特にお尋ねする次第であります。

○小坂国務大臣 いわゆる北方領土、ことに国後、択捉がわが国の固有の領土であるということにつきまして少し申し上げたいと思います。
 まずもって経緯について申し上げますと、この問題については対日平和条約の起草にあたって連合国が領土問題についてわが国の主張を入れるように政府としては終戦直後から歯舞、色丹が北海道の一部である事実及び国後、択捉がわが国固有の領土であって放棄すべき理由がない事実を裏づける資料を起草者たる米国政府に提出いたしておったわけであります。しかしながらサンフランシスコ会議に提出された条約案には千島列島の地理的な範囲を明確に規定しておりません。その結果、歯舞色丹についてはわが主張がサンフランシスコ会議におけるダレス・アメリカ全権の演説によって確認されておりますが、国後、択捉についての解釈が明らかにされることがなかったのであります。サンフランシスコ会議は平和条約を最終案文によって締結し、署名するために招集されたものでありまして交渉のために設けられたものではございませんから、わが全権はその見解を述べることは認められましたが、条約案文について留保を行なうというようなことは認められていなかったのは、御承知の通りであります。従いまして全権団は国後、択捉がわが国固有の領土である事実について会議の注意を喚起するために問題を提起し、これを将来に残したわけでございます。その内容につきましてはもうすでに御承知の通りでございまするが、一八五五年の日露通好条約並びに一八七五年の樺太千島交換条約においてこのことが明瞭になっておるわけでありますが、特にこの樺太千島交換条約第二款におきまして、千島というものはどういうものかということが明らかにされておるのであります。すなわちウルップ以北シユムシユに至る十八の島々をいうのでありまして、その島の名前が全部列挙せられておるのであります。
 それを読ませていただきますと、「クーリル」群島即チ第一「シユウシユ」島第二「アライド」島第三「パラムシル」島第四「マカンルシ」島第五「ヲネコタン」島第六「ハリムコタン」島第七「エカルマ」島第八「シヤスコタン」島第九「ムシル」島第十「ライコケ」島第十一「マツア」島第十二「ラスツア」島第十三「スレドネワ」及「ウシシル」島第十四「ケトイ」島第十五「シムシル」島第十六「プロトン」島第十七「チエルポイ」竝二「ブラツト、チエルボエフ」島第十八「ウルツプ」島共計十八島の権理及ビ君主に属スル」一切ノ権理ヲ大日本国皇帝陛下二譲リ面今而後「クリル」全島ハ日本帝国に属シ東察加地方「ラパツカ」岬ト「シユムシユ」島ノ間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」こういうことが明らかに書かれておるのであります。
 これによって明瞭であると思いますが、先般予算委員会において講和条約締結当時の政府委員の答弁が取り上げられて問題になっておったのでありまするが、この答弁はその当時における政府の一応の見解を述べたものでございますが、一方においていわゆる千島の中には南千島も入ると言いながら、他方日本政府としては南千島と北千島は歴史的に見て全く違うものであると考えており、その考え方は今後も堅持すると言っております。この二つの答弁は矛盾した内容を持っておるのであります。そこでそういう矛盾した内容を持つ明確を欠いた答弁がなされたわけでございまするがこのことはひっきよういたしまするに条約発効以前の各国の微妙な事態を反映して、その当時においてまだ占領下にあるわけでありますし、また各国も平和条約を批准していないというその事態において、わが国の立場のみを強く前面に押し出すことを避ける考慮もあったと考えられますが、これはいずれにもせよその当時における一応の考え方を述べたものにはかならないと思うのであります。その後さらに慎重に検討をいたしましたる結果、今申しましたように各種の交渉からいたしましても国後択捉が日本国の領土であることは明らかでございまして、しかもなおサンフランシスコ講和条約で放棄いたしました千島列島の中には含まれていないとの解釈が明確化いたしまして、昭和三十一年重光外務大臣の言明となっておる次第でございます。このような解釈は、先ほども申し上げました一八五五年の日露通好条約、一八七五年の樺太千島交換条約で、クーリル群島、従ってウルツプ以北十八の島をあげておりまする条約上の先例、及び一九四一年の大西洋憲章、及び一九四三年のカイロ宣言で宣明された領土の不拡大の原則から導き出されるものでございまして、平和条約の主たる起草者であるアメリカ政府も、一九五六年九月七日の覚書で国後、択捉の両島が日本国の主権下にあるものとして認められるべきものであることを明らかにいたしておりましてその後歴代政府はこの解釈を堅持しておる次等でございます。

(省略)



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