第104回国会 外務委員会 第2号 昭和六十一年四月二日(水曜日)    


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○寺田熊雄君 最初に、日ソ平和条約をめぐる北方領土の問題をお尋ねしたいんですが、北方領土を要求する、アメリカの秘密外交文書などを見ます と、日本のクレイムズという、要求という言葉を使っておりますが、この日本の要求というのは政治的な要求でしょうか、それともやはり法律的な正当性を 持つと外務省は考えておられるんでしょうか、その点をまずお伺いしたいと思います。
○政府委員(西山健彦君) ただいま御質問の趣旨でございますが、要求しているという言葉を大変恐縮ですが、どこが使っているとおっしゃいました ですか。要求しているという言葉を使ったのは。
○寺田熊雄君 アメリカの秘密外交文書が発表されたね、ああいうものの中に日本のクレイムズという言葉が使われているからね。
○政府委員(西山健彦君) 一九四五年から五一年ぐらいまでにわたりまして種々の外交文書が現在アメリカで公表されるに至っております。その中 に、御指摘の北方領土の問題はいろいろな人がいろいろの所見を述べた形で出ているのは事実でございます。したがいまして、その場合にクレイム、求 められていると言っている場合に、それはその人がどういうふうに個人的にそれぞれ問題を見ていたかということによって違うのであろうと思います。ただ 一般的に、日本は終始一貫北方の四島は日本国有のものであると言っていたわけでございますから、いかなる場合にも日本の立場はそういうものであ る、そういう了解の上に立ってその言葉が使われたのではないかと思います。
○寺田熊雄君 いや、私がお尋ねしたのは、日本がソ連に対してこの四島を当然日本に返還すべきであるという主張をしているでしょう。それは政治的 な御主張なのか、それとも法律的な正当性を持っているというふうにあなた方は考えておられるのか、その点を伺っている。
○政府委員(西山健彦君) 私どもの考え方は、北方四島につきましては、これは歴史的に申しましてもまた法律的に申しましても我が国固有の領土 であったということでございまして、したがいまして、サンフランシスコ平和条約でもって我が国が放棄いたしましたところの千島列島というものの一部分 ではないと。したがって、これは当然我が国に戻るべきであるというのが我々の態度でございます。
○寺田熊雄君 今あなたはサンフランシスコ平和条約で日本が主権、領土権を放棄した千島列島の一部ではないと、つまり国後、択捉などは一部では ないとおっしゃったね。それはどういう根拠でそういう主張ができますか。
○政府委員(西山健彦君) 現在のソ連がまだ帝政ロシアと言われておりましたころに二つの我が国は条約を結んでおります。そのうちの第一が、もう 御承知のとおり一八五五年に調印されましたところの日魯通好条約でございます。それからもう一つがその二十年後に調印されました、つまり一八七五 年に調印されました樺太千島交換条約でございまして、この両方の条約によって当時の帝政ロシアが、現在我々が北方領土と呼んでおります四島につ いては初めからこれが日本のものと認めていた、そういう法律的な根拠があるというふうに考えているわけでございます。
○寺田熊雄君 今の安政元年条約ですね、これは確かに国後、択捉は日本の領土と認めたことは間違いないけれども、ただそのとぎの条約では、こ れがやはり千島の一部であるということははっきり条約の文面にあらわれていると思うんだけれども、それはどうです。
○政府委員(西山健彦君) この安政元年の日魯通好条約、通称下田条約と申すものでございますが、これの第二条にございます文言は「今より後 日本國と魯西亜國との境ヱトロプ島とウルップ島との間にあるへしヱトロプ全島は日本に属しウルップ全島夫より北の方クリル諸島は魯西亜に属す」こう いうふうに規定してございまして、したがいまして、「ウルップ全島」を含みそれより北の方がクリル諸島という名前であるということがこの条文の書き方か ら明らかというのが我々の考え方でございます。
○寺田熊雄君 いや、あなた方のその条約の解釈が間違っているんですよ。つまり、外務省から出ている「旧條約彙纂」という分厚い条約集があります ね。これはあなたも御存じでしょう。この安政元年の条約によりますと、第二条。この条約は、正文はどこの国の文が正文だとあなた方は見ていらっしゃ るの。
○政府委員(西山健彦君) 私の承知しておりますところでは、これは四カ国語で書かれておりまして、いずれが正文という特段の定めがない、そういう 条約でございます。当時の日本の置かれた特殊な状況を反映しているのかと存じます。
○寺田熊雄君 そうなんですね。四カ国語で書かれたわけは、当時まだ日本側はソ連語に堪能の人が一人もいなかった、ソ連側も日本語に堪能の者 がいなかった、そこで、両者ともオランダ語はよく知っておったのでオランダ語で書いたというふうに歴史的に我々は調べておるんだけれども、その三カ国 語のうちのオランダ語でもフランス語でも、いずれも日本語の「夫より北の方クリル諸島は」という点が「夫より北の方その他のグリル諸島」という、「その 他の」という文句がみんな入っているのね。ところが日本語は、故意か偶然が、「その他の」というものを落としているわけだ。「その他のクリル諸島」という ことになると、国後、択捉もクリル諸島の一部だということは条約上はっきりするんだけれども、なぜ「その他の」というのを落としたのか、そこがわからな い。つまり、オランダ語を見ますと「met de overigeKoerilsche eikanden」、「その他のクリル諸島」とはっきり「overige」という言葉が入っておる。そ れからフランス語のあれを見ても「les autres flesKouriles」、「その他のクリル諸島」、ソ連語の方も「прочiе Курильскiе」というふう に書いてある。つまり、あなたのおっしゃる、四カ国語でできているうち三カ国語はいずれも英語のいうジ・アザー・クリルアイランズ、「ジ・アザー」というの が入っている。なぜ日本語だけ「ジ・アザー」を取っちゃったんだろうか。だから、あなた方の北方領土に関する根本的なそこに相違点というのが生まれて しまった。だから私はある意味では、これは故意に落としたんじゃないかという疑いさえも持っているんだけれども、どうだろうか。
○政府委員(西山健彦君) 非常に精緻な御指摘でございますけれども、私どもも、何しろ百年以上も前のことでございますので、当事者がどういう気 持ちでその部分を特に訳さなかったのかは推測する以外にないわけでございます。しかし、現在外国語の方を見ますと、これはウルップ島とそれからそ のほかの千島列島、つまりクリル列島ということで、そのウルップ島及びその他の島々それ全体をクリル島と呼ぶというつもりで解釈していたと。したがっ て、日本語の場合には「ウルップ全島夫より北の方クリル諸島」と言えば外国語でもって「その他」と言っている部分はそれによってカバーされると、恐らく そう考えて訳したのではなかろうかというふうに思います。
○寺田熊雄君 その「les autres」とか「overige」とかいうようなことを「その他のクリル諸島」という「その他」を抜かしちゃうと、もうそれは意味ががらっ と違ってくるわけですよ。だから、私はある意味ではこれは外務省が故意にこの「その他」というのを除外して、そして国後、択捉はクリル諸島にあらずと いう結論を導き出そうとしたんじゃないかと思うんだけれども、そうとすると、これは大変国民を欺くことになるので、これは重大な問題だと思うんですよ。
○政府委員(西山健彦君) 条約の解釈ですので後に条約局長からもお答えを申し上げたいと思いますけれども、私どもの考え方といたしましては、 いわゆる千島列島というのはウルップ島とそれか らその他の島々から成る島の一部である、そういう前提に立ちましてウルップ島については特記されたと、しかしその他のものについては、先生がおっし ゃいました「その他」「les autres」というような言葉でもって一括したということでございまして、それ以外に千島列島というものが存在したということを言 っているのではないのであろうというふうに思っております。
○寺田熊雄君 この条文の解釈につきましては、私は日本の言語学者、それからオランダ人の言語学者、オランダ人の言語学者は、日本の国立国語 研究所研究員のグローダースという人ですね。これは相当の権威者で、オランダ語に堪能なことはもちろんだけれども、フランス語にも堪能な人です。両 親の一方がフランス人である、一方がオランダ人である。この方の御意見も伺ってみたけれども、オランダ語にせよフランス語にせよその点の解釈は疑う 余地がありませんということですね。ですから、これは外務大臣、条約の日本訳といいますか、日本文といいますか、それがそのとき同時にできた三カ国 語の外国の条文と極めて重要な点で乖離しているという点は、これは、それがあるとないとでは意味が大変違うということは非常に重大な問題なんです よ。これはよほど外務省で間違ったなら間違ったという正直な態度をとっていただかないと、あなた方の国際的な信頼にも響くことですからお考えをいた だきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○政府委員(小和田恒君) 条約の解釈あるいは北方領土の法的地位に関する問題でございますので、若干補足して申し上げたいと思います。
○寺田熊雄君 あのね、これはもう大所高所からやっぱり判断していただくべきことなので、大臣の御所見を伺ったんですよ。
○国務大臣(安倍晋太郎君) ちょっと条約局長から。
○委員長(最上進君) それでは先に小和田条約局長、その後大臣にお願いします。
○政府委員(小和田恒君) 欧亜局長から御答弁したとおりですが、若干整理して申し上げた方が誤解がないかと思いますので、ちょっと補足させてい ただきたいと思います。
 この北方領土が、先ほど申し上げましたように歴史的にも法的にも日本の領土であるというのが日本政府の立場だということを申し上げましたが、その ことの持っている意味は二つあるわけでございます。
 一つは、歴史的にも日本の固有の領土であるという意味では一八五五年の条約にも明らかなように、もともとこれは日本の固有の領土であって、一八 五五年の条約のときにおきましてもロシア側があれが日本の領土でないということを主張したことはなかったということ、つまり歴史的に見てずっとこれは 日本の固有の領土であったということが五五年の条約でも七五年の条約でも明らかである。それ以降も他国の手に渡ったことがないということが第一点 でございます。
 第二点の法的な問題につきましては、これは基本的には一九五一年のサンフランシスコ平和条約の解釈問題になるわけでございます。サンフランシス コ平和条約で我が国が放棄をしたクリルアイランズと、これは日本語は正文ではございませんので、英語で申しますならばそこで言っているところのクリ ルアイランズというのは一体どの範囲であるかという解釈の問題になるわけでございます。その解釈の根拠、一番のベースになりますのは、そもそも第 二次大戦の結果として結ばれた平和条約の中で領土というものがどういうふうに処理されるかということにさかのぼるわけでございまして、政府が前々か ら申し上げておりますように、連合国共同宣言に発しましてカイロ宣言の中で明確にされているところの領土不拡大の原則、これが確実に守られなけれ ばならないということがカイロ宣言の中に入っておりまして、それがさらに我が国が受諾をいたしましたポツダム宣言の中で「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラ ルベク」と、こういうことが入っているわけでございます。つまり我が国が戦争を終結いたしましたポツダム宣言において我が国と連合国との間の基本的な 合意になっておりますのがポツダム宣言であって、そのときに「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク」、すなわち連合国は領土拡大を求めるものではない ということが戦争終結の一つの条件になっておる。そういう前提から出発をして桑港平和条約の規定ができておる、こういうことでございます。
 したがいまして、もともと日本の国のものであったものに対して連合国がそれをサンフランシスコ平和条約によって日本から取り上げるということはポツ ダム宣言の条項から言ってあり得ないことである、これが解釈の場合の前提になる第一の点でございます。
 第二番目の点として、それでは文字どおりの解釈として、クリルアイランズというものはどういうふうに解釈をすべきであるかということになってまいりま すと、今寺田委員が御指摘になりましたような条約その他で使われておりますクリルアイランズというものが一体どういう意味で用いられてきたかというこ とが一つの解釈の上での参考資料になる、こういうことになるわけでございます。
 その参考資料として今問題になっております一八五五年の条約は、ではどういうことであるかということになりますと先ほど来御指摘がありましたように これは四カ国語でできておりまして、そのいずれが解釈上の正文であるかということは何も書いていないということでございますから、この四つのテキスト というものをもとにして解釈をするということになるわけですが、御承知のとおり多数の言葉で条約ができておりますときにはこの条約はすべて同じ価値を 持つわけで、そのテキストの解釈として調和する解釈というものを探さなければならないわけでございます。
 そういう見地から見ますと、私どもが政府の立場として申し上げておりますように、日本語では「夫より北の方クリル諸島」というふうに書いてありますの で、日本語に関する限りはこの点は全く問題がない。今御指摘になりましたロシア語、オランダ語、フランス語について見ますと確かに「他の」という言葉 が入っております。この「他の」というのをどういうふうに解釈すべきかということについては私どもも慎重に検討をいたしましたが、考え方といたしましては これは「他の」ということが、そもそもクリルアイランズというものがあって、そのうちの一部が日本に属し、それ以外のその他のクリルアイランズがロシア に属するという、今委員が御指摘になったような解釈の仕方と、それからこの島々の中で日本に属するものについては既にその前に書いてあるわけで、 それ以外のその他の島であるところのクリルアイランズについてはこれはロシアの所領とすると、こういう解釈も私どもはロシア語、オランダ語、フランス 語と全部見てみましてそういう解釈も可能であると。その二つの解釈のいずれが正しいかということについて、この三つの言葉に関する限りはどちらとも 言えないであろう。しかし、日本語に関する限りはその点は極めて明確に「夫より北の方クリス諸島」と、こういうふうに書いてあるわけでございますから、 全体を調和して全体について適用し得る解釈としては私ども政府が申し述べているような考え方が正しい解釈ではないかと、こういうふうに考えて従来か ら申し上げているわけでございます。
 ただ、繰り返しで恐縮でございますが、あくまでもこれは桑港条約第二条で言っておりますところのクリルアイランズというものを解釈する上での一つの 参考資料として申し上げているわけでございまして、もともと一人五五年条約について政府が言及をしておりますのは、これが本来歴史的に見て日本の 固有の領土であって、一八五五年に日本とロシアとの間で領土画定をいたしましたときから既にこれは日本領として認められておったということに私ども の主張の重点があるわけでございますので、補足させていただきたいと思います。
○国務大臣(安倍晋太郎君) 条約局長のこの説明でもうすべて尽きているんじゃないかと思いま す。
 固有の領土であるという点についてはこれは安政元年の条約以来日露間で確認、合意しておると、こういうふうに思っておりますし、なおサンフランシス コ平和条約のいわゆる千島列島という中には、これはもうポツダム宣言あるいはカイロ宣言の精神を踏まえても、その中には入っていないというのが日 本政府としての立場であることは、これはもうしばしば申し上げているとおりであります。
○寺田熊雄君 今あなたは盛んに歴史的な根拠をおっしゃるが、それはこの条約上明白なことで、それに対しては私はいささかも異議を差し挟んでおら ぬのですよ。ですからそれを強調なさるのは無意味なのね。あえて質問の対象としていないわけです。
 それからカイロ宣言やポツダム宣言は確かにあなたのおっしゃるような意味を持つことは確かだが、同時にポツダム宣言は日本の領土を本州、四国、 九州、北海道並びに我らの決定する諸島嶼に限られるといって、まだそれはそういう決定がないわけだから、その決定がないのに、一方サンフランシスコ 平和条約では日本はクリル諸島を放棄したということになっているわけだから、だから余り両条約を盾に放棄したことが否定できるものじゃない。あなた方 のおっしゃった歴史的にこれは本来日本の領土であるという点は吉田さんもサンフランシスコ平和条約のときに発言しているわけですよ。発言はしている けれども、放棄したという点に対しては異議を差し挟んでいないんです。やっぱりこれは日本国有の領土だから放棄しませんよと日本が所有権なり主権 なり領土権を留保しますということは言っていないわけなんですね。だからこれはやはり放棄した千島列島に含まれるか含まれないかということに問題は 尽きてくるんです、法律的には。だからちょっとあなた方のはそういう点をまだごまかしているといっちゃ失礼だが、何とか詭弁で乗り切ろうという気持ちが ある、正しい態度じゃない。
 それからもう一つは、樺太千島交換条約もあなた方の方は大変有力な根拠になさるけれども、この条約の日本文を見てもらっても「現今所領クリル群 島即チ」何々という十八島をここに言っているので、クリル群島は北千島だけだと、南千島は含まないんだという一つの論拠になさっておられるね。これは 間違いないでしょう。だけれども、このフランス語はこれは正文になっておるんでしょう。どうですか。
○政府委員(小和田恒君) この樺太千島交換条約につきましては日本語とフランス語のテキストがございます。フランス語が正文であるという規定が あったかどうか私ちょっと今記憶しておりませんが、そういう規定がございましたらちょっと御指摘いただければありがたいと思います。
○寺田熊雄君 これはフランス語が正文なことは、あなたの方の出していらっしゃる「舊條約彙纂」の六百八十ページを読んでごらんなさい。「樺太千島 交換條約」と書いて、「明治八年五月七日比特堡府ニ於テ調印」となっているんですね。これは漢字だからちょっとわからぬが、それで括弧して「佛文」と 書いてある。これは明らかに調印したのは仏文だということを示しているんじゃないんですか。
○政府委員(小和田恒君) 大変恐縮でございますが、私は今ここに樺太千島交換条約のテキストを持っておりますけれども、今御指摘のページをち ょっと手元に持っていないものですから。
○寺田熊雄君 これを見てごらんなさい。それから、日本文の方は「譯文」というのが最初に書いてあるよ。これを見てごらんなさい。
○政府委員(小和田恒君) その点については、さらに調査をしてお答えをしたいと思いますが、条約自体は日本語とフランス語と両方で印刷はしてご ざいます。ただし、今、寺田委員が御指摘になりましたように、この条約自体はセント・ピータースブルクで署名をされた条約でございます。それで、日本 とロシアの間の条約でございますから、日本語とフランス語が正文であったということはちょっと考えにくいので、日本語とフランス語とロシア語でつくって フランス語が正文であったということはあり得ることだと思いますが、条文の中にはちょっと今、それが正文であるという記載は入っていないようでござい ます。
○寺田熊雄君 それじゃ、何であなた方が出した条約集に仏文で調印したと、日本語の上には「訳文」と書いたの。御自分で書いておいてそれを否定な さるのは、それはおかしいじゃないか。
○政府委員(小和田恒君) 誤解があるといけませんので申し上げますが、私は寺田委員のおっしゃっていることを否定しているわけではないんです。
私が持っておりましたテキストにはどれが正文であるかということについての注記もございませんし、通常は条約の条文の中に何が正文であるかというこ とを書くわけでございますが、この条約についてはそういう規定が今見当たらないということを申し上げたわけでございまして、今いただいたこの「舊條約 彙纂」の方には「譯文」という言葉が日本語の方についておりますので、それにはそれなりの根拠があったんであろうと思います。私が持っておりました方 のテキストにはそれが入っていなかったので今のようなお答えをしたわけですが、この点はちょっと調査をしてお答えさせていただきたいと思います。
○寺田熊雄君 私どもは、セント・ピーダースバーグ、そこで仏文で調印というのをあなた方の権威ある条約集で見たんだけれども、その中にも、これは 第二款が今の北方領土に触れていることだけれども、その北方領土に関する、つまりクリル諸島に関する文を見ますと、これはフランス語だけれども、ク リル諸島と称せられる島々のグループ、「le groupe des les dites Kourikes qu’Ellepossede actuellement」と書いてある。これは、結局ロシ ア皇帝が現時点において持っているクリルと称せられる島々のグループ、それを大日本国の皇帝陛下に譲ると言っているので、これをつまり日本語では 「現今所領」という何かわけのわからない言葉で言っているけれども、クリル諸島というのは、この今挙げた十八島じゃなくして、ロシア皇帝が現時点にお いて持っているところのクリル諸島、こういうふうに訳すべきなのを、何かはっきりしない訳をつけて、これを根拠にクリル諸島というのは旧ロシア帝国が十 八島だけだと認めたというふうな理論的根拠にしている。それは非常に条約の解釈を誤ったものだと思いますが、これはどうですか。
○政府委員(小和田恒君) 今御指摘になりました樺太千島交換条約の第二款でございますが、フランス語は、確かに御指摘のように、「le groupe  desles dites Kouriles qu’Elle possede actuellement」と、こう書いてありますので、それをどういうふうに解釈するかという問題であろうと思い ます。
   〔委員長退席、理事宮澤弘君着席〕
 ここで明らかにはっきり「le groupe des lesdites Koureles」と、こう言っているわけで、クリルと呼ばれる一連の島々、クリルと呼ばれも群島、つ まりクリル群島ということが書いてあって、その後で、「qu’Elle possede actuellment」というのは、それをロシアが現在所有をしておる、こういうことが 書いてあるわけでございまして、そのこと自体は、何もクリル群島というものが別個に存在して、その中でロシアが持っている部分というふうに書いてあ るわけではないというふうに考えております。
 ちなみに、訳語であるかどうかという点ですが、今手元にありました資料で申し上げますと、現在検討可能な署名本書から判断する限り、この条約の正 文は仏語であると思われるということが記載してございます。先ほども申し上げましたように、条約がセント・ピータースブルクというロシアの首都で結ば れているということから考えましても、日本語とフランス語が正文であってロシア語が入っていないということはちょっと考えられませんので、恐らく交渉の 結果でき上がったものは第三国語であるフランス語でつくられた、それにロシア語と日本語の訳文ができたということではないかというふうに想像いたしま す。
 ただ、この日本語というのも、何も後でつくったわけではなくて、そのときあるいはその直後につくられたものであろうというふうに考えますので、そういう 意味で申しますと、ここに書いてあります「現今所領クリル群島」というのは、当時の交渉当事者としての日本政府の理解を示しているというふうに考えて いいであろうというふうに考えます。
 そういうふうにいたしますと、この樺太千島交換条約ができた当時における日本政府の認識としては、やはりこのクリル群島というものが、ここに書いて ありますように、すなわち「第一シュムシュ」から「第十八ウルップ」に至る十八島ということを指しておるという認識に基づいてこの条約ができていたという ふうに考えていいのではないかというふうに思っております。
○寺田熊雄君 その点は、第七回国会における衆議院外務委員会の会議録でも明らかなように、国会でもう論議が一度なされているわけですよね。そのときにやはりあなたのような意見を述べた議員がおる。それに対して西村熊雄条約局長は、そうじゃないんだと、明治八年の交換條約で言う意味は、いわゆる日露間の国境以外の部分である千島のすべての島という意味でございましょう。ですから千島列島なるも のが、その国境以北だけがいわゆる千島列島であって、それ以南の南千島というものが千島列島でないという反対解釈は生れないかと思います。非常 に遠慮深げではあるけれども、そうじゃないんだと、やはり南千島というのは千島列島でないという反対解釈が生まれないのだと、あなたのような意見に 対して答えておるわけですね。
 それから、私は、今回発表されましたアメリカの秘密外交文書、これを調べてみたところが、これは一九四九年ですから昭和二十四年になりますが、十 一月二十五日、国務省の政治問題に関する法律顧問、ジ・アシスタント・リーガル・アドバイザー、これは法律顧問補ですか、このメモランダム、このメモ ランダムは当時の極東委員会のアメリカ代表でありましたマクスウェル・M・ハミルトン、ハミルトン極東委員会アメリカ代表に送られた秘密文書ですが ね、その秘密文書をあなたは持っていらっしゃるかな。
○政府委員(小和田恒君) 持っております。
○寺田熊雄君 その秘密文書の中に、今あなたがおっしゃった両条約、これは一八五五年と七五年になるが、安政元年と明治八年の両条約について 述べた後、この条約の文言は日本に譲渡された島々は、つまりクリル群島の一つのグループに過ぎぬことを示している。他のグループは択捉、国後であ るのだと。この二つの条約は少なくも択捉はクリル諸島の部分であることの証拠である、ということをはっきり言っているわね。ですから、これは、国務省 の法律顧問が当時の極東委員会のアメリカ代表にあてたものの中にも、私のような解釈がとられて、あなたが今言われたような解釈はとられていないん ですね。外務省の現在の両条約を根拠とする国後、択捉が千島列島に属しないという解釈はとられていないんです、これはアメリカの国務省のリーガル アドバイザーだ。あなた方どう考えるか。
○政府委員(小和田恒君) アメリカが公表いたしました外交文書の中に、今寺田委員が御指摘になりましたような文書が入っておるということは承知 しております。それから、その中におきまして、政治問題担当の法律顧問部の法律顧問補でございますが、アシスタント・リーガル・アドバイザーがそうい う意見を述べておるということは御指摘のとおりでございます。ただ、これは御承知のとおり一九四九年という時点において出されているということからお わかりのとおり、平和条約を控えて、米国政府の内部におきまして、あるいは米国政府とその他の関係国との間においていろいろな平和条約の内容につ いて協議が行われていた段階における内部文書でございます。
 その過程においていろいろな議論があったであろうということは単に想像にかたくないだけではございませんで、同じこの公開された外交文書の中に含 まれております。その他の文書の中におきまして、例えば在日の米国の代表部から、国後、択捉は日本に返還されるべきものであるというような意見が 出ておるとか、いろいろな異なった意見が出て、議論をされている過程において、政治担当の法律顧問補が一つの意見として出したものである、スノーと いう法律顧問補佐の意見としてここに掲載をされておるというふうに私ども理解しているわけでございます。
 他方、御承知のように、アメリカが対外的な関係におきまして、例えば当時の英国でございますとかあるいは当時のフランスに対しまして行っている立 場の表明におきましては、このクリルアイランズの正確な定義というものは、これは日ソ間で決めるべき、合意すべき問題である、あるいは、国際的な紛 争解決手続に委ねるべき問題であるということを言っているわけでございまして、外との関係におきましては、この時点におきましても、あるいはその後の 時点におきましても、米国は、今寺田委員が御指摘になったような立場というものを米国の立場として表明しておるわけではございません。
 むしろ逆に、御承知のように、一九五五年あるいは五十六年の国際司法裁判所への米国政府の見解の表明におきましては、米国としては対外的に公 式にこの国後、択捉が日本に所属するものであるということを言っているわけでございまして、そういう意味におきまして、内部の文書として一時期にそう いうことを書いた文書が存在しておる、一人の国務省の法律顧問補佐の作成した文書が存在しておるということは私ども承知しておりますけれども、その ことが米国政府の見解を示すものでもなければ、あるいは、私どもが先ほど来申し上げておりますような考え方を否定するものでもないというふうに理解 をしておるわけでございます。
○寺田熊雄君 そうじゃない。これは、あなたが言われた秘密外交文書の今のこのスノー法律顧問の見解が表明された以前に、例えばケナンの覚書が ある。これは、一九四七年十月十四日にやはりアメリカ政府部内にあったこと、これはどっちかというと、四島を日本に保持させようとする意見ですね。そ れから、ボートンという方の、これは、狭く解釈すれば、日本が四島を保持することも可能であるという意見。それから、地理学者が、歯舞、色丹は千島と は別である、ヤルタ条約では地図を使った形跡がないというような意見。それから、先ほど私がちょっとお話をした、日本のクレームズという問題を、国務 長官の代行がシーボルトに対してこう言った。これは、日本のアクティング・ポリティカル・アドバイザーというから、これは占領中日本の政治顧問代行と 訳すべきだろうか、それに対して、アメリカのジ・アクティング・セクレタリー・オブ・ステート、だから、国務長官代行からシーボルトにあてた文書の中にも、 これは歯舞、色丹や国後、択捉に対する日本のクレームズ、要求をサポートする。サポートする問題について注意深く検討するであろうという文句があ る。
 つまり、日本がアメリカに盛んに、この四島を日本に欲しい、返してくれ、持たしてくれという要求を出しておることに対して、国務省が慎重に検討するで あろうという検討の段階を経まして、それから、中途においてはどちらかというと反対意見が勝って、そしてサンフランシスコ平和条約となった。サンフラン シスコ平和条約となったときは、ダレスの演説をあなたも知っていらっしゃると思うが、ダレス演説は、歯舞群島は千島列島には入っておりませんとだけ 演説しているわけだ。このことがいろいろ問題になったけれども、歯舞群島は千島列島に入っておりませんと、国後、択捉が入っていないということは言っ てない。
 そういう経過を経て今度はアメリカが態度が次第に変わってきた。それはどういうふうに変わったかというと、つまり日本がソビエトと平和条約を締結しよ うということになると、アメリカの日 ソを対立させておこうという世界戦略にとって利益でないから何とかしてこの四島返還に関する日本の要求をサポートして、そうして日ソ平和条約を結ば せまいとするアメリカの戦略というものが途中で生まれて、そうしてあなたのおっしゃる一九五六年の意見となったと、それに私どもはもう間違いないと見 ているが、その一つの、いろいろな証拠があるわけだけれども、昭和三十一年の日ソ共同宣言ですね、そのときに松本俊一さんが「モスクワにかける虹」 という本を出しておられること、これはあなたも御存じでしょう。
 この中に、一九五五年六月末から七月中旬にかけてアメリカ、イギリス、フランスに対して、「ポツダム宣言第八項の決定はヤルタ協定の決定を指すも のと考えるか。」と。それからもう一つは、「ソ連は南樺太及び千島列島をポツダム宣言第八項の規定により単独、かつ一方的に自国領土と決定し得る や。」と、この二つの点について三国の見解を求めたという記述があります。
 さらに十月に至って、改めてアメリカ政府に対して、ヤルタ会談に参加した連合国首脳は、ヤルタ協定中にクリール諸島の話を使用するに際し、直接北 海道に近接する国後、択捉両島が多数日本人のみの居住する固有の日本領土であり、かつていかなる外国の支配にも属したことがなく、また一八七五 年の日露間条約において、国後、択捉両島を除いたウルップ島までの十八島のみが千島列島として定義されているという歴史的事実を承知していたか どうか。という点、それから二番目が、サン・フランシスコ平和条約起草に主な役割を演じた米国政府は、当時同条約第二条C項にいうクリール諸島と は、国後、択捉両島を含まないものと了解していたかどうか。という点で質問をした、この二件についてアメリカの国務省から回答が来た。この回答を私 があなた方に資料の要求をしたわけです。あなた方はこれは秘密であるから差し上げるわけにはいかぬのですと、御了承くださいということでこのアメリ カ政府の回答を私どもに示さないわけですね。そうして翌年の自己に都合のいいやつだけを私どもにくれるわけなんです。これは、やはりあなた方が自 己に不利益なものは国民に示さない、国会にも示さない、有利なものだけを示して、国民に事実を知らしめない。簡単に言うとごまかすわけなんです。そ ういう態度をとっておることを示しているんじゃないでしょうか。
○政府委員(小和田恒君) 技術的な点にわたりまして大変恐縮でございますが、御指摘がありますのでちょっとお答えさせていただきたいと思います が、先ほど寺田委員の方から、シーボルト駐日代表代行から国務長官代行あての電報の件について言及がございました。この電報は私もここに今原文 持っておりますけれども、ここで言っておりますのは、まさに在日米国当局といたしましては、歯舞、色丹、国後、択捉というものに対する日本のクレーム と、主張というものについては十分な考慮が与えられるべきであるということを言っているわけでございまして、先ほど私が申し上げましたように、平和条 約に至る過程において米側において内部でいろいろな議論が行われたということが推定されるわけでございます。
 その議論というのは政治的な議論もございましたでしょうし、法律的な議論もあったと思います。その法律的な議論との関係で言えば、これも先ほど寺 田委員から御指摘がありましたように、このクリルアイランズというものについては狭い解釈と広い解釈があり得るであろう。狭い解釈というものをとれば、 国後、択捉等は日本に属すべきものであるというような意見も内部の意見として開陳されていることは先ほど御指摘になったとおりでございます。
 他方、今申し上げましたのは米国の内部における議論の経過、公表されました外交文書にあらわれておりますところの内部の議論の模様でありますけ れども、先ほど私が申し上げましたように、対外的な意図の、意思の表明ということになりますと、一九五一年に、恐らくこれは英国からの照会があって それに対する答えであろうかと思いますが、米国の国務省から在米の英国大使館あてにエードメモワールが出ておりまして、その中で、先ほど私が申し 上げましたように、クリルアイランズの範囲に関する正確な定義というものは日ソ二国間で合意されるべきもの、あるいは国際司法裁判所によって司法的 な決定をまつべきものであろうというような意見が出されているわけでございます。
 つまり、このことから推定されますのは、平和条約締結に至ります過程において米国の内部でいろいろな議論があった。あったけれども、米国としては この点について正確な定義を置かない形で平和条約をつくるということになったのであろうと。それで、定義条項はこの条約の中に設けられておりませ ん。
 そこで、私が先ほど来申し上げておりますのは、そういう中において米国が公式にこの問題について法的な立場というものを明らかにしたのは、先ほど 申し上げましたような一九五六年の国際司法裁判所における事件との関連において、米国政府が国際司法裁判所という、世界で最も重要な司法機関で ありますところの国際司法裁判所に対して、みずからの政府の公式的な見解として、このクリルアイランズという問題についての意見を明確にしたという ことが米国の立場を最終的に表明しているものであるということを申し上げているわけでございます。
 そのことと別に、このクリルアイランズというものの解釈を、どういうふうに日本政府としてこの規定についてするかということになりますと、先ほど来申し 上げておりますような、本来カイロ宣言に規定をされ、ポツダム宣言で確認をされ、日本がポツダム宣言を受諾するに当たってその一つの基礎となってお るこのポツダム宣言の条項の中でカイロ宣言に言及をして、カイロ宣言は領土不拡大ということが基本原則としてうたわれているわけでございますから、 それがサンフランシスコ条約第二条の規定を解釈するに当たっての一つの基本的な前提になるべきであろうというのが日本側の考え方であるということ を申し上げておるわけでございまして、ポツダム宣言あるいはカイロ宣言によってこの問題が決せられているということを申し上げているわけではないわ けです。
 むしろ私が最初に申し上げましたように、このクリルアイランズの範囲という問題はサンフランシスコ条約第二条によって決められている問題であるけれ ども、その第二条を解釈するに当たっての基準となるべき原則としてはポツダム宣言、さらにはそれからさかのぼってのカイロ宣言の規定と、連合国がそ れを原則として戦争を終結したその原則というものが、この桑港条約第二条の解釈に当たっての非常に重要な基準になるべきであるということを申し上 げているわけでございます。
○寺田熊雄君 あなた方の御主張は大変矛盾があるのは、カイロ宣言の条項、それを受けたポツダム宣言の条項ということを大上段に振りかぶって、 そして国後、択捉の帰属を論じようとするとこれは大変な矛盾があるんですね。というのは、もしもカイロ宣言の条項を盾にとって領土問題を解決しようと するならなぜ国後、択捉だけに限定するのか。北千島だって同じように暴力で奪取したものじゃない。平和的に日本に一たん帰属したものなんですね。
だから北千島全体を言うべきなのに、あなた方はその条項を言いながらまた国後、択捉だけに限定しようとする。そこに非常に論理的に矛盾がある。だか らそれはだめなんです。
 それはやはりサンフランシスコ平和条約で千島列島を主権、領土権、所有権すべてを放棄したその中に果たして南千島は包含されるかどうかという、そ こに論点を当てないと、あなた方の御主張は矛盾だらけになる。第一、吉田さんだってサンフランシスコ平和条約のときの演説で北千島、南千島という表 現を用いておられるわけです。アメリカの秘密外交文書の中でもやはりノースクリルアイランズとサウスクリルアイランズと、やっぱ り南千島、北千島という表現は随所に出てくるんです。だから、あなた方盛んにカイロ宣言を強調するのはちょっと筋違いなんで、その点の論争はもうい いですよ。だって明らかに矛盾なんだから。
 それより先に一つ聞きたいけれども、一九五五年の十月に今言ったようにアメリカの意見を聞いたときに、アメリカが、千島の地理的名称問題を国際司 法裁判所へ提訴する代案として、米国は、日本が択捉、国後をこれら諸島が千島列島の一部でないという理由で日本に返還するよう、ソ連を説くことにな んら反対するものではない。しかし、歯舞、色丹についてソ連がすでに表明した立場から考えると、この企てが成功することはあるまいと思う。こういう回 答をしたということが松本全権の著書に書いてあるんだけれども、こういう回答がアメリカからあったことはお認めになりますか。
○政府委員(小和田恒君) ただいま御指摘の点については欧亜局長の方から御答弁いたしますが、その前に一言だけ、寺田委員が御指摘になった ことについて誤解があるといけませんので申し上げますが、私が申し上げておりますのは、領土問題の最終的な帰属は平和条約によって決するのであ って、したがってこの問題は基本的には、サンフランシスコ平和条約で言っておるところのクリルアイランズというのはどういう範囲であるかということに帰 着をする、こういうことを申し上げておるわけです。ただ、それを解釈するときの一つの重要な基準として、そのもとにあるところのポツダム宣言、さらには それよりさかのぼってのカイロ宣言の原則というものが一つの非常に重要な基準として考えられるべきであるということを申し上げているわけです。
 したがって、寺田委員が御指摘になったように、もしカイロ宣言、ポツダム宣言を言うのであれば全千島が日本に返ってくるべきではないかというのは、 カイロ宣言、ポツダム宣言だけをとればあるいはそういう主張も可能かと思いますけれども、桑港条約第二条は極めて明確にクリルアイランズに対する 権利、権原を放棄するということを言っているわけでございますから、いわゆる千島列島、つまりウルップ以北の島々に対して日本がそれが日本のもの であるということを主張することは、桑港条約上法的に不可能になっておるというのが政府の立場であるということは再々申し上げているとおりでございま す。
 他方、先ほど来吉田全権あるいは西村政府委員の答弁について御指摘がありましたけれども、吉田首相はこの件につきましてこういうふうに言ってい るわけでございます。千島列島の件につきましては、日本の見解は米国政府に早くすでに申入れてあります。これは後に政府委員をしてお答えをいたさ せますが、その範囲については多分米国政府としては日本政府の主張を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲もきめておろうと思います。しさいの ことは政府委員から答弁いたさせます。こういうふうに申しまして、その後西村条約局長が、先ほど寺田委員が御指摘になりましたように、「條約にある千 島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。」という答弁がございますが、その後、しかし南千島と北千島は、歴史的に見 てまったくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。あの見解を日本政府としてもま た今後とも堅持して行く方針であるということは、たび々この国会において総理から御答弁があった通りであります。こういうふうに述べているわけでござ いまして、要するに日本政府としては、今私が申し上げましたようなことを背景にして、国後、択捉というものは基本的に我が国の固有の領土であって… … ○寺田熊雄君 その歴史的なことは私ども認めているんだから、それを強調なさらぬでいいんです。
○政府委員(小和田恒君) それを前提にして桑港条約第二条の解釈というものが行われるべきであるし、そのことはまた法律的にいっても正当化さ れることであるという考え方を従来からとってきているわけでございます。
○寺田熊雄君 あなたは盛んに歴史的なことを言われるけれども、今私が問題としているのはあくまでも法律的な正当性を持つかということだから、歴 史的なことはいいんです。
 それから、あなたの今お答えになったことは、結局私が今まで言ったことをそっくり認めたことになる。やっぱりカイロ宣言から言えば千島全島を主張す るべきであるけれども、歴史的な根拠で国後、択捉だけにするんだ、サンフランシスコ平和条約で何しろ全部放棄したんですからというような、すべて私 の今まで言ってきたことを是認することになっているんですよ、あなたの答弁は。それより、先に御質問した、アメリカ政府が国後、択捉の要求というもの はしても構わないけれども成功することは恐らくあるまいと思うという回答をしたことが事実かどうか、これを答えていただきたい。
○政府委員(西山健彦君) 当時、重光外務大臣が対米照会につきまして衆議院外務委員会でもって御説明をしておられますけれども、その中では、 長いのでこれを読み上げることは避けますけれども、米側の回答だけ申し上げれば、ヤルタにおいてはクリル諸島の地理的定義が下されたことはなく、 また国後、択捉両島の歴史について論議が行われたこともない。ヤルタ協定は、同協定に表明された諸目標を最終的に決定したものではなく、いかなる 地域についてもこれに対する権原を移す目的、または効果を有したものでもない。ヤルタ協定の当事国が以前にロシア領でなかったいずれかの地域を ソ連に領有させることを意図したという記録はない。
 これが一でございます。
 そして二で、クリル諸島については平和条約中にもサンフランシスコ会議の議事録中にも何らの定義がくだされなかった。クリル諸島の定義についての すべての紛争は、平和条約第二十二条の定めるところに従って、国際司法裁判所に付託することができるというのが米国の見解であるとの回答を受け 取った。こういうふうに答えておられます。したがいまして、先ほど先生から御指摘がありましたような、そのような企ては成功する見込みはあるまい云々 ということは当時の記録にはございません。
○寺田熊雄君 いや、それがそもそも事実を私どもとしては隠していると見ているわけです。今あなたがおっしゃったのは、アメリカの国務省から次のよ うな回答がもたらされたと松本さんが言っておられる一項と二項なんですね。三項というのが抜けているんです。この三項が大事なんです。三項はそれ じゃあなた方ないとおっしゃるのか、松本さんがうそついているとおっしゃるのか、どうです。
○政府委員(西山健彦君) 松本俊一氏は我々の尊敬すべき大先輩でございますけれども、後に回顧録にお書きになりました本の記述につきまして は、私どもがこれをオーソライズと言うのは変ですけれども、それを認めるというふうな立場にはございません。
○寺田熊雄君 そもそも我々は司法官を経験してきておるわけだ。裁判が正確なためには、証人が真実を述べなきゃいかぬ。その真実を述べるという のは、単に積極的に真実と思ったことを言うだけじゃなくて、何事も隠さないということが大事なんですね。あなた方は、この回答を我々に資料として提出 してもらいたいということも、それは秘密だと言って示さない。そして、松本さんの本には、今言ったように、三項についての回答があったことに触れてい る。だから、もしその辺があなた方の主張どおりなら、アメリカ政府の回答を我々に示してそれが一項と二項だけならいいけれども、松本さんのような権 威あるあなた方の大先輩、しかもこのとき全権だったでしょう。それで述べていらっしゃることが全然ないというような ことが了承できるだろうか。普通では考えられぬことだね。
○政府委員(西山健彦君) 私が申し上げましたのは、公的な場で重光外務大臣が本件につきまして公式にお答え申し上げました内容でございまし て、その松本俊一氏が書かれました回顧録のようなものは、これは公的な文書というわけにはいかないのであろうと、そういうことを申し上げた次第でご ざいます。
○寺田熊雄君 これはやはりあなた方が、自己の都合の悪いことは隠していらっしゃると断ぜざるを得ないわけなんです。
 アメリカ政府は、この事件においては択捉、国後は千島列島の一部ではないという理由で、日本に返還するようソ連に説くことには反対はしないと。しか し、「この企てが成功することはあるまいと思う。」と言っておることがこの松本さんのあれに書いてある。この松本さんが虚偽な事実を書いたというふうに は到底考えられない。したがって、アメリカ政府の意向というのは、サンフランシスコ平和条約の後でもやはり日本の主張というものを是認する立場には まだなかった。ところが、鳩山さんが訪ソして、重光さんと松本さんと三人の全権が日ソ平和条約の交渉に入ると、アメリカ政府の考え方がだんだんと変 化してきて、ダレス国務長官は重光外務大臣に対して当時圧力をかけた、この条約を結ぶべきでないと。歯舞、色丹だけで平和条約を結ぶというようなこ とになれば、アメリカは、沖縄は返さぬぞという、もうこれは恫喝だ、そういうことをしたということが松本さんのあれに書いてある。そこからアメリカ政府の 態度ががらっと変わってきた。そして、国後、択捉に対する日本の主張はサポートすると言い出した。それは明らかに日ソを対立させて、一朝有事の際に は日本に軍事的な役割を担わせようとするアメリカの世界戦略なんだ。だから、今、日ソ平和条約の問題はアメリカの世界戦略の上に乗らされてしまっ た。どうです。
○政府委員(西山健彦君) ただいま先生が御指摘になりましたさまざまなことは私も御指摘のような本の中で読んだことがございます。国際政治の 一つの側面を示すものとして興味深くそういう部分は読んだことがございます。
 しかしながら、この北方四島に関します我が国の立場というものは、そういう経緯が何であれ、ともかく我が国の一つの歴史的な使命としてAの国がどう 言った、Bの国がどう言ったということとは切り離して一つの大きな歴史的課題として達成していくべき問題である。そのためには先ほど来お答え申し上げ ておりますように、我々はこの四島というものほかってどこの国にも属していたことがないという事実、それから法的には先ほど申し上げましたような帝政 ロシアですらそれを認めていたというそういうことの上に立脚いたしまして、一貫してその立場を貫くべきであるというふうに考えております。
○寺田熊雄君 大臣にお伺いしますが、松本俊一さんの「モスクワにかける虹」はお読みになりましたか。
○国務大臣(安倍晋太郎君) 一度読んだことはあります。
○寺田熊雄君 今局長から御答弁がありましたように、重光さんは一たんは歯舞、色丹の返還で日ソ平和条約を結ぼうという決意をなさったようです。ところが、ダレスの方から非常な圧力があって、そんなことをしたら沖縄は返さぬぞという恫喝を受けて大変怒ったことがこの著書に書かれております。そのころからアメリカの態度が急に国後、択捉に対する日本の主張のサポートに変わってきておる。そういう文書が一九五六年から出始めました。これ は明らかに東西の対立を背景に日本とソビエトとをいつまでも無条約のまま置いて対立させていくことがアメリカの世界戦略にかなうゆえんだと。それは アメリカの戦略的な一環としてもとらえられていることだと私は思うんですが、大臣はどうお考えでしょう。
○国務大臣(安倍晋太郎君) いろいろと歴史的な文書から確かにアメリカの対ソ関係というのが冷戦時代に入って変化を示す、この事実なんかも出 ていることは、これは歴史的にも明らかでありますし、また日ソ交渉の中で確かに重光さんが歯舞、色丹で合意しようとしたこともこれも歴史の中で明ら かになっておるわけですが、これで決着しなかったのは、むしろ私は日本国内の政治的な大きな変化といいますか、圧力といいますか、そういうものが背 景にあったんじゃないかと思います。アメリカが戦略的にどういうふうな形で進んでいったかというのは、それはアメリカ自身の問題ですが、少なくとも私 は日ソ交渉に関する限り、特に領土問題に関する限りは、日本の政府としての主張は、やはり終始一貫をしておったんじゃないか、こういうふうに思いま す。
 すなわち、北方四島につきましてはこれは固有の領土である、歴史的にも法律的にも日本の領土として返還を求めなければならないという日本の姿勢 は一貫して変わらなかったし、今日に至るまでも変わらない、こういうことでありますし、いろいろと客観情勢の変化はありますけれども、日本の立場は私 は不動の立場で今日まで貫かれておる、こういうふうに思っております。
○寺田熊雄君 大臣と私とは考え方が違うことはやむを得ません。私は法律的な正当性は、つまり国後、択捉が千島列島に含まれないという主張は、 法律的な正当性は一切持っておらないと考えておるわけです。そこが大臣と違うわけですが、ともあれ、この今の主張を日ソ平和条約の締結の条件とする限りは、これは平和条約は私はできないと思います。これは今のアメリカ政府も「この企てが成功することはあるまいと思う。」という見解、回答を一九 五五年の十月にもたらしたという松本さんのこの記述からも明らかでありますし、私自身がかつて本会議で質問したんですが、ソ連に行きましてソ連の 共産党中央委員会の国際部副部長のコワレンコ氏と二時間にわたって大激論して、私はやっぱり日本の立場を主張しますからね、大変な激論になった んですが、しかし彼はこういう紙に、第二次大戦で決まった国境というものはこれは変えるわけにはいかないんだと。国後、択捉というようなもの、この一 番右下の端のところですね、例えば国後、択捉、これが破られればやっぱり全体に影響が出てくるんだ、だからそれは絶対に承諾しがたい、第二次大戦 で決まった国境線は守らなきゃいかぬのだ、これが世界平和のかぎなんだというような主張をかたくなに維持した。
 そういういろんな体験、それからまた日本も吉田さんにしろ西村さんにしろ、それからアメリカにしろ既に南千島、北千島という呼称を用いておる。フラン ス政府も、その当時日本の政府に対して、日本の代表がサンフランシスコ条約で北千島、南千島という呼称を使っているじゃないかということで、アメリカ 政府の意向には従うことはできないという回答をよこしたようですね。それからイギリス政府も、ヤルタ協定に関するアメリカの考え方には同意できない、 ヤルタ協定のインテンションについてアメリカと同調できないということを回答したとこの松本さんは言っているようですが、そういういろんなことを考えて、 これを平和条約の条件とする限りは私は何ぼ安倍さんが大変な御努力をなさってもこれはもう無理だと思います。また、安倍さんが将来どういう地位に おつきになるかわかりませんが、そのときにどういう御努力をなさってもこれはできないと思いますよ。どうでしょう、できると思われますか、あなた。
○国務大臣(安倍晋太郎君) 確かにこれは大変困難な交渉だと思います。そう簡単に決着がつくとは私も思っておりません。既にもう戦後今日まで たっておる、国交が回復されましてから三十年もたっておるわけでありますし、そして今私自身が外相会談で領土問題を直接ソ連の外相と論議しまして も非常にやはり難しいという感じは身をもって感じておるわけでありますが、しかしソ連の態度、姿勢というものも必ずしも私は一貫してはいないと思うん ですね。例えば松本・グロムイコ書簡なんかを見ておりますと、領土問題については 当時のグロムイコ次官から松本全権に対して、ソ連邦政府は、上記の日本国政府の見解を了承し、両国間の正常な外交関係が再開せられた後、領土 問題をも含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意することを言明しますと、こういうこともあったわけでありますし、その後の共同宣言、さら にフルシチョフ書簡とか、また田中・ブレジネフ共同声明といったような事態、いろいろと変化の中で、ソ連が、領土問題は解決済みであるとか、領土問題 は日ソ間にはないとか、そういうことを言ってまいりました。
 テーブルにも着かないというのが今度は着いたという経緯もありまして、確かにソ連の今の姿勢はこれまでと変わらないということを言っておりますし、 非常に厳しい姿勢ではありますけれども、しかし、この三十年の期間の間にもいろいろとソ連自身のやはり領土問題に対する変化というものも出ておる わけでございますし、私は、今後とも日本自身としてはこれはもう不動の姿勢としてこれに取り組んでいくわけでございますし、何としてもこれを解決して 平和条約を締結するというのが日本の外交の基本ですから、これを踏まえて粘り強くやっていくことによって道が開ける可能性も私はある。
 全くこれは困難ではありましょうが、決して不可能な道ではない。幸いにして、アメリカもあるいはまた中国も、最近の、私自身が中国の外相、アメリカの 国務長官から聞いた限りにおきましては、ソ連に対しまして二国間の会談で堂々とこの北方四島問題を持ち出して、日本に返すべきであるということを主 張されたということでありますし、国際的な世論もそういう意味では日本を支持するという状況が強くなってきておるというふうに思っております。大変厳し いとは思っておりますけれども、とにかく全力を尽くさなきゃならない、こういうふうに思うわけです。
○寺田熊雄君 サンフランシスコ平和条約の二十二条でしたかね、国際紛争は国際司法裁判所の裁定にゆだねるということが規定されていますね。ソ 連がサンスランシスコ平和条約に参加していないものですから、この二十二条でしたか、これはストレートには適用はありませんけれども、しかし国際司 法裁判所に提訴することをソ連にやはり慫慂するということはあってもいいんじゃないでしょうかね。かってそういう試みをしたことがあるんでしょうか。それ からまた、将来そういうようなお考えがあるかどうか、ちょっと伺いたいんですが。
○政府委員(小和田恒君) 寺田委員が御指摘になりましたように、桑港条約第二十二条には、この条約の解釈についての問題は国際司法裁判所に 付託することになっておりますが、ソ連は当事国ではございませんのでこれによって問題を国際司法裁判所に提起することはできない、こういうことにな っておるわけでございます。
 そこで、そういうことを離れまして、一般にこの問題をソ連との関係において国際司法裁判所の判断を求めたらいいではないかという点につきましては、 私どもも基本的にはこれは条約の解釈の問題という法的な問題でございますから、国際司法裁判所に付託することが適当であろうと考えて、ソ連側に対 してそういうことを打診をしたことがあったというふうに記憶をしております。しかし、御承知のとおり国際司法裁判所は強制管轄権を自動的に持っている わけじゃございませんし、ソ連は裁判所の管轄権を受諾しておりませんので、ソ連の同意なくしてこの問題を裁判にかけることはできないわけでございま して、ソ連側がこれに対して応じないという状況で今日まで至っておると、こういうことでございます。ちなみにこの打診をいたしましたのは昭和四十七年 のことでございます。当時の大平外務大臣からグロムイコに対してこの問題を提起したのに対して、グロムイコ外務大臣はこれに応ずる考えはないという ことを明確に述べたという経緯がございます。
○寺田熊雄君 その後客観情勢も変わっておりますからね、大臣、ソ連が応諾すればこれはいいわけですから、やっぱり御提案になったらどうでしょう か。
○国務大臣(安倍晋太郎君) かつて日本が正式に提案したこともありますし、これは主として日ソ間で協議によって解決したいというのが基本的な日 本の姿勢でございますが、しかし国際司法裁判所というところで堂々と争うということもそれなりに大きな意味を持つものでありましょうし、今後の課題とし て十分ひとつ検討さしていただきたいと思います。
○寺田熊雄君 最後に国際的にどのようにこの問題が扱われておるかという点を調べるために、アメリカのセンターやイギリス大使館の広報部、それか ら日仏会館等へ行ってアメリカ、イギリス、それからフランスの地図を調べてみたんです。いずれもクリルアイランズの範囲をやはり国後、択捉の方にま で及ぼしているのが大部分のようですね。これはどうでしょうか、やはり諸外国では南千島、北千島という考え方が支配的なんじゃないかというふうに思う んですが、これはどういうふうに考えられますか。
○政府委員(西山健彦君) 地図の問題は、ただいま御指摘のとおり、国によりまして扱い方がいろいろであるというのが現状でございます。北方四島 を日本領土として明記しております国は、韓国、中国、西独、トルコというふうな幾つかの国でございまして、そのほか幾つかの国は、これを係争地域とし て書いておりますが、そのほかは事実上実態的にソ連の管轄下に置かれているということから、ソ連領のように扱っているものもございます。我々の方と いたしましては、その総点検と申しますか、地図は極めて重要な問題でございますので、在外公館を通じましてその都度申し入れを行っているわけでご ざいますけれども、地図というものはそれぞれの出版会社がそれぞれの方針に基づいてつくっているということがあることが一つと、それから、地図を改 訂いたしますのは何年に一回しかできないということがございまして、方針としては日本側の言い分を了解しても、それがにわかには変わらないということ もございます。
 しかしながら、最近の事例といたしまして、非常に我々にとっては心強い動きといたしましては、米国が、これから、米国の公式の地図につきましては、 一九四五年以来ソ連が占領、日本が領有権を主張という注記を必ずつけて、それで、北方四島につきましては、これは斜線を交差させた印をつけるとい うことにした。同じ態度を、米国の、地図事典と申すのでございましょうか、地名事典という、各出版社が参考とする文書の中でもそれをとるということに最 近なりました。したがいまして、徐々にそういう考え方が広がっていくことを我々は期待しております。
○寺田熊雄君 またほかに質問があるんですが、疲れましたし、時間がないので、これでほかの質問は放棄します。
(省略)







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