衆議院 予算委員会 2号 昭和36年10月03日

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○野田(卯)委員 次に北方領土の問題等に触れたいと思いますが、去る九月二十九日、ソ連政府から手交されました、池田総理の返書に対するフルシチョフ総理大臣の回答及び日本の核実験への抗議に対する回答に関しまして、政府の見解をただしたいと思います。
 右の回答において、フルシチョフ首相は、領土問題は一連の国際諸協定によってすでに解決されておるにかかわらず、貴下がこの問題を持ち出されることは、日ソ関係の完全な正常化の途上に人為的障壁を作ろうとしているとの感がある、こう言っておるのであります。私どもは南千島は日本固有の領土であることを主張して参りましたし、またこれを主張する幾多の根拠を持っておるのでございます心また過去の国際語協定においてもこの問題は解決されておりません。従いまして、このフルシチョフ首相の言葉はまことに大いなる暴言であると言わざるを得ないと存ずるのでございます。この回答に対しまして、総理大臣の御見解を承りたい。なおこの返書に関して今後何らかの措置をとられんとするか、あわせてお尋ねをする次第であります。

○池田国務大臣 北方領土の問題に対しまして、フルシチョフ氏がああいう回答をしてきたことは、事実を無視した暴論である、私は絶対にこれに承服するわけには参りません。お話しの通り、幕府時代の日露条約にいたしましても、また明治八年の南樺太、千島の交換の場合におきましても、千島とは得撫島以北十八の島をさすことに国際的になっておるわけでございます。クーリル・アイランズとは、得撫島以北十八島になっておるわけでございます。だからそれに含まない択捉、国後、歯舞、色丹は、当然これは日本固有の領土であります。カイロ宣言を受けましたポツダム条約をわれわれは受諾いたしたのでございますが、カイロ宣言には、やはり固有の領土を侵害するものではないということをはっきりきめてある。そしてヤルタ協定をソ連は持ち出しておりまするが、アメリカにおきましても、これを今では否認する気持になっておる。また先般日ソ共同宣言のときも、アメリカにおきましては択捉、国後は日本の固有の領土であるということを言っておるのであります。これは国際的にも認められておる。しかもサンフランシスコ条約に調印しないソ連が、サンフランシスコ条約で得撫島以北のクーリル・アイランズを放棄したものを、自分の方に放棄したということを言うのは、これはとんでもない矛盾撞着であると私は考えます。その後におきましても松本全権が、領土問題は平和条約のときに話をする、こういうグロムイコとの協定があるのであります。私はこういう事実から申しまして、われわれの主張は絶対に歴史的にも国際的にも正しいと考えておるのであります。


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○河野(密)委員 私は、日本社会党を代表いたしまして、首相並びに外務大臣、関係閣僚に対しまして、主として外交問題を中心としてお尋ねをしたいと思います。
 本第三十九臨時国会におきましては二つの問題が課題となっておると思います。一つは外交問題、現下の国際情勢にいかに対処すべきかという問題であり、いま一つは経済問題、曲がり角にきた日本の経済をいかに指導すべきかという問題であると思います。
 世間では池田首相は自他ともに許す財政経済のベテランであり、外交問題についてはしろうとである、しかるに政治の成果を見ると、くろうとのはずの財政経済政策で大きなミスをやるのじゃないか、かえって外交の面で点をかせぐのではないか、こういう評価をいたしております。これは池田首相としてはおそらく心外なことであろうと存じまするが、世間の評価はそういうふうであるのであります。
 しかし世間が点をかせぐのではないかと言っておりまする池田内閣の外交政策そのものに対して、私たちは決して安心しておるわけには参らぬと思うのであります。経済政策の是非は直接国民の生活にはね返って参りますので、国民の関心もきわめて高く、その成敗利鈍がてきめんにわかって参ります。しかし外交問題になりますると、結果の反応がゆっくりとわかって参りまするので、ややもすればなおざりにされがちであります。しかし国家百年の大計を考えてみるときにおいては、外交政策こそ重要に考えなければならないと思うのでありまして、この意味から、私は具体的な問題につきまして、池田総理の外交政策について、率直なる御見解を尋ねたいと思うのであります。
 第一にお尋ねをいたしたいのは日ソ関係であります。見本市が開かれたのを機会といたしまして、来朝いたしましたソ連のミコヤン副首相が、八月十六日にフルシチョフソ連首相の親書を池田首相に手渡しました。これを契機として、一連の書簡の往復があったことは御存じの通りであります。池田総理は、フルシチョフ首相の主張を反駁して返書を送った中において、平和条約締結の前提として北方領土の解決を求める、こういうことを回答いたしましたのに対しまして、フルシチョフソ連首相から重ねて書簡が参りまして、北方の領土はすでに解決済みである、すでに日本が権利、権原を放棄した領土について、今さらにその死点――死んだところから動かそうとすることは無理だ、こういうことを述べておるのであります。これに対しまして池田総理は、先般の参議院の本会議場を通じまして、領土問題には一歩も譲らない、こういう強硬な見解を吐露いたしまして、本日の本委員会における午前中の質疑におきましても、同じようなことを池田総理は繰り返しておられたと思います。
 そこで私は事の順序といたしまして、この領土問題、南千島を日本の領土なりと主張する理由はどこにあるのであるか、池田総理が領土問題は一歩も譲らぬと言われるその根拠はどこにあるのであるか、これを一つ組織立てて御説明を願いたいと思います。

○池田国務大臣 お求めでございまするから、時間がかかるかわかりませんが、しばらく御清聴を願いたいと思います。
 幕末におきましてわが国民が相当北方に参りました。あるいは千島にあるいは樺太に参りましたことは御承知の通りでございます。しこうしてそういう問題がございましたので、日露の関係におきまして一八五五年、領土に関する条約が結ばれたのであります。その当時も、われわれは択捉、国後は日本の固有領土であるということを確認いたしております。次に明治八年、一八七五年におきましては、日露の間に南樺太と千島の交換がございました。そのときに千島、クーリル島というものは、初めて国際的に得撫島以北十八島ということに相なっておるのであります。このことを考えますと、ちょうど吉田全権がサンフランシスコにおきまして、われわれはきん然とこの平和条約を受諾いたしまするが、歯舞、色丹は日本の領土であり、択捉、国後はいまだかつて日本より離れたことはないのだ。ここに日本の固有の領土であるということをはっきり宣明いたしておるのであります。これが、私が日本の固有の領土であると言う根拠でございます。
 その次に、国際的にこの千島に対しましての帰属の問題が出たのは、一九四一年、大西洋条約でございます。その後において、カイロ宣言におきましては領土不拡張――大西洋条約でも領土不拡張、カイロ宣言でも領土不拡張ということを確認されたのであります。そうしてわれわれは、カイロ宣言に基づくポツダム宣言を無条件に受諾いたしたのでございますから、領土不拡大の原則によって、古来からの日本の領土であった択捉、国後というのは、日本から離れるべきものではないという確信を持っております。あるいはいわく、フルシチョフ氏は、一連の平和条約によってもう既定の事実になっておる、こういうことを言われますけれども、その条約とは何であるか、これはヤルタ協定でございます。ヤルタ協定におきましては、三者の間において樺太、千島はソ連に渡すという密約ができたらしい。われわれは関知いたしませんが、カイロ宣言は関知いたします。その密約によりましてかどうか、サンフランシスコ平和条約の草案につきましては、参議院の本会議でも述べたと思いまするが、昭和二十六年の二月ころのダレス氏の草案は、南樺太はソ連にリターンする、返還する。千島はソ連にハンド・オーバーする、譲渡するという草案であったと私は記憶いたします。その草案ができたゆえんのものは、察するにヤルタ協定にあったから、アメリカもそういうことを草案に書いたのかもわかりません。しかしわれわれが二十六年の九月にサンフランシスコへ参りましたときに議題になりました平和条約につきましては、ソ連に樺太を返すとか、あるいは千島をソ連に譲渡するということは一つも見当たりません。われわれは御承知の通りに樺太、千島に対しまする権利、権原及びあらゆる請求権を放棄すると言っておるのであります。だれに放棄するのか、平和条約に調印した相手国に放棄するのであります。しこうして今の外務大臣のグロムイコは、外務次官、首席全権として参りましたときにこれを指摘しております。草案と違うじゃないか。違うんです。もう返還とか譲渡じゃないのです。これは、日本国が権利、権原、あらゆる請求権を一方的に放棄するというだけであります。ソ連は何の理由があって今までこれを占領しているのでしょう。私は、その平和条約に調印しないソ連が、もう国際的にきまりきった問題だと言うことはフルシチョフの独断だと考えます。しこうして千島の問題につきまして、どこからがクーリル島かということは、先ほど歴史的に申し上げた通りであります。吉田さんも、これは日本の領土から離れたことはないのだ、ヤルタ協定に対しまして、アメリカがこれを有効、無効と言うことは別問題である。ヤルタ協定で話されたより違った平和条約が出てきて、そうしてそれに調印したのであります。私はこのゆえをもちまして、大西洋憲章あるいはカイロ宣言、ポツダム宣言、平和条約のそれからいって、当然日本のものであるということを主張いたしたいのであります。またアメリカにおきましても、この千島の解釈につきましては、一九五六年、択捉、国後は日本の固有の領土であるということを宣言しているのであります。

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○河野(密)委員 私は、この領土の問題はきわめて微妙な問題でありますから、誤解をしないように一つ聞いてもらいたいと思うのでありますが、この固有の領土ということを、どういうとこから平和条約あるいはカイロ宣言、ポツダム宣言――固有の領土ということがどっかに使ってありましょうか。

○池田国務大臣 領土不拡大という原則が打ち立てられております。従って領土不拡大ということの前提には、固有の領土ということがあるわけでございます。

○河野(密)委員 大西洋憲章、それからカイロ宣言、ポツダム宣言、これは一貫していることはお話しの通りであります。しかしカイロ宣言は大西洋憲章とは内容が同じじゃありません。ポツダム宣言はカイロ宣言の条項は守らるべしとは書いてありますけれども、日本の領土に関する問題については別なことが書いてあります。四つの島に限らるべし、並びにその指定する付属の島嶼に限らるべし、こういうことが書いてあるわけであります。ポツダム宣言を受諾している。サンフランシスコの平和条約は、これは池田総理は全権としておいでになったのだからよく御存じだと思うのでありますが、このサンフランシスコの条約は、内容に南樺太あるいはそのあれをハンド・オーバーと書いたとか書かぬとかいうことは別としまして、そのサンフランシスコの平和条約がこのカイロ宣言、ポツダム宣言を受けておることは間違いのない事実だ。そうしますと、ポツダム宣言を受諾し、そうしてサンフランシスコの平和条約を受諾したものが、どうして千島を二つに分けて千島列島という中にある南千島だけを取り出して問題にするか、その理由はどこにあるか、これを私は聞いておる。

○池田国務大臣 これは先ほど申し上げましたごとく、今まで千島列島とは、歴史的に得撫島以北とわれわれは考えられる事実があります。それは千島列島として樺太と交換したとき、あるいはまた一八五五年のあの日露条約でも、私の記憶するところでは、ソ連の千島列島の領土と認めたのは、得撫島以北の十八の島と私は心得ております。しこうして、こうやってみますと、四つの島とは何ぞやというときに、われわれは千島、得撫島以北の千島、樺太は含みません。しかし択捉、国後は、われわれ固有の領土であるということを考えておりますし、大西洋憲章並びにカイロ宣言、領土不拡大ということは、固有の領土は認める、そうしてそれが四つの島ということになっております。四つの島のうちと私は考えておるのであります。

○河野(密)委員 それは池田総理、あなたがお考えになるだけであって、国際的にそういう考え方が認められておるのですか。あなたはけさも言われたと思うのでありますが、アメリカにおいても歯舞、色丹はもちろん、国後、択捉は日本の領土であると認めておるのだ、こうおっしゃいましたが、一体だれが認めておるのですか。どういう根拠によってこれを言われるのでありますか。

○池田国務大臣 まず日本国民が択捉、国後はわが国固有の領土と認めておる。(河野委員「アメリカが認めておる」と呼ぶ)まずです。まず日本国民がそう認めております。しこうして一九五五、六年のあの日ソ交渉のときにも、一応問題になりましたときに、アメリカ政府は、択捉、国後は日本の固有の領土であるとメンションしたと記憶しております。

○河野(密)委員 ただアメリカが明確に公文書あるいは公的の宣言等において明らかにしたかどうかは、それははっきりしていただきたいと思います。私の記憶するところによれば、このヤルタ協定について通訳をしておったボーレン氏がアメリカの上院で証言をしておると思うのでありますが、その中においても、ヤルタ協定は無効であるというようなことをアメリカの政府が言ったことはないと思います。

○小坂国務大臣 これは一九五六年の日ソ共同宣言ができまする際に、アメリカ側としてクーリル・アイランズというものの解釈をしておる。すなわち、総理からお答えになりました通り、得撫以北占守島に至る十八島がクーリル・アイランズであると解釈しているということであります。

○河野(密)委員 私はそれじゃ率直に池田総理にお尋ねいたしますが、池田総理は全権としてサンフランシスコの平和条約に出席されておるのであります。もしそういう考えがあったならば、なぜサンフランシスコの平和条約を承認するその席上において留保するかあるいはそういう主張をなさらないのであるか。ただ日本がそう思うのだ、あとになってそれを言っても無理じゃないですか。

○池田国務大臣 今のヤルタ協定の効力云々の問題につきましては、私は先ほどお話し申し上げますように、ヤルタ協定におきましては、南樺太、千島をソ連に返還あるいは譲渡する、こういうことになっておったのを、草案を作りましたアメリカがそれを変えまして、ヤルタ協定より違った案を出したのでございます。だから私は、ダレス氏並びにアメリカ政府は、ヤルタ協定と違った案を出していることによって、アメリカの気持がわかると思うのであります。しこうして、そんな重要な問題を講和会議でなぜ言わなかったか、こう言われますと、講和会議では吉田首席全権は発言しておられます。固有の領土ということが問題になりますので、歯舞、色丹はわが国の領土であり、言葉は、択捉、国後はいまだかつて日本から離れたことはないという言葉を言われておられるのであります。これは、はっきりサンフランシスコの平和会議の壇上で言っておられるのであります。

○河野(密)委員 私は、池田総理の善意をかりに否定しないといたしましても、これはだれにお聞きになってもわかりますが、法律上の効力というものはこの心理留保――心の底で自分はこう思っていたのだから、リゼルバチオ・メンターリスというのは効力を持たないのです。あなたがそのとき以来どういうことを考えられておったとしても、法律的に効果のあるような行動をしなければ何ら国際的に意義はないわけであります。アメリカはそれならばこのソ連の領有に対して何らかの抗義をしたことがありますか。あるいは平和条約に調印をした諸国のうち、ソ連が樺太、千島列島を領有することはけしからぬ、こういう抗議をした国際的な事例がありますか。

○池田国務大臣 吉田首席全権がそう言われましたとき、いわゆる固有の領土であるということを言われたときに、何らこれに対して異議を差しはさむものはございませんでした。私は、これが自分だけ思ったから意味がないのではないかと言われますが、そうではない。われわれの宣言に対して、その発言に対して何らあれはなかったのであります。しこうして今ソ連が千島を占領しているこの事実については、まことに遺憾です。しかし遣憾だからといったって、合法性を持たすべきものではない。しかもまた千島列島は択捉、国後を含むものだという事例が、今までの歴史にどこにございますか。千島列島のうちに択捉、国後を含むのだという積極的なあれはないでしょう。千島列島、クーリル・アイランズというものは得撫島以北だという事実は、厳然としてあるのであります。これをお考え願いたいと思います。


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○河野(密)委員 私が最初にお断わりしましたように、領土の問題はきわめてデリケートな問題だから、一つ冷静に聞いていただきたいと思うのですが、今いろいろお話しになりましたが、結局するところはこういうところになると思うのであります。
 ソ連が千島を領有するのはヤルタ協定に基づくものである、しかしヤルタ協定というものは、これをわれわれは認めないんだから、そのヤルタ協定というものに拘束されることはないんだ、こういうことが私は一番根本の問題だと思うのであります。
 そこで、これから私の見解を申し上げますが、一つ冷静に聞いていただきたいと思うのです。ポツダム宣言を受諾しました。ポツダム宣言は、カイロ宣言の条項は守らるべしということは書いてありますが、日本に関する条項の点については、カイロ宣言より一そうきびしくなっております。そうして四つの島並びに連合国が規定する島々に日本の主権は限らるべしということになっておるのであります。そこで、ポツダム宣言を受諾して、そのポツダム宣言の精神をそのまま継続したと当然考えられる、これはいかに理由づけをしたとしてもそれは考えられるサンフランシスコの条約というもので、日本は権利と権原を放棄したのであるから、正面からそれらの島々に対する日本の領有であるという主張をすることは非常にむずかしいということは、私ははっきり言えると思うのであります。しかし、この領土をソ連が領有するということはヤルタ協定に基づくのであるから、ソ連が領有するということに対して、これは領有すべきものであるとかないとかいうことは、これは言えると思うのであります。しかし、それはヤルタ協定をわれわれが認めないという立場に立っているのでありますが、しかし、アメリカにしてもイギリスにいたしましても、ヤルタ協定というものに拘束される、少なくともそれに対して拘束されるということを考えておることは間違いのないことであります。これは現にサンフランシスコの平和条約そのものに、日本の権利、権原を放棄せしむるという、放棄せらるべしという条項を平和条約の中に入れたこと自身が、ヤルタ協定というものを尊重している証拠であると私は思うのであります。サンフランシスコの平和条約はヤルタ協定自身を内包している。そこで私の見解によれば、アメリカがかりにヤルタ協定には縛られぬのだ、今お読みになったように、ヤルタ協定には縛られぬのだ、これはソ連が世界平和のために日本の主張に同意するならば非常に望ましいことだという考え方を持つとするならば、アメリカ自身がそういう国際的な何かのイニシアチブをとるとか、動きをするか、新しい会議を持つか、あるいは新しい宣言をするか、そういうことをする必要があると思うのであります。それでなければ、幾ら二つの国の間で文書の交換によって、これはそういうものであるべきだといっても、それは国際的な効力は持たないと思うのであります。
 そこでその場合において、今度は新しく千島列島、いわゆる日本の手を離れて、権利、権原を日本が放棄して、しかもソ連がそれを領有すべきでないということが決定した、その島の処遇という問題については、これまた国際的にそれらの関係諸国においてきめるべきものであって、日本とソ連との間においての話し合いだけでそういう問題が解決するとは私には考えられないのでありますが、そういう点についての見解というものがきわめてあいまいであると思うのであります。そこで私たちがソ連に対して主張し得ることは、われわれはヤルタ協定というものはわれわれの関知し得ないところである、関知せざるところである。秘密協定であるがゆえに、われわれはこれは国際信義の上からもこれに拘束されることはないのだ。しかし、われわれはこのサンフランシスコの平和条約によって、権利、権原をすでに放棄しておるのだから、これに対して正面切って主張するわけにはいかないけれども、国際平和の大局的見地から、ソ連はこの問題について日本と何らかの話し合いをするあれがないかどうか。こういうこと以外に、私は領土の問題に対して日本が主張すべきことはないと思うのであります。これはどうでしょうか。

○池田国務大臣 まず第一にサンフランシスコ平和条約はヤルタ協定を内包する、それを含んでいるというお話でございまするが、私はそう思わないということは、先ほど来るる言っておることでございます。ヤルタ協定におきましては、樺太、千島の問題は、ソ連に返還あるいは譲渡するというのが、ヤルタ協定であったのであります。しこうして一九五一年ですか、昭和二十六年の初め、一月ごろにはヤルタ協定のあのソ連に返還するという草案が考えられておったと私は承っております。しかるにわれわれが調印いたしました条約には、ヤルタ協定に含まれておった樺太、千島をソ連に返すというのは全然ないのです。日本はあの調印した国に権利、権原、一切の請求権を放棄するということでありまして、この点は、平和条約はヤルタ協定とは違っております。そこで内包するとは私は言えぬと思うのです。違っていると申し上げておきます。
 それで第二に、この千島、樺太というものは、ソ連が調印していないのですから、しこうして日本は完全に放棄したのですから、この得撫島以北の千島と、あるいは樺太というものは、あの平和条約に調印した国々がきめるべき問題であって、日本はこれにタッチすべきものではございません。だから私は、ある機会にこの問題を連合国で一つきめてもらいたいということは、ごく非公式に言ったことはございます。だから第二段目の点は国際的にきめるものだということは、私は同感です。しかし、それにソ連が含むか、含まぬかは論外ですよ、ソ連は調印していないのですから。調印していない国に、一方的にわれわれは放棄したわけではないのです。そして今われわれの問題にしているところは、択捉、国後が日本の固有の領土であるか、カイロ宣言に言っている固有の領土であるか、固有の領土であれば、今までの歴史が示すごとく、南千島は放棄したうちに入らない。これは平和条約会議で、吉田さんがあえて発言した事実があるのであります。

○小坂国務大臣 先ほどちょっととりまぎれまして失礼いたしましたが、十八島嶼の名前を申し上げます。クーリル・アイランズというのは一体どこかというのは、一つの問題点だと思いますから、ここで申し上げます。千島、樺太交換条約にあげられておる十八島嶼とは「第一シュムシュ島、第二アイランド島、第三パラムシル島、第四マカンルシ島、第五オネコタン島、第六ハリムコタン島、第七エカルマ島、第八シヤスコタン島、第九ムシル島、第十ライコケ島、第十一マッア島、第十二ラスツア島、第十三スレドネワ及びウシシル島、第十四ケトイ島、第十五シムシル島、第十六プロトン島、第十七チエルポイ並びにプラット・チェルポエフ島、第十八ウルツプ島」こういう合計十八の島を全部列挙しております。これで、何がクーリル・アイランズということは明瞭だと思います。

○河野(密)委員 固有の領土は動かさないということは、これを私がさっきから聞いておるのは、固有の領土は動かさないということをきめたというその証拠はないわけなんです。念のために私はヤルタ協定のあれを見ますと、ヤルタ協定では、先ほど総理も言われましたように、二つのものを区別しているわけであります。そのヤルタ協定で、南樺太については、これは南樺太とその近海の諸島の回復と、こういうことになっております。それから千島列島をソ連は獲得する、こういっております。固有の領土も何もないのです。千島列島を獲得する。これを千島列島を獲得する、こう言った以上は、その千島列島の中に固有の領土が含まれているかいないかというようなことは、ヤルタ協定においては問題になっておらない。これだけは間違いのない事実であります。そうすると、それを平和条約がヤルタ協定とは内容的にも違うのだとあなたは主張されるわけなんですが、それは当時の吉田総理が演説の中で、今あなたがお述べになったようなことを言われたことも私は知っております。知っておりますが、これはこの条約に対する留保条項をつけたのだ、こういうことを述べているのじゃないのであります。ただ日本の意見を述べたにすぎないのであって、一つの演説であります。日本としては、おれはそのとき述べたのだ、こういうことになるかもしれませんけれども、そういうことじゃない、ただ述べたにすぎないのであります。そういうことであります。
 そこで問題は、しぼって参りますと、もしあれだけ世界のことに敏感であるアメリカが、ヤルタ協定というものの権原を認めない、ヤルタ協定というものに拘束されないと考えたならば、私は、日本に命じて千島列島、南樺太の権利、権原を放棄させるというはずがないと思うのであります。それを放棄させて、しかもあなた方は調印してちゃんとその放棄を認めて帰っていらした、そうなんでしょう。そういうことになっておって、問題はヤルタ協定をどういうふうに見るかということであります。もしほんとうにアメリカが誠意を持って、ヤルタ協定というものは秘密協定であるからこれはこういうものに拘束を持たすべきじゃない、将来の世界平和のためにこういうものは認めてはいけないのだという考えがあるならば、国際会議においてなり、国際的な宣言においてなり、何らかの行動を起こさなければならぬはずだ。ただ日本が照会したことに対してアメリカの見解を述べるということによってこの問題の解決にはならないのであります。私たちもヤルタ協定は認めない、われわれはああいう秘密協定は認めたくないという考え方においてはあなた方と一緒であります。一緒であるが、そのヤルタ協定を認めないということになったそのあとの問題というものは、これはわれわれの言うところによれば、ただ認めないからおれのものだ、こういうことでソ連が何だということでいくのじゃなくして、われわれとしては世界平和の見地から、これはそれをソ連が同意するようにしたら非常に世界の平和のためにもなるのじゃないかという方法を見出さなければならない。これは私たちとあなた方との違うところであって、あなた方はただ強がりを言っておればそれで事が足りるような考え方でありますけれども、われわれはそうは考えない。もし日本が言う前に、アメリカがほんとうにそう思うならば、なぜソ連の領有に対して抗議をしないのですか。当然今までほかのラオスの問題にしても、あるいはベトナムの問題にしても、エジプトの問題、チベットの問題にしても、アメリカは抗議をしておるのです。抗議をしておるけれども、それにもかかわらずこの問題に対しては何らの抗議をしてないということ自身を、あなたはどうお考えになりますか。それはヤルタ協定そのものが平和条約の中に内包されておるという、何と弁解しようと、どう言おうと、これは否定できない事実だと私は思うのであります。これは否定すべからざる事実で、ほかのことを言うならば、すべてそれは私は詭弁だと思うのでありまして、しかもヤルタ協定というものは、チャーチルの回顧録を読んでもおわかりになりますように、これはルーズベルトとスターリンと二人だけで話し合って、ハリマンとかそういう人が入っておるけれども、そういう人たちがきめたので、イギリスのチャーチルはただ自分はめくら判を押したにすぎないのだ、アメリカがどうしてもこうしなければいけないというから、それをやったのだ、日本に対してソ連の参戦を求めるためにはどうしても必要だということであるから、自分はそれに対して同意を与えたのだとちゃんと書いておるのです。自分は決してあの条文を作成するについても、協定を作るに対してもタッチしておらぬのだ。アメリカとソ連だけでやったことなんです。そのアメリカがソ連に道義的にか、あるいは政治的にか縛られておる。こういうことがずっと尾を引いておるという事実をわれわれは否定するわけにはいかぬと思うのでございますが、どうですか。

○池田国務大臣 繰り返して申し上げるようでございますが、アメリカはヤルタ協定を守っておりません。それは守るべくやったところ、守らないことに変わったということで、ヤルタ協定できめられたごとく南樺太、千島の問題をソ連にリターン、あるいはハンド・オーバーする、返還譲渡するということが草案の草案には載っています。これは、ヤルタ協定に基づくアメリカの草案でございます。しかしわれわれが調印した講和条約では、ヤルタ協定とは違って、ソ連に樺太、千島を返すということが載っていない。これが私はヤルタ協定を内包していない、こう断定する証拠でございます。しこうして今のヤルタ協定その他の問題のときに、千島とは何ぞやという問題については、何らきめられていない。クーリルアイラズというもには、今言うように一八七五年のあの交換条約にきめられたように、十八島というのが歴史的に残っておる事実であります。また明治八年のときも得撫島以北であります。だから、今のヤルタ協定の問題と、択捉、国後が固有の領土ということは別のカテゴリーでございます。ヤルタ協定というものは、サンフランシスコ講和条約にあの協定とは違った案が出ておるから、内蔵していない。しからばあなたの言われる得撫島以北の千島並びに樺太を今ソ連が占領しておるからという問題につきましては、われわれは択捉、国後に対しましては抗議を申し込みますが、日本としては、得撫島以北の千島と南樺太は連合国に放棄した。これはソ連が占領しておる事実は知っておりますが、われわれは放棄したものでございますから、連合国とソ連との間の問題と心得べき問題だと思います。

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○河野(密)委員 私たちがこの領土問題について今までどういう努力をしてきたかということを一言申し上げたいと思うのでありますが、われわれは今池田総理が言われるように千島列島を分けて、南千島、北千島というように分けて考えてはおりません。われわれはヤルタ協定そのものを、大国間の秘密の決定によって第三国がこれに拘束をされるということは、国際信義の上からいって、国際平和の上からいって非常に望ましくないことである、こういう観点に立って私たちは領土問題に対処しております。従って、私たちは領土に対して、このヤルタ協定に基づくソ連の領有というものはやめてもらいたいのだ、こういうことをわれわれはいろいろな機会においてソ連側に申し入れをし、会談をいたしております。日ソ共同宣言ができた翌年、片山団長を中心といたします訪ソ使節団が参りまして、この点についていろいろ話し合いをいたしました。それから昨年は鈴木さんが参られまして、その点について話し合いをいたしました。それらの点を総合してみますのに、ソ連側の言い分はこういうことであります。千島々々と言うけれども、千島というものは経済的価値はないのだ。何ら経済的価値を認めるべきところではない。日本もかつてはあれを領有しておったが、領有しておった千島列島に対して、りっぱな道路一つ作ってないような状況であって、政治的には全く放置されておった。しかし経済的に価値がないけれども、残念なことには軍事的に非常な価値を持っておる。その軍事的価値を持つがゆえに、わわわれとしてはこの千島の問題というものを非常に重要に考えておる。こういうのがその結論のようであって、ここに軍事基地が作られないという保障は一体できるか、千島に軍事基地が作られないという保障がはたしてあり得るか、こういう点が問題の焦点にしぼられておるように思うのであります。そういう点から考えると、私はあとからお尋ねいたしますが、沖繩施政権の返還の問題、こういうものとにらみ合って解決をする以外にこの問題の解決はない、こういうふうにわれわれは考えるのであります。そうしてもし交渉の結果によって軍事的な基地が作られない、軍事的にこれが利用されないという保障ができるならば、その問題については将来の考慮の余地のある問題である、こういうのが私は偽らざるソ連側の意向であると思うのであります。(「甘い甘い」と呼ぶ者あり)甘いか辛いか、それはわからないけれども、とにかくこういう点が領土問題の核心であって、さっきから池田さんが声を大にして言われるような固有の領土が、一八七五年の条約から引き出してクーリル島がどこからどこまでかというような問題が、領土問題の解決のキー・ポイントじゃないということだけは、私ははっきり申し上げることができると思います。どうでしょうか。

○池田国務大臣 私は歴史的に、条約的に、またわれわれの固有の領土ということの説明のために申し上げておるのであります。しこうして問題は、サンフランシスコ平和条約というものがもう一つの厳然たる事実でございます。あとから、沖繩問題も出るそうですか、そのとき申し上げてもよろしゅうございますが、今のいわゆる択捉、国後を除いた千島、樺太、これにつきましては、連合国に放棄いたしておるのであります。それ以上のことは日本としては申されません。

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○河野(密)委員 私がお答えしますかわりに総理もお答えを願いたいと思いますが、われわれは国後、択捉の問題でなく、いわゆる千島列島というものを考えておるのであって、それは一括してわれわれは考えております。ただもしわれわれの考えが違うとおっしゃるならば、平和条約を国会におかけになりましたそのときに、なぜあなた方は千島という中には北も南も区別はありませんということを言ったのですか。そういうことを言った。私は今実は速記録を持ってくることをあれしましたが、その説明をして、条約局長がはっきりと、千島には南も北もありませんということを言って国会の中において承認を求めております。それは一体どうなんですか。それをどうお考えになりますか。

○池田国務大臣 第一点の問題は、あなた方は、千島は全部日本のものだとお思いになっておるような言質でございますが、私はそうは考えません。得撫以北は連合国に放棄いたしまして、日本のものじゃありません。条約上放棄いたしました。これは日本の発意で、そういう平和条約に、北千島は放棄する、こういう条文にわれわれは欣然と応じた。なぜ応じたかといえば、国際情勢で応じた。しかし南千島は日本の固有の領土であるということをあのとき言った。しこうして委員会で政府委員がそういうことを言ったかもわかりませんが、私の考えでは、その政府委員の発言は間違いと考えております。

○河野(密)委員 私は、政府委員が言ったのは政府を代表するものでないというならば、その当時の速記録を取り寄せて一つあなた方にお見せしてもよろしいと思います。政府を代表してはっきりとそういう答弁をしておるのであります。あなたがあまりその国後、択捉の問題をサンフランシスコの平和条約からずっと一貫して主張しておるように言われるから、私も言うまいと思っておったけれども、あまりそう言われるから私も言ったのですけれども、それははっきり言っておるのです。はっきり言っておるのですよ。千島の中には北も南もありませんとはっきり言っておるのですよ。

○小坂国務大臣 外務省に関する答弁のことでありますから、私からお答えしますが、千島というものは北とか南とかはなかったというのは、日本の行政区画の上においてはあったわけです。いわゆるクリール・アイランズ、千島というものについては、南とか北とかいうような国際的なものはない。要するにわれわれが主張しておるのは、国後、択捉は日本固有の領土であって、千島ではないということを言っておるわけであります。

○河野(密)委員 そういうことを大臣は言われるけれども、あの平和条約を審議する議会においては、そういうことは一ぺんも言われたことはない。千島全体を含むものである、こういうことで平和条約は権利、権原を放棄する、こういうことで承認されたわけであります。この点はあなた方があれするならば、まあほかの問題もあるから、この問題だけで私も時間を取りたくないのであれしますが……。

(省略)

○河野(密)委員 私はベルリンの問題あるいはドイツの統一の問題、それを考える際に、これは日本にとっても頂門の一針だと思うのであります。日本は戦争に負けて平和条約を結んで、こういう事態になったからもう日本の戦争責任というものは帳消しになったというふうに考え、ドイツでも私は西ドイツのあれはそう考えておると思うのです。そこであるいは核武装をするのだとかオーデル、ナイセの線を変えてはならぬのだとか、そういうことを持ち出してくると思うのであります。これが周囲の国々に、数回にわたってドイツ民族の圧迫を受けた人々にどういう印象を与えるかということにつきましての深刻なる気持というものは、ドイツ人にわからない。私はこれが日本人にとっても再思三省しなければならぬ点だと思うのであります。われわれが領土の問題とかいうことをいうのも、ドイツのいわゆるレバンチストがそのオーデル、ナイセの線がどうとかいうことと同じようにとられるのです。それはただ総理の言うように固有の領土だとかいうような議論でいけばそういうことにとられるのです。そこに問題があると思うのです。政府委員ばかりではなく、吉田総理のあれもありますから一つ……。「千島列島の件につきましては、外務省としては終戦以来研究いたしまして、日本の見解は米国政府に早くすでに申入れてあります。これは後に政府委員をしてお答えをいたさせますが、その範囲については多分米国政府としては日本政府の主張を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲もきめておろうと思います。しさいのことは政府委員から答弁いたさせます。」これは単に外務省の政府委員が言ったようなことではなく、吉田総理が答えさせている政府委員である。「条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。」西村政府委員であります。それから西村政府委員の「平和条約は一九五一年九月に調印いたされたものであります。従って条約にいう千島がいずれの地域をさすかという判定は、現在に立って判定すべきだと考えます。従って先刻申し上げましたように、この条約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております。」これはこういうふうに吉田総理が言わしておる政府委員の答弁である。しかも歴史でなく現在に立って判定すべきであると考えます、こういうことを言っておるのでありますが、池田総理は当時の全権として一体これをどうお考えになりますか。

○池田国務大臣 全権としてと言われましたが、私は日本の全権としてのみならず日本の国民、政治家として申し上げます。その前に先ほどお読みになった、吉田首席全権がその問題についてアメリカによく言っておる、こう書いてあったようでございますね。それは、言っておるということを言われたのは、吉田さんから当時ダレスにも、千島の問題については、日本はあれを主張するのだと言われたと私は記憶しております。非公式であります。だから、あの講和会議のときに歯舞、色丹は日本の固有の領土である、日本の領土であり、択捉、千島はいまだかつて日本の手から離れたことはないと平和条約のときに言われたのであります。今お読みになったところ、またあとにもあるように思いますが、吉田さんは、この問題についてはアメリカにも言っておるとこう言っておられるのは、その意味のことを言われたのだと思います。従いまして政府委員の分は、私はおりませんでしたが、その問題につきましては、私は条約局長の言っておることは間違いと思います。
  〔「間違いとは何だ」と呼び、その他発言する者あり〕


○小坂国務大臣 総理の答弁の通りでございます。
 なお補足しますと、先ほど私が読み上げました一九五六年のアメリカの解釈におきましても、択捉、国後両島は、歯舞、色丹とともに常に日本固有の領土の一部としてきたものであり、かつ正当に云々というのがあるわけですね。ですから、このアメリカによく言ってあるということは、これをもっても、アメリカの解釈もさようであるということは明瞭だと思います。
 なお今おあげになりました答弁についてですが、全権がサンフランシスコの会議演説において特に明らかにされた通りでありますと、あの見解を日本政府としても今後とも堅持していく方針であるということを、たびたび国会において総理から御答弁があった通りであります。こういうことを言っているわけです、同じ人が。ですから、今の総理の御答弁の通りでありまするが、なお吉田さんの言われたサンフランシスコの講和条約における演説は、この関係のある部分を読みますと、ソ連全権の演説に触れ、千島列島及び南樺太の地域は、日本が侵略によって奪取したものだとのソ連全権の主張には承服できぬこと、特に日本開国の当時択捉、国後両島が日本領土であったことについては、帝政ロシアといえども異議を差しはさまなかったものであること、さらに一八七五年の日露両国政府は、平和的外交交渉を通して、当時日露両国民の混住の地域であった南樺太を露領とし、同じく混住地域であった得撫以北の千島諸島を日本領とすることに話し合いをつけたものであること、最後に、北海道の一部たる色丹島及び歯舞島は、終戦当時ソ連軍に占領されたままであることを明確にしたものである、こういうことになっておるわけであります。従って、この全文を読んでごらんになりますれば、これで明瞭であると考えるのであります。

(省略)

○横路委員 総理にお尋ねをしますが、西村条約局長の当時の答弁は間違いであるというお話ですが、何も条約局長だけではないのです。これは平和条約及び日米安保条約特別委員会の会議録の第四号、昭和二十六年十月十九日、本委員会におきまして、第五区選出の高倉委員の御質問に答えてのところであります。重ねて私はこの中の点を全体的にちょっと総理にお話しを申し上げたいと思います。当時の吉田総理はこの千島列島の問題と歯舞、色丹の問題を二つに明確に分けて実はお答えをしているわけです。今河野委員からお話がございましたように、もう一度申し上げますが、吉田総理から「千島列島の件につきましては、外務省としては終戦以来研究いたして、日本の見解は米国政府に早くすでに申入れてあります。これは後に政府委員をしてお答えをいたさせますが、その範囲については多分米国政府としては日本政府の主張を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲もきめておろうと思います。しさいのことは政府委員から答弁いたさせます。」こういうので、総理の指名によりまして西村条約局長が答弁をしております。「条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまったくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。あの見解を日本政府としてもまた今後とも堅持して行く方針であるということは、たびたびこの国会において総理から御答弁があった通りであります。」それはそう思います。ところが重ねて高倉委員の質問に答えて、西村条約局長は「平和条約は一九五一年九月に調印いたされたものであります。従ってこの条約にいう千島がいずれの地域をさすかという判定は、現在に立って判定すべきだと考えます。従って先刻申し上げましたように、この条約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております。但し両地域について、歴史的に全然違った事態にあるという政府の考え方は将来もかえませんということを御答弁申し上げた次第であります。」そこで、明らかになるほど総理からお話があったように、当時の吉田総理はサンフランシスコ会議でそういう演説をなさったのでしょうが、それは日本の希望です。日本の希望ですから、先ほどお聞きしていると、総理は、各国の全権が黙っていたから、それは承認したのだろう、こういうお話だが、黙って聞いていたということは、黙殺をされたというようにも解釈されるわけです。そこで西村条約局長は、日本政府としてはそういう考えだが、平和条約にいう千島というのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈するのだ、こういう点を明らかにしたのです。そこで誤解があると困りますから、ここで歯舞、色丹の問題とは別に分けてお話をしています。そこで高倉委員が「過般の講和会議においてダレス全権が、歯舞、色丹諸島は千島列島でない、従ってこれが帰属は、今日の場合国際司法裁判所に提訴する道が開かれておると演説されておるのであります。」一体これはどうなんですかということを吉田総理にお尋ねをしたところが、吉田総理はこの点についてはこう言っているのです。「この問題は、日本政府と総司令部の間にしばしば文書往復を重ねて来ておるので、従って米国政府としても日本政府の主張は明らかであると考えますから、サンフランシスコにおいてはあまりくどく言わなかったのであります。しかし問題の性質は、米国政府はよく了承しておると思います。」従ってまたダレス氏の演説でも特に歯舞、色丹の両島について主張があったものと思います。ここはこうなっているのです。だから歯舞、色丹の帰属の解釈の仕方と、それから政府としては千島列島についてはそういう希望は持っている、そういう解釈の仕方はしている。しかし条約にいう千島列島とは、そこには北千島も南千島も含まれているんだ、こう言っているのです。これは十月二十日、同じくこの条約の特別委員会で草葉政府委員からもこういうように申し上げてィります。「昨日でありましたか、条約局長から申し上げましたように、現在は千島と申しますと、一帯を千島として総称されておると、一応解釈いたしておる次第であります。」こうなっておるのです。ですから、この点は今総理が、一九五六年の九月の何日ですか、いわゆる日ソ共同宣言の交渉の際におけるアメリカ側の言い分を今さら持ってきて、この条約にいういわゆる千島とはどこか。これはあとに至って解釈をしたのであって、この条約にいう千島と明らかに吉田総理が了解し、そのもとに条約局長がこういう答弁をしているわけです。この点は池田総理がどういうようにここで強弁されようと、それは全く事態を誤るし、しかも条約局長の答弁が間違っておるというような、そういう言い方は私は少なくとも一国の総理としては正しくないと思うのです。

○池田国務大臣 今お読みになりましたことを、私は自分でもう一ぺんずっと翫味してお答えする機会があるかもわかりません。今お読みになったことは、私の記憶と合う点が多い。それは吉田さんが言っておられるように、千島のうちには択捉、国後は入らないというお気持がはっきりそのときあったのです。だから、ダレスにそういうことを言われたわけです。 南千島とか北千島ではないのです。択捉、国後は、歯舞、色舟と同じように、日本の固有の領土であるということをはっきり口頭で言われております。だから、そこにそういうニュアンスが出ておるわけです、アメリカへ言っておりますと。だから、そのあとにたびたび申しております通りと、こう条約局長が言っておると思うのであります。で、私はそんたくするのに、われわれ 南千島とか北千島というものはないのです。私の考えではありません。千島というものは、クーリル・アイランズというものは、今の十八の島を言われておるのでございます。だから、南千島というのはどこから出たことか知りませんが、あれは、私の考えでは千島のうちに中千島、北千島、南千島があろうはずはありません、条約上からも歴史からも。そこで条約局長の言うたことが間違いというのは、平和条約の千島のうちに択捉、国後は含まないのだということは、重光外務大臣等たびたび私は言っておられると思います。しからばどっちがほんとうか、どっちが間違いかということになれば、結論的には、私は今までの歴史から考えて、条約局長の言うのが事実に反しておる。間違いという言葉が悪ければ取りかえますけれども、私の考えからいうと違っております。こういうことを申し上げておる。だから、そういう問題については、私はあのサンフランシスコで吉田さんが苦労されてダレスと話をされたときも知っておりますから、それをもう一ぺん私は読んでみたいと思います。


(省略)



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