寛政元年(1789年)六月  御境松前御加勢 
盛岡藩のクナシリ・メナシの蜂起に対する対応が記録されている。(盛岡藩主にあてた松前援軍指示の写しの部分。)

(盛岡市中央公民館蔵) 

『いづれにも外国之儀』と書かれており、北海道東部は『外国』と認識されていたことが分かる。


    爪裏 南部慶次郎

蝦夷人何故に候哉、聊及騒擾候旨
相聞候、早速松前より家来差遣、
取鎮候旨相届候間、最早相鎮候事
可有之候、乍然、いづれにも外国之儀、
万一取鎮之人数不足之儀も候はゞ、
其方え人数之儀申遣候様、松前
志摩守え相達候間、申越次第、人数
早々差出、志摩守相談、蝦夷取鎮
候様可被致候
  閏六月


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