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日ソ中立条約 1941年4月13日
日ソ中立条約
大日本帝国及ソヴィエト社会主義共和国連邦間中立条約(昭和16年条約第6号)
大日本帝国天皇陛下及ソヴィエト社会主義共和国連邦最高会議幹部会は 両国間の平和及友好の関係を強固ならしむる希望に促され 中立条約を締結することに決し 之が為左の如く其の全権委員を任命せり
大日本帝国天皇陛下
外務大臣従三位勲一等松岡洋右
ソヴィエト社会主義共和国連邦駐箚特命全権大使陸軍中将従三位勲一等建川美次
ソヴイエト社会主義共和国連邦最高会議幹部会
ソヴイエト社会主義共和国連邦人民委員会議議長兼外務人民委員ヴヤエスラウ・ミハイロウイチ・モロトフ
右各全権委員は 互に其の全権委任状を示し 之が良好妥当なるを認めたる後 左の如く協定せり
第一条 両締約国は 両国間に平和及友好の関係を維持し 且 相互に他方締約国の領土の保全及不可侵を 尊重すべきことを約す
第二条 締約国の一方が 一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象と為る場合には 他方締約国は該紛争の全期間中 中立を守るべし
第三条 本条約は両締約国に於て其の批准を了したる日より実施されるべく 且五年の期間効力を有すべし 両締約国の何れの一方も 右期間満了の一年前に 本条約の廃棄を通告せざるときは 本条約は次の五年間自動的に延長せられたるものと認めるべし
第四条 本条約は成るべく速に批准せらるべし 批准書の交換は東京に於て成るべく速に行はるべし
右証拠として 各全権委員は日本語及露西亜語を以てせる本条約二通に署名調印せり
昭和十六年四月十三日即ち千九百四十一年四月十三日「モスコーに於て之を作成す
署名 W.モロトフ
松岡洋右
建川美次
声明書 条約締結時の声明です。条約本文では有りません。
大日本帝国政府及ソヴィエト社会主義共和国連邦政府は 千九百四十一年四月十三日 大日本帝国及ソヴィエト社会主義共和国連邦間に締結せられたる中立条約の精神に基き両国間の平和及友好の関係を保障する為 大日本帝国が蒙古人民共和国の領土の保全及不可侵を尊重することを約する旨 又ソヴィエト社会主義共和国連邦が満洲帝国の領土の保全及不可侵を尊重することを約する旨 厳粛に声明す
昭和20年4月5日、ソ連邦政府は本条約の期限満了(昭和21年4月)後に延長しない旨の通告を行い、同8月8日にわが国に対して宣戦を布告した。
日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(昭和31年条約第20号)が発効した昭和31年12月12日をもって日ソ両国間の戦争状態は終結した。
中立条約の廃棄通告 1945年4月5日
ソ連外務大臣モロトフは、佐藤尚武大使に対して、次の声明を発表した。
ソビエト連邦と日本の間の中立条約は1941年4月13日、つまりドイツによるソビエト攻撃前および日本とイギリス・アメリカの間の戦争勃発前に締結されたものである。それ以来、情勢は根本的に変った。ドイツはソビエト連邦を攻撃し、ドイツの同盟国である日本はドイツの対ソビエト戦争でドイツを援助している。それだけでなく、日本はソビエト連邦の同盟国であるアメリカ・イギリスと戦争している。このような状況では、日本とソビエト連邦の間の中立条約は意味を失い、条約の延長は不可能になった。以上述べた理由により、また条約の五年間の有効期限が切れる一年前までに廃棄する権利を規定した第三条に従い、ソビエト政府はここに日本政府に対して、1941年4月13日付の本条約を廃棄する希望を声明する。
出典)『日本外交年表竝主要文書1840-1945』(外務省)(原書房)
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