昭和天皇の政治介入  大臣に反共を命令

 戦後になると、天皇の政治介入は憲法により禁じられた。しかし、昭和天皇は、国務大臣が拝謁したときなどに重要な指図をするなど、国政に口出しをしていることが知られている。以下は、重光葵手記で、天皇が反共・在日米軍の維持を命じたことが、明らかにされている。



重光葵手記

(昭和30年)
八月十九日 金曜 晴
 午前九時、経済閣僚懇談会。防衛、賠償、経済六年計画。
 午前十時より閣議。渡米使命に付て了解を取る。午前十一時半、参議院外務委員会、一時迄。
 一時過発、軽井沢に松本代議士同伴出発。
 午後四時半より鳩山総理と会談。渡米及日ソ交渉、賠償問題等に付て懇談協議す。
 夕食の供応を受け、七時半出発、夜半帰宅。

八月二十日 土曜 晴暑気強し
 午前九時、上野発、那須に向ふ。
 駅より宮内省〔庁〕自動車に迎へられ、御用邸に行く。控室にて入浴、更衣。昼食を賜はり、一時過参入、拝謁す。渡米の使命に付て縷々内奏、陛下より日米協力反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なり、又、自分の知人に何れも懇篤な伝言を命ぜらる。
 三時半発、六時半上野藩。ホテルに入り、直に広河原に向ふ。


出典: 続 重光葵手記 昭和63年5月 中央公論社 P732



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