衆議院外務委員会  昭和31年3月10日


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○森島委員 その点になりますと、私は議論の分れ目だと思う。私ははっきりと重光外務大臣に申し上げますが、私はここにサンフランシスコの講和条約が国会で審議された当時の議事録を持ってきております。これを見ますと、はっきりとロシヤに放棄したのではない、これは講和会議では確かにロシヤに放棄するということは言ってないことは当然であります。それは政治論として、別個に取り扱いますが、これは二十六年十月十九日の特別委員会の席上で吉田さんが申しております。「吉田国務大臣千島列島の件につきましては、外務省としては終戦以来研究いたして、日本の見解は米国政府に早くすでに申入れてあります。」こう申しておられる。この点から考えますと、平和条約に至るまでの経過のうちにおいて、日本とアメリカの間で千島はどこに属するかということについて相当の往復のあったことは、これは推察するにかたくないのであります。このことにつきましては、後段においても吉田総理は言っておる。それからそれに引き続きまして、「これは後に政府委員をしてお答えをいたさせますが、その範囲については多分米国政府としては日本の主優を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲もきめておろうと思います。しさいのことは政府委員から答弁いたさせます。」という発言をしておられます。この吉田総理の発言を受けて西村条約局長が引き続き「条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千舟の両者を含むと考えております。」そうしてその後に歴史的のことに付言されておるのであります。これが一つです。
 もう一つはやはり条約局長は高倉定助委員の質問に答えて、高倉定助委員は「この条約は」、――これは平和条約のことをさしておると思いますが、「この条約は全世界に認められた国際的の公文書でありますので、外務当局がこのクリル群島というものと、千島列島というものの翻訳をどういうふうに考えておられるか、もう少し詳しく御説明を願いたいと思います。」こう問うたのに対して、西村条約局長は「平和条約は一九五一年九月に調印いたされたものであります。従ってこの条約にいう千島がいずれの地域をさすかという判定は、現在に立って判定すべきだと考えます。」「この条約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております。但し両地域について、歴史的に全然違った事態であるという政府の考え方は、将来もかえませんということを御答弁申し上げた次第であります。」こう言っておられるのでございます。そこで吉田さんは講和会議における演説の中において、歯舞、色丹のみならず南千島の問題についても発言をされました。しかしその発言の内容は、要するにこれらの島が日本固有の領土であったということを歴史的に説明せられたにとどまっておるのであります。これに対して明確に留保をするというふうな法的効力を有する措置をとっておらないのであります。このほかにももう一つ吉田総理大臣は「この問題は」――南千島ですが、「日本政府と総司令部の間にしばしば文書往復を重ねて来ておるので、従って米国政府としても日本政府の主張は明らかであると考えます」ということを言っておられるのであります。そういたしますと、これらの公的な記録を基礎として考えますときには、どうしても米国と日本との岡に数次の往復があって、その結果南千島を北千島に包含するのだということに了解がついておったものと確信するのです。これらの関係文書は必ず外務省の記録中にあると思う。非常に重要な問題ですから、これらの往復文吉をも委員長を通じて提出せられるように私は希望いたします。この点に附する現政府の解釈と吉田内閣時代の解釈とが全然異なっておるという点についてはいかようにお考えか、これが私が先ほど申しました国際信用を維持する上において、この重大な領土問題に関する主張を三、四年の間に変えてよいか。また外交の統一性という点も、この点は非常に重要な関係を持っておる、こう私は断定いたすゆえんなのであります。大臣より御所見を承わりますれば幸いであります。

○重光国務大臣 私はその文書の解釈についても、必ずしも今あなたの解釈に同意するわけには参りません。おそらくそういうようなことに立脚してソ連もいろいろ考えて主張をしておるのだろうと考えます。しかしそのときの政府の考え方というのが、たとい今あなたの解釈しておる通りであるとしても、私はそれに異論を持つのでありますが、あるとしてもこれはその問題について一番利害関係を持ち、条約の当事者であるアメリカの意見など十分当時の事情を聞かなければなりません。その聞いた結果がかようなものであるとするならば、それに基いて考えて国際的には少しも差しつかえないのじゃないか。それからまた吉田総理もはっきりと南千島が日本の固有の領土であるということを指摘しておるのでありますから、日本の意向というものはその当時から明らかであった、こう考えるのであります。しかしこれはどういうものか、幾ら議論を往復してみても実はあまり有益でもないように考えますが、御議論は伺うことにして、私の議論も一応御了承願いたい。

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○下田政府委員 ただいま議事録を読んで御引用になりました占領時代から日本政府の出した資料、その資料は実は私が作ったのでありまして、当時から一貫して変りないのでございますが、日本政府のねらいは、桑港会議で歯舞、色丹、南千島等固有の日本の領土であったものは明確に日本の領土に残してもらうような定議を得ることをねらいとしておったわけでございます。そのために占領中から歯舞、色丹初め領土問題だけにつきまして七冊の、民族的にも歴史的にも地理的にも経済的にも、あらゆる角度からの検討をいたしました資料を準備いたしまして、アメリカに出したのであります。なぜかと申しますと、来たるべき講和会議において日本は敗戦国として大きな発言権を行使できない、そうだとするとアメリカ政府が日本政府の立場にかわってそういう歴史的の事実を知っておいてもらわなければいけないという見地から出したのであります。それでしかし御承知のように講和会議では、日本政府の希望するような北方領土の定義は下されませんでした。そのかわり日本政府の希望するような定義は下されませんでしたが、他のいかなる定義も下されなかったのであります。そこで吉田総理は桑港会議の席上、南千鳥につきましてはそれが日本の固有の領土であるということを明言せられておる。記録にとどめる措置をとられたのであります。と申しますのは、将来やがて北方領域のいかなるものを譲渡せしめ、いかなるものを日本に残すかということが国際的にきまる段階になるだろう。日本の希望する定義は下されないとすれば、少くとも将来に対する足がかりだけは、残しておこうということで古田総理は発言されたわけであります。まさに私どもが当時予想いたしましたように、今日におきましてはその桑港条約の定義は下されてないために、今それをはっきりしようという試みが直接ソ連との間に行われておる。そこでそうであるとなりますと、その占領当時から出しておった日本政府の見解、また講和会議に当りまして吉田総理が述べられた見解、それを足がかりとして最も有利な態勢に努力するというのが私どもの立場でありまして、その点におきましては、当時からも一貫いたしておるのであります。


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