参議院 - 平和条約及び日米安全保… - 11号  昭和26年11月06日

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○委員長(大隈信幸君) ではこの辺で休憩をいたしまして、午後は一時半から再開いたします。
   午後零時二十四分休憩
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   午後一時四十三分開会
○委員長(大隈信幸君) 午前に引続き会議を開きます。
○楠見義男君 第二條乃至第四條について若干お伺いいたしたいと思いますが、先ず第二條の関係で草葉政務次官にお伺いいたします。
 それは、昨日もちよつとお尋ねいたしました千島の問題なのでありますが、結論は昨日の御答弁によると、千鳥列島なるのは地理的名称によつたというような意味の御答弁がありましたが、実は色丹島を含む歯舞諸島は地理的に見ますと、大体千島列島に含まれるようなふうに思われるのでありますが、それを特に色丹を含む歯舞諸島は千島列島から除外されておるのは、いろいろの機会に言われておりますように、従来北海道の一部として行政をしておつた、即ち日本の領土主権の沿革的な観点からそういうふうに言われておるのじやないかと、まあ思うのであります。そこで領土主権の沿革的な観点から言えば、昨日も申上げたように、又この委員会で参考人から意見を聽取いたしましたように、国後、或いは択捉というものは日本の領土主権の沿革的な意味から見れば、これは千鳥諸島には包含されない、こういうふうに解釈をせられるのでありますが、而もなお地理的名称による千島列島になつたと、こういう場合に、その地理的名称における千島列島の範囲というものは一体どこがきめるのか。従来公権的に、千島列島というのはどの島どの島というふうに、公権的に明らかになつておつたものがあるのかどうか、この点を先ずお伺いしたいと思います。
○政府委員(草葉隆圓君) これはいろいろな従来の外交的な書類を調べて見ますると、実は千島列島というものについて、詳しく一々島なり島嶼なりを列挙してやるということがなかなか少いようでございます。
 従つてお話のように一つの行政的と申しますか、或いは従来の條約の関係というような点からするといろいろな問題が含まれておる。で、むしろ歯舞、色丹というものは、これは国後群島の一つの延長である、地質学的にも違うというようなことは従来から言われておる通りであります。そういう点から言えば極く通念的と申上げるほうが、却つて常識的と申上げるほうがいいくらいの立場からの島ということを定義することが本筋じやないかと思います。従つて行政的な場合から申しますると、南千島と或いはそれ以北の島とお話の通りすつきり違つておりますから單に行政的だけではいかんと思います。
○楠見義男君 実は問題は、二條で、千島列島に対しては日本があらゆる権利、権原及び請求権を放棄すると、こういうふうに規定されておりますので、従つて問題を将来に残すのではないかという意味でお伺いするのでありますが、今御答弁をお伺いいたしましても、公権的に千島列島の範囲というものが明らかになつておらない。この場合に然らば問題として、例えば歯舞諸島に対して現在ソ連が軍事占領をやつておる、この場合に地理的名称としての点が明らかになりませんというと、例えば日本が権利、権原、請求権を放棄しておる島にソ連が占領しておる場合と、平和條約によつて日本に残された領土に対して占領しておる場合とは、これからの問題としてはいろいろ国際的にも問題を残す余地があると思うのでありますが、そこで最終的に、恐らくこれは国際司法裁判所というような所で明らかになるのか、そのほかどういう所で最終的には公権的に明らかになるのか、その点を先ず伺いたいと思います。
○政府委員(草葉隆圓君) で、もうちよつとその前に今質問のおありになつた所は、私の答弁が不十分であつたかと存じますが、歯舞、色丹は千島列島にあらずという解釈を日本政府はとつている。これははつきりその態度で従来来ております。従つて千島列島という場合において国後、択捉が入るか入らんかという問題が御質問の中心だと思います。千島列島の中には歯舞、色丹は加えていない。そんならばほかのずつと二十五島でございますが、その他の島の中で、南千島は従来から安政條約以降において問題とならなかつたところである。即ち国後及び択捉の問題は国民的感情から申しますと、千島と違うという考え方を持つて行くことがむしろ国民的感情かも知れません。併し全体的な立場からすると、これはやつぱり千島としての解釈の下にこの解釈を下すのが妥当であります。その場合に将来今後どういう問題が起つて来るか。殊に千島にあらずとしている歯舞、色丹について現在軍事占領を行われておる。恐らくこれは引続いた情勢において考えられて来る問題であろうかと思う。この場合には、九月五日の午後サンフランシスコにおきまするダレスさんの演説では、国際司法裁判という方法もあるのじやないか、二十二條による方法もあると言われてゐる。併しそれはソ連がまだ調印をするかしないかわからない時で、会議に出ておりまするから、調印をすることを予想しながらの発言であつたと考えられます。九月八日にはソ連は調印しませんでした。つまりこの條約にソ連は責任を持たない。そうすると、今後はそういう状態において、日本が若しやこの歯舞、色丹の問題を国際司法裁判所に提訴いたしましても、ソ連が応訴をすることをしない場合には取上げられないということになつて参りましようし、従つてこれは総理からもたびたび御説明、御答弁申上げましたように、今後は国際関係において努めて最大の努力をしながら、日本が、これは千島と違い日本の純然たる領土であるということを了解してもらつて、そうしてその了解が円満に解決する方法をとる以外には方法はない。又そういう情勢は、独立後においては幾らでも出て来得る情勢は現在以上にある。こういうふうに考えます。
○楠見義男君 了承いたしました。それでは次に三條の点、これは政務次官でも或いは條約局長でも、いずれでも結構でありますが、三條の前段にあります信託統治という場合に、これはたしか私は形式としては国連憲章の七十七條の(ろ)号によつて行われる、こういうふうに承わつたのでありますが、その点を先ず、さようであるかどうか伺つておきたいと思います。
○政府委員(西村熊雄君) 七十七條の(ろ)号でございます。
○楠見義男君 そこで残された主権の問題について、昨日来いろいろ論議が交されたのでありますが、例えばその一つとして、曾祢委員から二條のように権利、権原、請求権を放棄すると書いてないというだけでは、主権が残されたとは解釈されないのじやないかというような意味からして御質問があり、それに対する政務次官及び條約局長の御答弁を聞いておりましても、これは政府側の希望的な観点からするいろいろの御意見であつたようにまあ思われるのであります。その一つの例として、例えばこれらの島々における日本人の国籍が残る、こういうことが一つの例として挙げられたのでありますが、併しそれは国籍が残るというだけであつて、実は具体的に主権の発動としての司法、立法、行政権というものは殆んど認められない。こういうことになつて参りますと、残された主権と言いますけれどもそこには主権は何も残つておらないのじやないか。そこで今最初に伺いましたように、残された主権という意味は、国連憲章の七十七條の(ろ)号によつて日本からこれらの島々が分離される、従つてそこには主権はないのだ。併しアメリカの好意と言いましようか、それに将来依存をして、そして将来それらの島々が日本に返されるであろう、こういう期待の意味の言葉であつて、そこに主権が残るとか残らないとか、凍結されるとかされないとかと言つてみても、少くともこれらの島々は国連憲章に基いて分離される。こういうふうに理解するのが一番すらつとした理解の仕方ではないかと思うのでありますが、この点について御意見を伺いたいと思います。
○政府委員(西村熊雄君) 御指摘の点は決して日本側の一方的な希望を述べているわけではありません。この條項が入りましたのは、三月の米案からであります。三月発表されました米案について、意見を交換する機会を持つたのは四月でございますが、四月のときから先方は将来信託統治制度に置かれることのあるべき南西諸島について、合衆国はこれに対して日本の主権の放棄を考えていないことを明確にしておりました。ただこれを外部に対して説明する自由を與えられなかつただけでございます。サンフランシスコ会議において公式に米英当局から声明が出た次第でございます。
 第二点の七十七條(ろ)号の分離の解釈でございますが、憲章はただ分離と言つておりまして、信託統治地域になる地域をその領有国から離す方式は具体的に規定いたしておりません。でございますから、主権の放棄を伴う分離方法もありますし、これはイタリア平和條約の場合であります。南西諸島につきましてはその分離方法をこの條約第三條に規定いたしております。その三條に今申上げましたように、明日に第二條と違つて、特に主権の放棄を要請いたしておりませんので、日本の領域として残りつつ信託統治制度に付せられるわけであります。
 従つて第三の点に入りますが、信託統治制度になりました場合に、如何ような程度に日本の主権が残存するか、残存主権の結果としてどの程度顯在的な権能を日本が行使し得るであろうかは、今後合衆国が信託統治を国連に対して提案するまでの間に十分両国話合いの結果、国民の要望は相当かなえてもらえるのであろうと考えているわけでございます。すべては今後の問題で、現実に信託統治制度になつた場合に初めてその御答弁できることになると思います。
○楠見義男君 問題が政治的な解釈と、純法律的な解釈といいましようか、考え方とが混同しておるために、実はなかなか理解が困難であり、又論議が紛糾をしておるのではないかと、これは私一個の考えでありますが、そういうふうに思えるのであります。申しますことは、今もお話にありましたように、分離ということと、それから主権とは別だと、観念上別だということでありましても、併し実際的に考えて見ますと、形式としては分離をされる、そうして分離をされた所に主権の発動としての司法、立法、行政権というものは何ら残らない。ここにありますように「唯一の施政権者」と、こうありまして、従つてそれらの三つの権利については、即ちまあ主権、領土権の発動としての具体的な三つの権利については何ら残らない。こういうことになれば、政治的の観点からすれば、それは潜在的主権であると、こういうふうに理解されても、これはまあ政治的の立場であつて、純法律的に申せばそこには主権というものは残らないのではないか。そこで先ほども申上げたように、分離をされて、そして将来はそれが日本に帰つて来ることを期待する、こういうふうに理解するのが法律的の解釈としては一番すらつとした解釈ではないかと、こういう意味で申上げたのであります。その点についてもう一度お伺いしたいと思います。
○政府委員(西村熊雄君) 楠見委員の御意見を聞いておりまして、私は賛同いたしかねるのであります。私の申述べておることも純法律的の見地から申上げておるのであります。潜在主権というものは決して珍しい観念でないことを先ず頭に置いて頂きたいと思います。第三條が、日本の領域の処分について規定するに当り、主権の放棄を要請していないことは、これらの領域が依然として日本の領域として残るということであり、信託統治制度になる場合にどの程度施政権者が権限を行使するかは信託統治協定によつて具体的に定まるところでございます。従つて我々としては、信託統治協定が信託制度と両立する最大限度の範囲において日本の権能原を残してくれるようにと希望いたすわけであります。それは希望だけでなく、又法律的に可能であると考えるわけであります。條約作成の上でこのことが法律的に可能であるとの立場をとつておるときに、日本側でそういうことは法律的に成り立たぬではないかと言つて、みずから自分の首を絞めるような議論が出ることは、私のちよつと理解しかねる点であります。
○楠見義男君 三條の問題はそれじやその程度にいたしまして、四條の問題についてお伺いしますが、この四條に入る前に、この前の総括質問の際にも申上げたんでありますが、いろいろの問題が、特に旧領土等につきまして強制送還をさせられたということに問題が胚胎しておる。そこで強制送還の根拠について、合法的な根拠についてお伺いいたしましたところ、そのときに條約局長は、それは勝者の権利として認められたものである、オール・イズ・ゴンという言葉をお述べになつて、即ち何と申しましようか、俗に言えば、勝てば官軍式に既成事実が認められた、こういうような意味の御答弁があつたのであります。そういうことになりますと、仮に国際法的に不合法なことであつても、勝てば官軍式にそれが認められるという場合でも、それは何らか後になつてこれを合法化する措置が必要ではないかという観点からいたしまして、特に午前中にもお話がございましたが、この四條の(b)項は既成事実としてこれが認められたのだ、こういうような意味の御答弁からも彼此勘案いたしますと、今の強制送還の措置は、これは国際法的にも必ずしも従来合法化されておらなかつたと思うのであります。従つてそういう意味から言つて、又四條(b)項がこの平和條約に入られた観点からいたしましても、どうしてもこれを合法化せられる必要があつたのではないかとまあ思うんでありますが、この点についてもう一度條約局長から御説明を伺いたいと思います。
○政府委員(西村熊雄君) 前回の御質問は二点でございました。一つは海外住民の強制送還の国際法上の合法性の問題でございます。第二点はこういう人たちが外地に残して帰つた財産の処分についての法的根拠の点でございました。第一点は私、今日依然として勝者の権利によつてこれは説明し得ると考えております。その後御質問を受けましてから又考えて見ましたけれども、それ以外に合法とする論拠はないように思います。それでは強制移住の措置が、従前の戰時国際法の観念から言つて容認できるかどうかという問題になりますが、何と申しましても、二十世紀初頭に制定されました戰時法規、ヘーグの戰時法規でございますが、これはもう今日の近代戰争には適用し得ない法規であることは各国政府もそう見ておるところでございますし、国際法学者もその点大体異論ないようでございます。ただヘーグの平和会議で作成された戰争法規の根本方針、これは依然として活きておると考えてよかろうと思います。で、強制移住という措置がとられましたのは、第二次世界大戰後においてドイツ人と日本人についてでございます。この措置は、戰争終末期におきます連合国の対ドイツ、対日感情、それから終戰末期に連合国政府によつて考えられました対独処理方針、対日処理方針、これから生まれて来た措置でございまして、その措置の対象となつた我々日本人としては決して愉快なことではございません。苛酷な措置であつたと思います。併しながら今日の戰時法規から言つてそれが不法であるとまでは言いにくいのでありまして、むしろ人道問題、政治問題として甚だ苛酷な、文明国らしくない措置であつたという見解を表明する以外になかろうかと存じます。つき詰めれば、戰勝者の権利として戰敗国民に対してとられた措置である、こういう以外になかろうかと思う次第でございます。
 第二点の財産の問題でありますが、これはいうまでもなく、当時も御答弁申上げましたが、第十四條(a)の2によつて合法化されるわけであります。この平和條約が効力を発生するとき、各連合国の管轄内に存する日本財産を留置、清算することができるという規定によつて合法化されます。平和條約の規定によつて合法化されるということになる次第でございます。
○楠見義男君 一九四五年十二月十六日附で以てマツカーサー元帥がその管下部隊に対して訓令を出しておるのでありますが、その訓令は條約局長も御承知のように、連合国の日本占領の基本的目的と連合軍によるその達成の方法に関してでありますが、その中に勿論これは旧領土も含まれておるわけでありますが、「一般人民は個人の自由及び財産権に対するあらゆる不当な干渉を受けることはないであろう。」それから「占領軍は国際法及び陸戰法現によつて課せられた義務を遵守するであろう。」こういうような意味の訓令が出ております。ここにいう国際法及び陸戰法規とは、先ほどお述べになりましたように、その当時と今とでは情勢が違うので、恐らく現在に適用されることについてはどうかと、こういうような意味でお述べになつた陸戰法規を指しておるのではないかと思うのであります。従つてそういう最高司令官の訓令の意味から申しましても、私はこれは明らかに非合法な措置であつたのではないかと、こういうことを確信をするのでありますが、併し非合法な行為であつたとしても、それは丁度この四條の(b)項に述べておりますように、爾後の平和條約によつて合法化されれば、これで又一つの国際的に権威付けられるというようなことになるわけでありますが、この四條の(b)項のような規定もない、單に勝者の権利として認められるというだけのことであるといたしますれば、その勝者の権利として認められるということは、今回の平和会議を契機として初めてのそういつた先例として関係国間の間に暗默のうちに認められることになるのか、或いはどういう観点から国際的にそれが合法的既成事実として合法化されるのか、この点をお伺いしたいと思います。
○政府委員(西村熊雄君) 第二次世界大戰後ドイツ人と日本人に対してとられた所定の境界内への強制移住の問題でございますが、これは何と申しましても、合法、非合法の問題というよりも、戰争末期において連合国が考えておりましたドイツ処理、日本処理の方針から割出された措置であると考えられるものでございます。連合国によつてとられた措置として我々は認めざるを得なかろうと存ずる次第であります。
○楠見義男君 その点で、今読上げたことをもう一度繰返しますが、占領軍の一つの具体的な措置として行われたという御答弁でありますが、その占領軍が国際法及び陸戰法規によつて課せられた義務を遵守するであろうというふうにマツカーサー元帥は述べておるのでありますから、今の御答弁の趣旨ではちよつと理解しがたいのでありますが、もう一度お伺いしたいと思います。
○政府委員(西村熊雄君) この強制送還の措置は、マツカーサー元帥の麾下に対する訓令のような、占領軍の措置としてとられたのではなくて、連合国全般の対独処理、対日処理という最高政策から生まれて来た措置だと了解しておるわけであります。
○楠見義男君 従つてこの国際法及び陸戰法規によつて課せられた義務に反して強制送還をさせられたということになれば、それは非合法と理解するのが常識的であり、又当然だと思うのでありますが、その点は如何でしようか。
○政府委員(西村熊雄君) とられた措置は成るほど日本人、ドイツ人にとつて極めて苦痛な措置でありました。併し私はこれを非合法とは断言いたしかねます
○楠見義男君 この問題はこれ以上やりましても水掛論になりますからやめますが、さつき最後にお伺いいたしましたそういう措置が既成事実として認められるということについては、今回の平和会議において関係国の間に暗点のうちに認められることになつたのか、或いはどういうバツク・グラウンドにおいて、又どういう意味合いからそれが認められるようになつておるのか、その点をお伺いしたいのでありますが……。
○政府委員(西村熊雄君) この平和條約について合衆国政府といろいろ意見を交換する際に、終戰直後にとられました強制移住措置については何ら話をしたことはございません。一度も論議の題目とならなかつたのでございます。

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