日本国魯西亜国修好通商条約


安政五年戊午七月十一日(西暦千八百五十八年八月七日)於江戸調印
安政六年己未七月十日(西暦千八百五十九年八月八日)本書交換

帝国大日本大君と全魯西亜国帝と懇親残厚ふし及び両国人民貿易の規則を立て永久の礎とし弥充全ならしめん事を欲して条約を取り結ぶことを決し日本大君は永井玄番頭井上信濃守堀織部正岩瀬肥後守津田半三郎に命じ
魯西亜国帝はエフミユース、プーチャチンに命じて次の条々を議定せり

第一条 安政元年寅十二月二十一日(則千八百五十五年第一月廿六日)(第二月七日)下田にて定めたる約書はこの条約と共に存し置 同付録並に安政四年巳九月七日(即千八百五十七年十月十二日)(十月二十四日)長崎にて定めたる追加条約は廃すべし

第二条 向後日本政府はサントペートルビュルグに在留する政事に預る役人を任じ又魯西亜国の各港の内に居留する諸取締の役人及び貿易する役人残任すべし 其政事に預る役人及び頭立たる取締の役人は魯西亜国に到着の日より其国の部内残旅行すべし
 魯西亜国帝は江戸に居留するヂブロマチーキ・アゲントを任ずべし 此ヂブロマチーキ、アゲント及びコンシュルゼネラールは其職務を行う時より日本国の部内を旅行する免許あるべし

第三条 下田長崎箱館港の外次に云ふ処の場所を左の期限より開くべし
  神奈川 午七月より十一箇月の後より(即千八百五十九年七月一日)
  兵庫  同断凡五十二箇月の後より(千八百六十三年一月一日)
 此外日本西海岸に於て凡十六箇月の後千八百六十年一月一日より一港を開くべし 其場所の名を開港以前に魯西亜コンシュルに達すべし
 神奈川を開きし後六箇月にして下田港は鎖すべし

第四条 魯西亜政府に日本海港の場所の内にコンシュル或はコンシュライル、アゲント等を任ずべし
 日本政府は其場所に於てコンシュル並コンシュライル役所付属の者及び夫に関する学校病院等取立べき一の場所を貸渡すべし

第五条 前文五港の場所に於て魯西亜人連綿在留又は一時逗留を許すべし 其者等は一箇の地を価を出して借り其所に建物あれば之を買ひ或は賃を出して借り又新に社祠家屋倉庫等を建てる事をも許すべしと雖是を建てるに托して要害の場所を取建る事は決して為さざるべし 此掟の為に其建物を新築改造修復の節々に翻訳人之を見分すべし
 魯西亜人建物の為借得る場所並に港々の定則は各港の役人と魯西亜コンシュルと議定すべし 若議定し難き時は其事件を日本政府と魯西亜ヂブロマチーキアゲントに示し処置せしむべし

第六条 魯西亜人唯商売を為す為にのみ江戸並に大坂に逗留する事を得べし
江戸 午七月より凡四十箇月の後より(千八百六十二年一月一日)
 大坂 同断五十二箇月の後より(千八百六十三年一月一日)
 此両所の町に於て魯西亜人建家を価を以て借るへき相当なる一区の場所並に散歩ずへき規程は追て日本役人と魯西亜のヂブロマチーキアゲントと議定すべし

第七条 日本に一時或は連綿在留の魯西亜人家看を携る事を免し且自ち共宗旨を念し宗法を修ずる事を得べし 長崎に於て踏絵の仕来は既に廃せり

第八条 日本開港の場所に於て魯西亜人遊歩の規程左の如し
  箱館 各方へ几十里
  長崎 共町の周園に在る御料処を限とす
  神奈川 江戸の方に於て六郷川(川崎と品川の間にて海湾に合する川なり)を限とし共他は各方へ凡十里
  兵庫 京都を距る事十里の地を除き各方へ十里 兵庫に来る船々の乗組員は兵庫と大坂との間にて海湾に合する猪名川筋を越べからず
 総て其里数は各港の奉行所より陸路の程度なり 其一里は魯西亜尺度に於て三ウヴョルスタ三百三十ニサーゼン即一万四千百七十五フィート 西海岸に於て追て開くへき一港歩行の規程は日本役人と魯西亜ヂブロマチーキアゲント議定すべし
 魯西亜人重立たる悪事ありて裁判を受又は不身持にして再ひ裁許に処せられし者は居留の場所より一里の外に出すべからず 其者等は日本奉行所より国地退去の事を魯西亜コンシュルに達すべし 其者共諸引合等コンシュル糺済の上退去の期限猶予の儀相協べし 尤其期限は決して一箇年を越べからず
 寺社及ひ休息所を除くの外凡て城堡役所及ひ門ある所へ招なくして来り訪べからず

第九条 双方国人品物を売買する事総て障なく両国の役人是に立合はず諸日本人魯西亜人より得たる品々を売買或は所持し用る事妨なし(此箇条に条約取行ふ時国中に触渡すべし)魯西亜人日本の賎民を雇ひ商売向其外諸用事に充る事も免ずべし
 条約に添たる商法の別冊は互に本書同様に心得べし

第十条 総て国地に輸入輪出の品々別冊の通日本役所へ運上を納むべし 日本の運上所にて荷主申立の価を奸ありと察する時は運上役より相当の価を付け其荷物を買入る事を談ずべし 荷主若し之を否む時は運上役入より付たる価に従て運上を納むべし 承允する時は其価を以て直に買上べし 輸入の荷物定例の運上納済の上は日本人より国中に輸送する共別に運上を取立る事なし 商税目録に定めたる運上高日木船及ひ他国の商船にて外国より輪入せる同一荷物の運上を減する時は魯西亜人も同様に処せらるべし
 魯西亜政府海軍用意の品神奈川長崎箱館の内に陸揚し庫内に蔵めて魯西亜政府番人守護する物は運上の沙汰に及はす 其品を売払ふ時は買受人より規定の運上を日本役所に納むべし

第十一条 阿片の輸入は厳禁たり 若魯西亜商船三斤(魯西亜量目四ポンド三十六ツロッツニック)以上持渡らは其過量の品は日本役人之を取上べし 魯西亜人日本に於て阿片商売に付て罪状ある時は其品取上一斤に付二十ルーブルの過料を日本役所へ納め猶本国厳禁の掟を以て罰すべし

第十二条 軍用の諸物は日本役所の外へ売べからず 尤外国人互の取引は差構ある事なし 米並黍は日本逗留の魯西亜人及ひ船に乗組たる者又は船中旅客食料の為の用意は不足なく與ふ共積荷物として輸出する事を許さず 産する所の銅日本要用の余分あれば其時時日本役所にて公けの入札を以て払渡すべし

第十三条 外国の諸貨幣は日本貨幣同種類の同量を持って通用すべし(金は金 銀は銀と量目を以て比較するをいふ) 双方の国人互いに品物の代料を払ふに日本と外国との貨幣を用る事妨なし 開港後凡一年の中各港の役所より日本の貨幣を以て魯西亜人願次第引替渡すべし 日本諸貨幣は(鋼銭を除く)輸出する事を得並に外国の金銀は賃幣に鋳るも鋳ざるも輸出すべし

第十四条 双方国人の争論ある時は両国の役入吟昧を遂げ日本人罪ある時は日本役所にて之を罰し魯西亜入罪ある時は其国のコンシュルより之を罰する事 都て下田条約約に定めし如し
 法を犯せる魯西亜人の事に付てはコンシユル願に依て扶助すヘし共雑費は事毎に魯西亜コンシュルより相当の償を出すべし 魯西亜コンシユル居合さる港にて犯法の魯西亜人は日本役人捕押へ最寄のコンシユルに達し之を処置せしむべし
 此条約中の規定並別冊に記せる所の法則を犯すに於ては魯西亜コンシユル裁断所へ申達同所にて吟味の上取上品並に過料は日本役所へ差出すべし

第十五条 追て日本と魯西亜国の条約を改め又は加入せんとする時は両国政府再検する事当然たりと雖此条約調印より凡十四年を過る後両国の内より一固年前に通達すべし

第十六条 此後他国の者に許容せる廉は猶予なく魯西亜国へも免ずべし
魯西亜国に於ての日本人も同様たるべし

第十七条 此条約の趣は来未年六月二日(即千八百五十九年七月一日)より執行ふべし
 本条約は日本大君の御名と奥印を署し老中倶に名を記し魯西亜の方にては国帝自ら名を記し高官の者倶に名を記し国印を鉛して以て証とすべし 此本書は来未年六月二日(千八百五十九年七月1日)迄の内或いは其以前にても都合次第江戸又はサントペートルビュルグに於て取替すべし
 此条約書は日本語魯西亜語に認め双方の全権各本国の文に調印し和蘭訳文は双方通詞名を記して是を添て取替すもの也

安政五年戊午七月十一日
紀元千八百五十八年
アレキサンドル第二世即位四年八月(七日 十九日)於江戸

永井玄蕃頭 花押
井上信濃守 花押
堀織部正  花押
岩瀬肥後守 花押 
津田半三郎 花押  
グラフ、エフ井ーミー、ブウチヤチン 手記

旧字を新字に変え、変体仮名を通常仮名に変えた。適宜ひらがなに濁点をつけ、また文中に適宜空白を挿入した。


出典

タイトル:法令全書. 慶応3年
出版社:内閣官報局
出版年月日:明20-45
公開URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787948/295



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