第二次大戦を前に欧州でも東アジアでもきな臭い紛争が勃発し、次の戦争に備える時期にあった。兵器としての航空機は全金属製の単葉、高度なフラップや引込脚を装備し、ある意味で洗練されたというか、研ぎ澄まされたデザインが主流となって、戦闘機では
500km/hを超える速度が当然のようになってきた。
また、夫々の戦略の基づき、日・米・独・英のお国柄(コンセプト)が航空機の設計にはっきりと表れてきた。 偏見を恐れずに言うと、機能に徹したドイツ機、芸術的な曲線を得意としたイギリス機、生産性と頑丈さが採りえのアメリカ機、その点、日本機はバラエティに富んだ飛行機を作っているが、何故か繊細というか、和服を思わせる、きゃしゃな感じがする。
しかし、その一方で飛行機の運用目的と技術を突き詰めていくと、だんだんに究極に近づく画一的なデザインとなっていって、面白みが薄れてきたと言えなくも無い。
そういった中でも、先を見る技術者は、それまでの概念を超えた次のブレークスルーするテーマを探し出し、新たに革新的な挑戦を始めていた。
|