昭和10年夏、海軍が三菱・中島の両社に試作させたもので、両社とも激しい受注合戦となった。中島は社内呼称Kとして三竹忍技師を中心に、中村勝治技師ら若いスタッフが、低翼・単葉・引込み脚の基本構想の元に、世界水準を抜く艦攻づくりにチャレンジした野心作である。
試作1号機は三菱機とともに昭和12年2月から11月まで比較実験が繰り返されたが、晴れの比較初飛行において、固定脚の三菱機のに対し、初めての本格引き込み脚の中島機は離陸後順調に脚を揚げて飛行の後、いざ着陸時に脚が油圧故障で出ず、延々2〜3時間も上空を旋回し、やっとのことで手動で脚出しに成功し着陸できた話しは有名である。
この様に審査では、着実設計の三菱機と将来性の中島機で結論が出ず、結局は両機併用となり、九七式1号艦攻は中島機、九七式2号艦攻は三菱機となったが、中島機は後に発動機を「光」から、小型で高出力の「栄」14気筒970馬力に換装し九七式3号艦攻として、本格的量産に入り主力艦攻となった。
生産は中島で870機、他社製を合わせ1,250機となっている。上のイラストは「光」搭載の97式1号艦攻、カウリングがずんぐりと大きい・早暁の海を上昇する様は妙に静けさを感じるのは何故だろうか。 |