双フロート(浮舟)式の多発大型水上機は、ヨーロッパでは各国で開発され、重用されていたが、日、英、米という大海軍国では全く使われなかった。これらの国では、大洋での作戦を主に考え、大型飛行艇のほうが凌波性でも、性能でも有利と考えていたからだ。
ヨーロンパでは地中海やアドリア海あるいは黒海の沿岸、また北欧のフィヨルドなどを基地として活動し、運用面でも魚雷による艦船攻撃や機雷の敷設を考えていたから、胴体下面に爆弾倉を設けられるこの形式が重視されていたのだ。
この画のカントZ506Bアイローネ哨戒・爆撃機もその中の一つである。原型となったZ506はアラ・リットリア航空向けの木製3発旅客機として1935年に完成し、ベイロードを積んだ状態での、速度、高度、航続距離で16種類もの水上機の国際記録を樹立したり、風力級4の海面で離水、風力級5で着水を試みるなどして、高性能と凌波性を喧伝していたが、770馬力のエンジン3基の機体に乗客12人は旅客機としては、いかにも経済性が悪かった。
しかし軍用機としてはその高性能が有用だった。Z506Bは胴体下面に長いゴンドラを張り出して、魚雷や各種爆弾を搭載できる兵器倉とし、その前端に偵察・爆撃手席、後端に銃座を設置し、また胴体後背部を細くくびれたかたちに変え、そこに旋回銃塔が設けられている。
第2次世界大戦の初期には積極的な攻撃任務にも使われたが、この程度の性能では被害も大きい。後期にはもっばら哨戒・救難任務に、戦後も小数機が救難用に使われていた。小池さんのカレンダー用の図柄としては珍しくクローズアップした構成で、しなやかな面の中に力強い迫力を感じます。(1999年カレンダーより) |