第二次世界大戦の開戦から3ケ月ほどした1939年12月、南大西洋方面で通商破壊作戦に従事していたドイツのポケット戦艦グラーフ・シュペーは、ラプラタ河口沖でイギリス巡洋艦隊と遭遇、激戦の後、中立国ウルグアイのモンテビデオに入港した。そのカタパルト上に望見された新鋭水上偵察機が、このアラドAr196だった。
錐揉み飛行からの回復を容易にする、独特の垂直・水平尾翼の形状とその配置から、一見してアラドの機体だと識別できたし、随所に前作、アラドAr95のドイツ機らしい無骨なラインが残っていたが、当時の列強海軍の艦載水上偵察機は、わが国の九四式、九五式水偵を初め、イギリスのシーフオツクスやウォーラス(2001年掲載)、アメリカのグラマン」2Fと、いずれも複葉機だったから、Ar196の低翼・単葉、双浮舟というスタイルは、いかにも新鮮だった。
開発開始は1937年、同じ年、日本海軍も十二試二座水偵(中島、川西)を競争試作している。どちらもアラドAr196に非常に似通った形態、寸法だったが、採用にならなかった。日本海軍は、その後、零式水上観測機(複座)、零式水上偵察機(3座)、二式水上戦闘機(ゼロ戦の水上機型)という多彩な水上機を揃えて太平洋戦争に臨んだが、ドイツ海軍は終戦まで、このアラドAr196Al機種で戦い抜かねばならなかった。
アラドAr196A−3は、翼内に20mm機関砲を追加装備して、北フランス・ビスケー湾の潜水艦基地の防空に当たった機体。その後、この画のように、地中海やその他の海域にも姿を見せるようになった。 (2002年カレンダー掲載) |