- 上の緒元だけをみると、「隼」(キ43)に、「鐘馗」(キ44)の主翼をつけ、「零戦」並みの武装をした戦闘機といえる。
こう並べると、いかにも優れた戦闘機になりそうだが、現実は翼面積が過小で、その高翼面荷重(重量/翼面積)を活かすにはパワー不足ということになった。
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- フランス発の資料では「MB152は操縦性や運動性が良く、頑丈で急降下速度が大きかった」とされているが、「運動性が良く」は評価の基準が違うのではないか。 当時の列強の戦闘機より勝っていたとは考えにくい。 MB152を一流戦闘機にするには、重量増大を防ぎながら、パワーを増すか、翼面積を増さねばならない。
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- それを実行したのがMB150シリーズの最終型MB157(ノームローン14R4:1,580hp)だ。1939年12月から製作が始まり、フランス降伏後も作業が続けられ、1942年3月に完成し、最大速度710km/hをマークしたと伝えられている。
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- それはそれとして、第二次世界大戦が始まったとき、MB152がフランス空軍期待の新鋭戦闘機の一つであったことは間違いない。 しかしドイツでナチスが台頭し、民生用航空機の名前で航空戦力を整備しているのをフランス政府は看過していた。 危機を感じ、泥縄で再軍備を進めたが、基盤産業の整備が肢行的なまま開戦の日を迎えた。 大戦が始まってから3ケ月たった時点でMB152は360機程が完成していたが、その中の約160機はプロペラや射撃照準器の生産が間に合わず飛べない有様だったとされている。
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- 小池さんの画はフランス降伏後ナチス・ドイツに従属したヴィシー政権で使用されていたMB152である。 初期のドゴール政権(降伏後亡命)の機体塗装は迷彩色で伝統的にラダーだけが3色旗に塗られていたが、その機体と識別するために胴体と主翼に白い帯を設け、そして前後が戦闘機と思えない派手な塗装になっている。
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