H.P.フォランドが設計した一連の航空機の中で、第一次世界大戦終了後の平和な時期に登場したイギリス空軍最後の木製構造の複葉機であった。設計は1923年に発行された仕様書に基づき、前作のクリーブの一般構造と優れた操縦性を保持しつつ、旋回性を重視した軽量小型の複葉戦闘機の中の代表的存在で、初飛行直後から注文があいつぎ、合計82機のMk1が製作された。
大きな揚力をだせる反りの強い翼型を使った上翼と、反りの少ない翼型を使った下翼とを組み合わせた複葉だから、どんな格闘戦闘をしても失速をすることがなく、しかも舵は効きすぎるくらいに効いたから、まさに平和な時代のベテランパイロット好みの戦闘機であった。エンジンが空冷星型9気筒のジュピターで、軽量で信頼性が高かったことも、パイロットから好まれた要因の一つだった。
ゲームコックはフィンランドでもライセンス生産されたが、日本でも中島飛行機(株)が、ゲームコックの翼幅と翼面積を増した艦上戦闘機型ガムベットの技術を導入し、日本海軍の三式艦上戦闘機として国産化した。ゲームコックの操縦性を引き継いだ三式艦上戦闘機は、もちろん日本のパイロットからも好まれた。
中島飛行機では、この時、ブリストルからジュピターエンジンのライセンスも取得した。ジュピターはやがて自社開発のエンジン「寿」に成長し、中島飛行機(株)のエンジン部門の基礎が築かれることとなった。 |