日本海軍は列国の海軍の中で、戦艦や巡洋艦に載せてカタパルトから発進する水上機の開発と運用に際立って熱心であった。
九○水偵・九五式水偵・零式観測機・零式3座水偵に加え、2式水戦・強風と数えれば切が無い。その中で最後を飾るのが昭和14年に海軍が川西と愛知に発令した十四試高速水偵(後に「紫雲」となる)と十六試水偵だった。
前者は敵戦闘機制空下にあっても強行偵察可能な単一目的に徹したものであったが、後者は急降下爆撃さえも可能な多目的高性能水上機の発令であった。「瑞雲」はこれに応える性能とスタイルを備えた力作であった。
昭和16年の初めから愛知の松尾喜四郎技師を主務者として設計を開始し翌17年5月に試作1号機を完成させた。とくにユニークなのは水上機でありながら急降下可能とするために機体強度を大きく取ることは勿論、フロート支柱に急降下時の速度を制御するために支柱の両側に開く抗力板(スポイラー)を採用したことである。当初はそれを開くと振動を引き起こしたため抗力板全体に孔を明け解決を見たが強度とのバランス対策に長い道のりを要した。
昭和18年になってようやく制式採用となり、19年から量産に入った。しかしもはや本機を搭載して活動できる艦船は残っておらず、フィリピンや沖縄作戦では秘匿していた水上機基地から発進して敵艦船の攻撃の任にあたった。イラストは雲の合間から突然現れる不思議さを感じる。
愛知では昭和20年の6月まで194機作られ、他に横浜の日本飛行機でも59機が生産された。 |