この作品を手にするなり、「本当にきれいな飛行機ですね」と小池さん。銀河は中島飛行機の傑作エンジン「誉」を搭載し、5000kmを超える長大な航続距離と戦闘機並みのスピード、雷撃・水平爆撃・急降下爆撃が可能な強度と優れた操縦性を持つ傑作機だった。
1940年に第一線の航空参謀より将来の洋上作戦のために、「爆弾搭載量1トン、航続3,000浬(5,500km)の急降下爆撃機ができないか」との希望的構想が持ち上がり、翌年、雷撃も出来ることを加え、計画要求書としてまとめられた。空技廠では山名正夫博士をりーダーとする空技廠の三木忠直ら技術将校チームが設計に取り掛かった。
当時としてはけた外れの性能要求であることから、機体の前面面積を出来るだけ切り詰め、軽量化に努めた。操縦席も単操縦式とし、前方の偵察爆撃員と後方の電信兼射撃手の乗員3名とした。発動機は当時まだテスト段階であった中島の十五試「ル号」(後の誉)を選んだ。これは制式エンジンでは要求性能がとても得られず、小径で高出力が必要だったためである。主翼は高速を出すため高翼荷重にし、かつ縦横比を7.3とした独特の設計となった。
1942年1号機が完成し飛躍的な高性能が確認され量産が決定されたが、その後、誉エンジンの不調から制式化が遅れ、中島飛行機で1,002機、川西航空機で96機生産された。
初期の試作機は概ね予定通りの性能を得ていたが、実戦の段階では戦時下の物資の品質低下が著しく、 量産の誉の不調が続き、稼働率は決して良くなかった。とくに、油圧系統が複雑で過熱やオイル漏れに悩まされた。
しかし、優れた性能とその優美な姿は、大戦後、英国の航空誌に「驚くほど洗練された設計。 時速35Oマイルの世界最高速爆撃機」という記述が載つたほど。
作品の左上方からの素直な構図。アングルを「おとなしい」と見る人もいるだろうが、銀河の洗練されたフォルムを表現するには、この角度、この空(大気)の色が最適なのに違いない。 |