450.愛知 艦上攻撃機「流星改」(B7A2)[日本-海軍]

AICHI CAPRIER TORPEDO BOMBER "RYUSE.-KAI" (B7A2)[JAPAN・NAVY]


初飛行:1942年12月
全幅:14.40m、 全長:11.50m、 総重量:6,500kg、最大速度:542km/h
発動機:「誉」12型 1,825馬力、 武装:魚雷または爆弾800kg、 乗員:2名
Illustrated by Shigeo Koike , イラスト:小池繁夫氏

 「この日本機離れしたフォルムは好き。ぜひ一度描いてみたいと思つていた飛行機です」。しかし、この流星を描くのは大変。生産機数はわずか117機で、写真は少ししか残つておらず、飛行中のものとなると皆無に等しい。

 昭和16年に海軍から愛知に対して「過酷とも思える要求性能の高性能艦載機の試作命令」が出た。試作1号磯が完成したのは1942年12月だが重量過大とエンジンの不調に悩まされ、量産機が完成したのは敗戦間近い1944年になってからという事情がその背景にある。

 なにしろ雷撃、水平爆撃、急降下爆撃が可能な上に、零戦なみの運動性能まで要求されたのだから無理もない。愛知は尾崎紀夫技師を主務者としてあたった。空気抵抗を減らすために魚雷を除く各種爆弾は爆弾倉に完全に収納すると共に、主翼付け根の抵抗を減らすため中翼とし、そのため長くなる主脚を短くするために逆ガル式を採用した。

 この主翼に特徴ある機体が、実際に太平洋の上を飛行する姿は少なかったわけだが、小池さんのイマジネーションの力が作品上にそれを表現してくれた。日本に近い海なのだろう。雨が降る深く沈んだ濃緑の海面と、機体の色が同化するようで美しい。

 もう少し本機の意欲的な設計の特長を述べる。 先に述べたように昭和16年(1941年)に出された軍の要求は「艦攻」と「艦爆」両機種統合案の最初の試作機であり、眞に厳しいものであった。 最高速度要求は、爆弾を含む全装備で 300ノット(556km/h)以上、航続距離1000浬(1852km)、離艦滑走距離100m以下、着艦速度65ノット(120km/h)以下、武装は20mm機関砲×2門まで備えるものであった。

 そのためフラップは効率の良い二重スロッテッド式で、これを下げるとエルロンも同時に15度下がる機構を持っていた。また急降下爆撃時の安定性を保つために、尾翼調整装置及びフラップ前に抗力板を設けこれらを油圧で制御した。 また主翼は油圧折りたたみ式で、主脚も、爆弾倉も含め同様に油圧操作であった。 武装は20mm砲2門、7.7mm機銃2門、13mm後方旋回銃1門で、世界最強の武装となった。

 試作1号機は設計の不手際もあって重量がかなりオーバーしたため、各部について再設計が行われ改造に長い期間を要した。増加試作は8機に及び初飛行は昭和18年(1943年)となった。そして生産に入ろうとしたとき、愛知県は東海大地震に見舞われ、壊滅的な打撃を受けると共に、中島飛行機の「誉」エンジンも工場の度重なる爆撃と資材の極度の悪化により、所定の性能が出ず「流星」は活躍することが出来ずに終戦を迎えた。 この「流星」の1機が米国スミソニアンのPaul E.Garber Facilityに保管されている。その「流星」の機種部を目の当たりに出来たが、カウルの上面は簡便な補修が行われていてオリジナルとは異なっていたものの、胴体形状の特徴に感動した。

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