299. ウエストランド"ワールウインド" 戦闘機 [イギリス]
   WESTLAND "Whirlwind" Fighter [U.K]

 

全幅:13.70 m、全長:9.83 m、翼面積:23.2 u、
発動機:Rolls-Royce・Peregrine液冷V型12気筒800馬力、
総重量:4,697 kg、最大速度:579km/h/4,575m、
武装:機関砲20mm×4 227kg爆弾×2
乗員:1 名
初飛行:1938年10月
 
                                                 Illustrated by KOIKE, Shigeo  , イラスト:小池繁夫氏 2006年カレンダー掲載

 この戦闘機が日本の航空雑誌に初めて登場したのは大平洋戦争の開戦前後だったが、航空マニアたちは、その高性能を感じさせる斬新な設計に息を呑んだ。 
 アスペクト(縦横)比8.1という戦闘機らしくない細長い主翼に、卵形のクリーンなエンジンナセルが組み合わされ、前縁のスラット、後縁のファウラーフラップが高翼面荷重を示していた 。鉛筆のような細い胴体の機首から当時としては強力な4門の20mm機関砲が4門も突出していた。 T型尾翼と欧米の戦闘機では最初の涙滴型のコックピットキャノピーが、か細くかつズン胴な胴体のデザインのアクセントにもなっている。 
 
 この戦闘機を設計したのは、当時、新人で、後のジェット機時代にEEキャンベラ軽爆撃機、フォーランド・ナット軽戦闘機/高等練習機を生むことになる William Edward Willoughby Petter (通称 Teddy)だった。
 しかしエンジンの選定とその艤装設計は失敗だった。 エンジン冷却器を内舷翼内に埋め込んで前縁から空気を取り込んだのは良かったが、排気管を主翼後縁に導いて、ナセル取付部から排出しようとしたらエンジンルーム内のオーバーヒートのもとになってしまった。 またT型尾翼は、初号機が激しいバフェッテイング(空力的振動)を体験して、その対策として実施されたものだった。 ペルグリン・エンジンも未成熟だった。 
 
 初飛行が1938(昭13)年10月、それに対し、部隊配属が1940(昭15)年12月はあまりに遅い。 生産は144機で打ち切られた。 新開発の工ンジンと野心的な設計が組み合わさると初期故障で取り返しがつかなくなるという典型的な例となってしまった。
 
 ウエストランド社は、ペッターズ社 (Petters Limited) が、航空機用エンジン部門から航空機製造部門を分離し、1935年にウエストランド・エアクラフト (Westland Aircraft Limited) として、設立された。
 第二次世界大戦中、ウエストランドは、画のホワールウィンドの他にSTOL連絡機としてのライサンダーといった軍用航空機を製造したが、とりたてて優れたものとはいえなかった。 ウエストランドの工場は、サウザンプトンにあるスーパーマリン社の工場がバトル・オブ・ブリテンで破壊されてからは、戦争中のほとんどにわたってスピットファイアの生産に使われ、他のどの会社よりも多くのスピットファイアを生産した。 戦後はシコルスキー社のS-51のライセンス生産からヘリコプター事業を始め、やがて固定翼機から撤退してヘリコプターのみに専心することになった。
 


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