- 1930年代半ばから世界各国で低翼単葉戦闘機が登場し世界の注目を集めていた。その先鞭は1933年の米国ボーイングP-26A、続いて1935年フランス・ドボアチンD500シリーズ、そして1938年には近代的なドイツのハインケルHe.112が登場する。
-
- 1935年9月に三菱の手によりドボアチンD-510が輸入され、なかでもモーターキャノンの装備が注目された。
- これに触発された中島は、一方で空冷エンジンの低翼単葉キ-11の開発を進めながら、もう一方でフランスから招聘していたロベル、ペジョの両技師の協力を得て、森重信技師(1930年入社)を主任として水冷エンジン搭載のモーターキャノン装備の新型機の開発を進め、翌年の1936年10月には早くも試作機を完成させた。
-
- 発動機はフランスから輸入したD-510と同じイスパノスイザ水冷V型12気筒を採用したが、機体はオリジナルで、国内初の引込脚を採用し、全金属製応力外皮構造の進歩的でスマートな近代的重戦闘機となった。 勿論、翼を支える張線なんぞは無い。
-
- 主翼は放物線のテーパー型でスプリットフラップを採用した。 エンジンの冷却器(ラジエータ)はV12エンジンの前に装備し、プロペラ軸から20mmモーターキャノンの銃口が覗いている。 引込脚は油圧操作式であり、尾輪も引込式(正確には尾橇)であった。 かように斬新な設計となり、陸軍でテストを行われ、スピード性能は圧倒したが、当時重視された急旋回などの運動性だけは、三菱キ-18やキ-33、川崎キ-28、そして勿論中島のキ-27の軽量戦闘機には到底及ばなかった。 また水冷V型12気筒エンジンの国産実用化に目処も全く無かったこともあって、試作の1機で終わってしまった。
-
- 後の歴史から考えると、一撃離脱の重戦闘機の効用・用兵にこのキ-12で目覚めていれば、大きく変わっていたと思われるのが残念である。
-
- しかし、中島では、急速に技術革新するなかで、そのニーズを確信し具体的な形にするための戦略として、これらの一連の試作機に若いエンジニアの挑戦意欲を存分に発揮させる勉強の場を与えた。 それに対し若いエンジニア達は、その使命感に燃え、果敢に応えたのである。 混沌とした時こそ、組織のリーダーは的確なビジョンや方向性を示すことが何よりも大切であり、それよってに若い人たちの前進する意欲を掻き立て、世の中を変えていくことが出来るのである。
-
- さて、このキ-12のプラモデル(1/72、正確にはウレタンレジン製)の組立キットを小池さんのアトリエを訪ねたおりに偶然見つけ、その精巧さに驚いた。 小池さんの友人が拘って製作した1機だそうだ(安芸製作所HP)。
|