戦後のソビエト・ロシアの戦闘機の代表は「ミグ」だが、第2次世界大戦のソビエト・ロシアの戦闘機の代表は、この「ヤク(Yak):ヤコブレフだった。
当時のソビエト・ロシアは、資源的にも技術的にもアルミニウム合金の開発が遅れていたから、ヤク(Yak−1〜−7)戦闘機は、主翼は木製骨格にべニヤ板張り、胴体は鋼管落接の骨組みにべニヤ板と羽布張り、一部だけがアルミニウム合金外皮という構造だった。
ヤクYak−9は独ツ戦線のターニング・ポイントとなったスターリングラード攻防戦でデビューした後期型で、ヤク・シリーズの大半を占める機体だが、主翼の主桁だけは高張力網のH形断面材に替っている。こんな構造ではドイツ戦闘機に勝ち目はなさそうだが、広大な祖国上空の防空戦という地の利を活かし、燃料搭載量を少なくし、機関砲も催か2門とするなどして重量を軽くしていたから、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190戦闘機にとって低空では手強い相手となった。
ウラル山脈の東に疎開した工場では、昼夜兼行で大量生産が展開れ、30,000機を上回るヤク戦闘機が戦場に送り出されていった。落としても、落としても繰り出してくるヤク戦闘機にドイツ空軍は次第に消耗していった。上の画は亡命自由フランス空軍のマルセル・ルアーブル中尉の乗機ヤクYak‐9Dである。(1998年カレンダー掲載) |