135. ボーイング P-26A戦闘機 “ピーシューター” [アメリカ-陸軍]

BOEING P-26A Fighter "Peashooter" [U.S.ARMY
 

全幅:8.53m、全長7.19m、翼面積:13.9. u、発動機:P&W.R1340空冷星型9気筒600馬力、
総重量:1,360kg、最大速度:384kmh1820m、航続距離:1,020km、乗員:1
武装:7.7mm×2、生産機数:累計137機、原型初飛行1932


                  Illustrated by KOIKE, Shigeo   
イラスト:小池繁夫氏 2010年カレンダー掲載
 

このボーイングP-26Aは、戦闘機が第1次世界大戦の羽布貼りの複葉機から、第2次世界大戦の全金属製低翼単葉へと脱皮する過程で生まれた特徴的な機体である。 何と自由奔放なアメリカらしい塗装であろうか。 この頃のデパートのオモチャ売り場でも、派手に塗装されたブリキの“ボーイング”は、ヒコーキ大好き派の子供たちの人気商品だった。
 
 「昭和の時代」が始まった頃(1920年代後半)、世界の飛行機は、民生用も、軍用も、複葉が全盛だった。 複葉は飛行に必要な主翼を軽量につくれるからだ。 ボーイング社も、複葉の旅客機80型や複葉の戦闘機P-12F4Bを販売して潤っていた。 だが支柱と張線で構成される複葉は空気抵抗が大きい。単葉の機体が実現出来れば、飛行速度は格段に向上し、更に脚(主車輪)を鳥のような引込脚が可能となれば、旅客機の場合では乗客の高速・長距離飛行のニーズに叶い、また航空会社にとっても運航の経済性が大幅に向上できるのである。
 飛行機技術の飽くなき高速化のために、「単葉化」は昭和の航空技術の最大の宿題だった。同じ2010年のカレンダーに掲載のドルニエ・ワール飛行艇もその解答の一つだが、米国ボーイングの解答は、1930(昭5)年に完成した技術実証機200型で、全金属製の張線の全くない低翼単葉で、なおかつ引込脚の機体の開発だった。 
 その実用改修型ボーイング221モノメール(単発陸上機・旅客・郵便輸送機)は、ユナイテッド航空や陸軍航空隊でも試用されたが未だ本格的な実用化には至らなかった。 そこでボーイングでは、その技術を延長して飛行速度が300km/hを超える“戦闘機より速い爆撃機”として大型化し双発化した B-9 を開発した。 更にこの技術成果をベースにして、近代プロペラ輸送機(旅客機)の先駆となったボーイング247型が生み出されて、世界の大型機の形態を一変させたのである。
 
 一方、小型の戦闘機の分野では、高速性能のみならず、激しい飛行運動性、機動性を求められることから、その主翼には大きな荷重が加わるだけでなく、爆撃機より速く飛ぶために必要な薄い主翼(翼厚比が小さい)では捻り剛性が低くなり、高速飛行時にフラッターという羽ばたき振動を発生すると一瞬にして翼が空中分解してしまう危険あった。 後年、スピットファイヤー戦闘機を生み出すR.ミッチェルのシュナイダートロフィーレーサーS4は、張線の無いスッキリとした単葉機だったが、フラッターの発生で墜落していた。
 こういったことから、ボーイングの取組姿勢は慎重だった。 戦闘機P-26の原型試作機である248型は、前述の単葉機B-9完成の翌年の1932年春には完成したが、主翼は沈頭鋲を使用した全金属製にもかかわらず、上面は胴体上面と張線で、下面はスパッツつき固定脚の主脚柱を利用し張線で固縛されていた。 それでも最大速度は384km/h。それまでの複葉戦闘機ボーイングF4Bに比べると1.25倍、80km/hも速い。もちろん“爆撃機より速い戦闘機”だった。
 
 陸軍航空隊は248型試作機を高く評価し、一部改修しP-26Aと称して採用することとなった。 この時代は世界恐慌でもあり軍縮の時代だったが、19331月28日、陸軍は111機という、当時としては画期的な大量を一括して契約した。 航空隊パイロット達からは Peashooter(豆鉄砲)とも呼ばれているが、これは分類記号PPursuiterとのゴロ合わせで、就役の後期に対抗機の性能が向上し、宣伝と実力が乖離していったことを絡めて揶揄した俗称である。  航空技術革新の著しい中で、初めての全金属製、単葉の機体であったが、時を経ずして、最後の張線式主翼、固定脚、開放式コクピットの戦闘機になった。
 
なお、中島飛行機ではこのボーイングP-26Aに注目し、従来の九一式戦闘機に代わる単葉低翼の次世代戦闘機の研究に取り組み、キ-8試作複座戦闘機に続き、キ-11試作戦闘機を開発したが採用されず、試作機は高速通信機として民間で活躍した。 更には初の引込脚採用の変わり種 キ-12によって自前技術を着実に積み重ねていった。 
 そして、その急速な技術革新の中で、中島では九七式戦闘機(陸軍)、三菱では九六式艦上戦闘機(海軍)の日本のオリジナル航空技術開花の時代に至っていく。


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