太平洋戦争が始まり、日本軍が破竹の勢いで、ニューギニアやソロモン群島からオーストラリアに迫ろうとしていたとき、オーストラリアの空は、なけなしの戦闘機隊をマレー半島に送り出した後で、まさに空白の空だった。しかもインド洋やアメリカ〜オーストラリア間の海上輸送路にも、日本海軍の脅成が迫ってきていた。
イギリス本国はもちろん、アメリカからの軍用機の供給も増援も期待できない。
自分の空を自分で守るためには自分で戦闘機を造るしかない。 だがオーストラリアの航空機産業は未成熟だった。
ようやく国産化の始まったばかりの高等練習機ノースアメリカンT−6(オーストラリア名ワイラウエイ)の図面と部品、輸入しあったエンジンを使って、たった14週間で作り上げたのが、このブーメラン(CA−17CA‐13)だ。
映画「トラ トラ トラ」に登場したT‐6改造「ゼロ戦」と同じコンセプトだが、防弾鋼板をつけ、ホンモノの20mm機関砲を積んで、エンジンを600馬力から、1,200馬力に強化している。だが一流の性能をもつ本格的戦闘機がそう簡単に造れるはずがない。
日本の戦闘機とまともに戦えば、とても勝てる代物ではなかった。 しかしブーメランが戦場に投入された昭和18年の後半は、ニューギニア方面の日本の航空部隊は連合国空軍の物量に押され、じりじりと西方へと後退を重ねていた。そして制空権のなくなったニューギニアのジャングルに取り残された日本の将兵は、この「鳥無き里のコウモリ」に苦しめられなければならなかった。
画は後期生産型のCA−13である。(1998年カレンダー掲載) |