ソロモン群島やニューギニア東部の上空で、ラバウル海軍航空隊が激しい戦闘に明け暮れていた頃に登場した「零戦」の改良型。エンジンが2速過給器付きの中島「栄」21型に強化され、それに合せてカウリング(エンジン覆い)の形状がスマートになり、主翼の翼端が四角に切り落とされたので、簡単に他の型と識別できる。
この設計変更は堀越二郎技師が病に倒れていたので、一式陸上攻撃機の主任設計者だった本庄季郎技師が担当した。翼端が四角になったのは、生産性向上のため、航空母艦のエレベータの大きさに合せて折畳式になっていた翼端を取り外してしまったからだ。
旋回性は若干低下したが、最大速度や急降下制限速度は向上した。また試作当時から懸案になっていた、高速での横転性能不足の問題も、翼幅短縮と合わせて補助翼を翼端側で100mm、付根側で238mm短くすることで解決している。そのため補助翼とフラップが離れてしまったが、フラップの生産を混乱させないためにそのままにした。いかにも本庄技師らしい割り切りかただった。
本庄技師らしくない失敗は、エンジンが後方に伸びて胴内燃料タンクが小さくなったのをそのままにしたこと。そしてそれが三二型の航続距離が短いという弱点になった。堀越技師はこの四角な翼端を嫌って五二型では円弧型に戻し、フラップも大きくしている。
堀趣校師も本庄技師も日本を代表する設計者だが、それぞれに独自の設計コンセプトと個性を持っておられた。三二型の復元機は名古屋空港に展示されている。 |