550. 中島 十八試局地戦闘機 「天雷」(J5Nl) [日本海軍]

NAKAJIMA "TENRAI" 18-Shi INTERCEPTOR [JAPAN-NAVY]

全幅:14.0m、全長:11.0m、総重量:7,300kg、

最大速度:597km/h 5,600m、発動機:中島「誉」21型1,990馬力×2、

武装:機銃30mm×2、20mm×2、乗員:1、

ロールアウト:1944年7月

 ボーイングB−29の開発が進んでいるという情報は大きな脅威だった。現用のアメリカの4発大型爆撃機ボーイングB‐17やコンソリデーテッドB‐24でも、ゼロ戦にとってなかなか手強い存在だったからだ。B‐29を迎え撃つためには、さらに強力な戦闘機がいる。

 昭和18年、日本海軍は、中島飛行機(株)に超大型重爆撃機を一撃で撃墜できる強力な「火力」と、爆撃機を必ず捕捉できる優れた「上昇力」と「速力」をもつ、基地や戦略施設など局地の防空に当たる戦闘機の開発を指示した。それがこの画の「天雷」だった。(社内呼称N20で初期設計を中村勝治技師、後半は大野和男技師が主務者であった)

 画を見てすぐ気付くように、機体の割にエンジンが異常に大きく見える。だがエンジンが大きいのではなく機体が小型なのだ。「天雷」に取り付けられた中島「誉」エンジンは、小直径、コンパクト、大出力で、奇跡とまで言われたエンジンなのだ。

 だが高空飛行用のターボ過給機の開発が遅れていたから、1万mの上空を飛ぶB‐29を要撃するには、その性能は十分でなかった。昭和19年7月に1号機が完成し初飛行はしたが、「誉」発動機が期待した出力がでず、そのため飛行性能も満足できるものではなかった。

 「誉」を生産していた中島飛行機武蔵製作所はB29の爆撃で破壊され、高質な材料も欠乏し工作精度もがた落ちであった。そんな状態が試作機エンジンにも表れる時局であった。そして戦局は1機の双発戦闘機「天雷」より、2機の単発戦闘機「紫電改」や「疾風」を必要としていた。

 ボーイングB−29の爆撃によって中島飛行機機体工場も次々と破壊されていくなかで「天雷」の計画は試作機6機だけで放棄されてしまった。「天雷」は、その存在を連合軍の情報機関に知られることなく終わった数少ない飛行機の―つでもあった。終戦時には単座型で20mm砲を4挺搭載した試作3号機と複座で30mmの斜め砲を座席後部に2挺搭載した6号機だけが残っていたが米国に送られ調査対象となった。

(掲載画は富士重工1998年カレンダーの表紙:小池繁夫 画、鳥飼鶴雄 解説)

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