333. 川崎 キ48 九九式双発軽爆撃機1型 [日本-陸軍]


KAWASAK Ki48 Type99 -1 LIGHT BOMBER [JAPAN-ARMY]

全幅:17.4 m、全長:12.9 m、総重量:6,050 kg、
発動機:中島ハ25型 990 馬力×2/離昇 、最大速度:480km/h/2,300m、
爆弾搭載量:400 kg、 武装:機銃7.7mm×3、乗員:4名、
初飛行:1939年7月

illustlated by S.Koike

 「99双軽」と云う名で呼ばれ、日中戦争から太平洋戦争全般にわたって、日本陸軍航空爆撃隊の使役馬のように活躍した機体である。

 出現当事は「スピード」と「機動性」を生かして敵前線を弾幕で包み込んだり、超低空で敵空域に進攻して飛行場を殲滅するなどの奮戦をした。とくに夜間強行爆撃では掩護戦闘機を必要としない活躍であった。しかし大戦後半には旧式化して通常の作戦行動は無理となり、例に漏れず特攻機として消えていった。

 本機は昭和12年に陸軍が川崎に対して、それまでの93式双発爆撃機(キ2)に代わる近代的な軽爆撃機の試作を発令した。川崎では筆頭の土井武夫技師を設計主務者として設計に着手し、昭和14年7月に試作1号機を完成させた。このとき先行してキ45双発戦闘機(後に「屠龍」に発展する原型機)も設計開発を行っており、同時開発ではあったが両者の経験を交えながら、当時としては極めて進歩的な双発空冷、引込み脚の意欲的な設計となった。

 爆弾倉は特殊な2段繰り上げ式の扉を持つ大型容積を確保し、かつ後下方銃座の射角を広く取ることもあって、胴体中央から後方尾部へは細くくびれた形状となり、それをうまく造形処理しており、あたかも金魚の腹のような特徴あるものとなった。また前方銃座も十分な高さを確保したため射手の姿勢に無理がなく視界が広くなっていた。

 試作機は初めから良好な成績で昭和15年5月に「九九式双軽爆撃機」として制式採用され7月から量産にはいって1型としては557機、その後改良型の2型が1411機、合計昭和19年までに1977機が生産された。 

 イラストからは川崎が初めて使った沈頭鋲による滑らかな機体がうかがえる。未だ悲壮感のない機体を描いているものの星型発動機の残骸が不安をよぎらせる。小池さんのイラストでこのような表現を見たことが無い。

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