107. 中島 九〇式二号水上偵察機二型(E4N2)[日本一海軍]        
       NAKAJIMA Type 90 Model 2-2 Recon. Float Plane[JAPAN−NAVY]

   
全幅:11.98m、全長:8.87m、翼面積:30.0u、
発動機:中島「寿」2型改空冷星型9気筒460馬力/1,500m、
総重量:1,800kg、 最大速度:332km/hr、
武装:7.7mm機銃(固1+旋1)、爆弾30kg×2、
乗員:2、 生産数:約80機(中島生産)
初飛行 1930年2月
 
                           Illustrated by KOIKE, Shigeo  , イラスト:小池繁夫氏 2005年カレンダー掲載
 

 戦前の日本の人々は、太平洋の波涛を越えて進む連合艦隊の1万トン級重巡洋艦の雄姿に魅せられていた。 

 上の画はその一艦「愛宕」に搭載されていた九〇式二号水上偵察機(水偵)二型である。 まだ平和な時代だったので、全面銀色の塗装、尾翼だけは海上に不時着したときに発見しやすいよう真紅に塗られ、白字でアタゴと搭載艦が記されている。(下の画は富士重工業がこの航空カレンダーを始めた初期の頃の小池さんの作品です。ストックから引き出してきました。上の画とは対照的なシチュエーションで描かれていて面白いですね))

 1928年(昭3)に、一五式水上偵察機に替わる新型機という海軍の要求に応じて開発がスタートしたが、このとき中島飛行機鰍ナは、三竹忍技師に双浮舟型式の純国産の機体:社内呼称NZ、(九〇式二号水上偵察機一型)を開発させるとともに、アメリカ海軍のボートO2Uコルセア(Vought O2U Corsair)水上偵察機のライセンスを買い取って、明川清技師にその設計に改良を加えた機体を国産化させた。 それが社内呼称NJ、この画の九〇式二号水上偵察機二型となった。この二型(NJ)は、わが国では最初の単浮舟型だった。

 単浮舟型は、双浮舟型に比べ、水上での取扱性はやや劣るが、表面積が小さいから、重量も軽く、空気抵抗も小さくなる。 しかも二型(NJ)は翼面積が1型(NZ)に比ベ20%小さく、実績のある飛行機の改良型だったから、水上、空中での性能も、操縦性も良く、80機が生産された。 一型(NZ)は2機の製作で終わった。 

 コルセアの国産化は、その後の中島の複葉機の構造設計、また二式水上戦闘機へと続く単浮舟型式水上機の設計の基本技術となった。 


 海軍の九〇式水上偵察機は一号、二号、三号とあり、二号の中に一型、ニ型、三型とあって実に紛らわしい。 1928年(昭3)海軍よりカタパルト射に使え、一五式水上偵察機の後継として新しい水上偵察機の試作を愛知および中島に発令し、愛知が一号、中島が二号と呼ばれた。 また三号は全く別の川西製3座水偵である。

 愛知の九〇式水上偵察機一号はハインケル社から輸入したHD-56をベースに改造国産化した双浮舟型式の小型水偵で、1931年完成した。 しかし小型弱馬力(発動機は瓦斯電製「天風」340馬力)で凌波性に乏しく実用性に欠ける判断され12機の生産だけで終わっている。

 中島の九〇式二号水上偵察機の一型は上記のように純粋な国産設計で1930年末に完成したが、海軍の審査において一般性能および運動性能が(二型に比べ)劣っているとして2機の試作だけで終わった。 この試作機は後に東京航空輸送の水上旅客機「第11義勇号」として、後部に2座席設け密閉型の風防を取り付けるなどの改造が行われ、羽田〜清水〜下田の路線で使用された。

 本命の九〇式二号二型はベースとなったO2U-1コルセア(*)に対し、@発動機を中島製ジュピター6型に変更、生産型では中島「寿」に換装タウネンド・カウリングを装備、A主翼翼面積の拡大、B垂直尾翼を楕円形にしてラダー面積拡大などの変更を行ったが、強度不足で改修に1年を要し、制式は1931年12月となったが、量産機は丈夫で軽快な運動性から戦闘機としても急降下爆撃機としても時に用いられた。 

 そして、この機体のフロートを取り除き、車輪をつけて陸上機にしたのが三型で、ただ呼称は九〇式二号水上偵察機三型と「水上」と付けたまま呼ばれた。 なお更に尾部に着艦フックを取り付けたものが九〇式二号艦上偵察機三型と呼ばれ、陸上基地と航空母艦の連絡用に少数機が短期間使われた。 また、その後、日本航空輸送の郵便輸送事業のための機体に改修され中島P1郵便機のベースにもなっている。

 それらを含め九〇式二号は中島で約80機、他に川西でも57機が生産され、次の九五式水上偵察機に引き継がれるまで活躍した。

 九〇式三号は一四式3座偵察機に代わる機体として、海軍(横廠)で設計された3座水上偵察機である。 川西で20機生産された。 川西航空機は神戸の富豪・日本毛織の社長・川西清兵衛が出資していた中島飛行機と1918年(大8)喧嘩別れして、その後自ら設立した会社である。 後に九七式飛行艇および2式大型飛行艇を開発する世界に誇る飛行艇のメーカーとなり、技術は現在の新明和へと引き継がれる。

注(*):
Vought O2U Corsair:1926年に初飛行した米国海軍で制式採用となった最初の偵察機である。またエンジンも初めてPratt & Whitny Wasp 450PS が装備された単発・複葉・単フロートの機体。 1930年代初めまで、陸上機O2U-4を含め多くのバリエーションが生産され、ボート社の名声を作り上げた1機。
 
 
                  Illustrated by KOIKE, Shigeo  , イラスト:小池繁夫氏  1980年カレンダー掲載:富士重工の航空カレンダーシリーズの初期の作品


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