300.中島 一式戦闘機1型丙「隼」(キ-43-1)[旧日本・陸軍]

NAKAJIMA TYPE I FIGHTER"HAYABUSA" [JAPAN・ARMY]

初飛行:1938年12月12日
全幅:11.44m 、全長:8.83m 、総重量:2,583kg、 最大速度:495km/h/4,000m、
発動機:ハ-25 「栄」970馬力/3,400m、 武装:機銃12.7mm×2 、乗員:1名

Illustrated by Shigeo Koike , イラスト:小池繁夫氏

 戦闘機王国と言われた中島飛行機が、800馬力級では世界最優秀の戦闘機と評された陸軍九七式戦闘機の後継機として送りだしたのがこの「隼」。

 しかし、その設計・試作には多くの紆余曲折があった。陸軍の要求は、低翼単葉では最高と言われる九七式の運動性を維持しながら速度、上昇力を大幅にアップさせ、さらに行動半径800km以上という過酷な内容。

 中島の設計チームは 九七式戦闘機と同じ小山悌技師を主務者に太田稔技師、糸川英夫技師らであったが、矛盾の多い要求に熱意的ではなく、九七戦を一回り大きくした長距離用の戦闘機でしかなかった。

 1938年完成した試作1号機は1,000馬力エンジンを搭載し、可変ピッチプロペラ、斬新な翼型など新機軸を導入したが案に反し失敗作と評された。その後の様々な改修も功を奏さなかったが、思わぬ救世主が現れた。同時期に並行して中島は試作キ-44(二式戦「鍾馗」)を開発していたが、この重戦闘機のために新しく開発した"蝶型フラップ"をキ-43(隼)に装着したところ、懸案の空戦性能が格段に向上したのだ。

 ついに1940年9月量産決定(航空技術の急速な進歩を考えると、決定は遅すぎたた。その為、次の一手に後れをとる結果となっている)。以降 5,171機が生産されたが、局地的な戦闘で成果をあげたものの、貧弱な武装では新しい思想の飛行機に対抗できなかった。

▼もう一つの 隼 (NEXT)

[ Home/Classic aeroplane index/World Museums/Questionnaire]