ヨーロッパ大陸を電撃戦で席巻したナチス・ドイツは、余勢を駆ってイギリス本土を目指した。だがバトル オブ ブリテン(英本土航空戦)で挫折し、矛先を旧ソ連に転じた。その背後を突いて、イギリス空軍はドイツ占領地やドイツ本土への夜間爆撃を開始し、その規模は次第にエスカレートし、無視できないものになった。
ドイツは海岸線沿いに、レーダーと連繋する照空灯・対空火砲・夜間戦闘機を組み合わせたカムフーバー防空帯を設定したが、肝心な夜間戦闘機の数が不十分だった。そこで考えられたのが高速爆撃機を改造して夜間戦闘機とすることだった。
この画のドルニエDo217J−2もDo217E爆撃機からの転用である。 機首にレーダーの八木アンテナと7.9mm機銃、20mm機関砲各4門という強力な火力が取り付けられている。 爆撃機型の後上方、後下方の銃座はそのまま残されている。
元々の原型となったドルニエDo17はベルサイユ条約で空軍の保有が禁じられていた時代に、ルフトハンザ航空の高速旅客・郵便輸送機として開発された機体であり、「空飛ぶ鉛筆」と綽名された。 その細い胴体は、どう見ても旅客輸送には不向きで、初めから軍用の目的のために設計されたとしか思えない。 当然のように民間機としては不採用になり、「垣根跳び」飛行ができる高速爆撃機となった。 大戦が始まると運用に合わせて泥縄のように改造されたが、細い鉛筆の胴体では限界であり、1940年には生産が中止され、Do217に切り替えられていった。
Do217はその基本形を引き継きながらも、エンジンを大型化し、構造を強化し、性能、爆弾搭載量を増した新設計の近代的な機体だった。 日本海軍の夜間戦闘機「銀河/極光」に相当する機体だが、このような夜間戦闘機が活躍できたのは、レーダーなとの電子技術が日本より進んでいたこともあるが、相手がボーイングB−29ではなく、イギリス爆撃機だったからだ。 |