将棋に関する本棚 |
作成日: 2000-01-16 最終更新日: |
将棋の本、将棋指しの書いた本を紹介します。
私が知りたかった「ミクロコスモス」や「四銀詰」が出ている。いつ見てもあきない。
成桂や成香の活字が圭や杏で表されているのは残念である。
とても自分には解けない作品ばかりだが、手順を追うだけでも楽しい。
若島さんの解説を読みながら、いつも感心してしまう。風呂の中によく持っていくので、 本が水を吸って膨らんでしまっている。
詰将棋の本はいつも観賞用として買う。自分で解ける詰将棋は難しい5手詰めから やさしい 9 手詰め程度なので、作品のプロットを感心しながら読むだけだ。 この本にはいくつか、「華麗な詰将棋」に出ていた作もあるが、 解説が異なるので損をしたという気分にはならない。
詰め手順を考える、ということをしないので、解いた後の感想が書けないのが悲しい。 せめてのおわびに、誤植を一ケ所見つけたので書いておく。 p.117 (第 58 番)、攻方 ▲3二角は誤りで、▲4二角が正しい。
2002 年 1 月 26 日に購入した。翌日、 多少ゆっくりできる時間ができたので、久しぶりに盤と駒を取り出して手順を並べてみた。 上田氏の得意領域を鑑賞するには駒を並べる必要があると感じたのだった。 果たしてその通り、趣向が楽しい「モビール」、「オーロラ」、「モザイク」他、 標題のついて作品だけではあるが駒の動きを追ってみた。 上田氏の作品には「積分」のように、ヴァレーズの作品から触発されたものがある。 残念ながら、私はこのヴァレーズの作品を聴いていない。でも、 詰将棋を並べてリズムを感じることができる。題意に沿ったリズムに乗って、 自分の手が勝手に動くのだ。駒を取ったり、合駒したり、移動したりする。 驚いた。その後、手と頭が疲れた。
著者は、解説のあちこちで、グルーピング思考について語っている。 たとえば、第三十五番の解説では、次のようにいっている。
「それは 10 手や 20 手、 あるいは 50 手位の手順をひとつの群として取り扱う方法である。 このひとつの群はそれ自体が連続したかたまりなので、 途中で切断できない。またその細部は分析できない。 いや分析してはいけないのである。 もし分析したならば、それは群としての機能を失ってしまう。」
いま、流行りのことばでいえば、「ホリスティック」なのだろう。 (2008-06-29)
駒場氏は、非常に信念の強い方と思う。解説のはしばしに、 その信念の強さが現れている。 氏の詰将棋のほとんどは私には難し過ぎてわからない。しかし、 ある評者のいう「優しく、易しく」作られた詰将棋は、 見るだけで楽しい。(2006-09-17)
詰将棋もさることながら、解説の瓢々とした味わいが実によい。 芸術としての詰将棋の批評というのはかくあるべし、という思いがする。 そう、この本を買おうという気になったのは、 毎日新聞の若島正氏の書評があったからだ。
巨椋氏は本書で、「簡潔さ、単純さに対するこうした好みの、 真の原点は何だろうか。それはおそらく数学である。 私は、大学の後半でフランス文学へと転じたが、 それまでの情熱は数学であった」と述べている (p.82、なお、原文の傍点を太字に変更)。 巨椋氏の作品はもとより、一流の詰将棋作品を観賞して美しさを感じるとき、 私も数学と比較したくなるのだ。 数学と詰将棋といえば、久留島喜内(久留島義太)の例がある。 そして、若島正氏も、当初数学を専攻していたが、その後、英文学に転じた。
私の尊敬する有吉九段の著書はあまり多くない。 私が知っているのはこの本と「振飛車撃破」しかない。しかも後者は持っておらず、 この「将棋実力テスト」も実家のどこかに眠っている。 いわゆる「次の一手形式」の本であり、あまり有吉流というものは感じられないが、 初段を目指す私には非常に参考になった。
将棋世界という雑誌に「駒落ちのはなし」として連載されていた記事をまとめたもの。 講談社現代新書として出版されたのには驚いた。 雑誌連載時は、 コンピュータソフトとの4枚落ち対戦記もあり、これも面白かったが、 新書での編纂時には割愛されている。 また、連載時には飛車落ちや角落ちの連載もあったと思うが、これも割愛されている。 先崎氏は、あとがきで飛車落ちや角落ちについての本についてどうすべきか、悩んでいるようだ。
それはともかく、上手の指し方(先崎氏はテーマといっている)も解説されていて、おもしろい。 ( 2004-12-19, 2009-11-26 補筆 )
羽生の頭脳は、この本と第10巻を持っていたが、第10巻は引越しの途中で失ってしまった。 この第9巻は後手△2三歩型と相横歩取りについて書かれている。 相横歩取りは、これよりさらに細かな研究がされていて、私はそれにはついていけていないので、 怖い戦法である。(2009-08-23)
横歩取りだけは、羽生の頭脳と、この本の2つの定跡本を持っている。 横歩取りは、知らないと指しこなせないからだ。(2009-08-23)
深浦さんの無類の研究精神が発揮された本。 広く浅くの方針ではあるが、私のようなめんどくさがりやにはありがたい。 「あとがき、と言いつつ加筆する最前線について」なんて、かっこいい。(2009-08-23)
コンピュータ書を除けば私は巷のベストセラーを買わない。 しかし、私はこの本を買って持っている。 なぜかというと、ベストセラーになる前に買ったからである。 さて、この本は何度も読み、その度に涙している。今こうやって書いていても目が潤む始末だ。 つれあいからは「何度も同じ本を良く飽きずに読めるわねえ」と呆れられているが、 それでも、村山聖の力強い生き方は、のうのうと生活している私の心を奥深く打つ。 たぶん、このドキュメントが、将棋ではない他の分野に取材したものであれば、 手に取ることも、関心をひくこともなかっただろう。 村山さんとは、名前がほとんど同じ(私は MARUYAMA Satosi, 彼は MURAYAMA Satosi で、 姓の A と U の順番が違うだけ)、つれあいの実家が広島であるという二つの理由で、 愛着を感じるのだ。
この本をどうして買ったのかと言うと、著者が谷川先生だったからである。 中身を見ると、一歩間違えば高慢と取られかねない個所をぎりぎり押さえて書かれていて、 なるほどと思わせる出来であった。 内容は言っては悪いが凡百の経営書に似ている。しかし、この感想は間違っている。 なぜかというと、凡百の経営書を読んでいないからだ。 そして、谷川先生の言うことならばたとえ言い古されていることでも、 私が反感を持ちかねない個所でも、なるほどと思ってしまう。俗に言う「信用」である。 私は谷川先生とは面識もなく、おみかけしたこともないのだが、 浩司氏のお兄さんである俊昭氏とは二言三言お話したことがある。 その時のことはどこかに書いたが、とにかく俊昭氏のファンになってしまった。 この本を読んでいちいち頷く理由に、俊昭氏の人柄が一躍かっていることはまちがいない。
「ビッグコミック」に連載され、小学館コミックスとなり全9巻で完結した。 涙もろい私は、読む度に泣いてしまう。
ベストセラーは買わない、と見得を切ったにもかかわらず、 この本を買った。尊敬する方が勧めたからである。
読んでみて、やはり一流の人は違うとひしひしと感じた。 とても私にはマネをすることはできない。否、マネをしてはいけない。
この本のおいしい所については、諸氏の批評や感想があるだろう。 私は別の所を話題にする。
この本は一般向の本である。だから、あまり将棋の細々したことや、 ファン以外知らないことはなるべく出さないようにするはずである。 しかし羽生氏は、有吉道夫先生のことを2回引合に出している。 有吉道夫九段は残念なことにプロ将棋界でしか知られていないが、 年齢を重ねても(生年1935年)現役でなおかつ元気に活躍されている方である。 あえて一般向の本で有吉先生の名前を出したのは、 ずっと将棋に関する情熱を持ちつづけていたい、 と羽生氏が思った結果であったのだろう。
ちなみに有吉先生は、羽生氏が七冠独占を達成した対局で、 立会人を勤めていた。このときは羽生氏がひどい風邪をひいていて、 対局に悪影響が出るのではと外野は心配していた。 このとき有吉先生は 「なに、対局に集中すれば風邪なんて関係ありませんよ」 と答えたという。
本に書かれていたこととして有吉先生の例を挙げた。 逆に、書かれていなかったこともある。 島研のことだ。島研とは、プロ棋士である島朗八段が、 羽生氏のほか佐藤康光氏と森内俊之氏を集め、 4人で将棋の研究をした会のことである。 この本の156頁で、三人寄れば文殊の知恵、という見出しがあり、 共同研究の功罪について触れられている。 結論として羽生氏は、「自分の力で一から考え、自分で結論を出す」 と言い切っている。この本の流れからはそうなるだろう。 しかし、将棋の作りがこの10年変わってきた理由の一つは、 共同研究により将棋の深さの解明が速くなったからと私は考えている。 そのような共同研究の場を作り、 かつ超一流(名人/竜王経験者)の3人を見いだし育てた島朗八段の眼力と環境作りを、 私は尊敬している。(2005-01-09)
注:島朗氏は、2008年4月17日付で九段になった。
先崎さんの書いた本は何でも面白い。 もちろん、この本も面白い。いくつか紹介しよう。
p.210 に「詰将棋の天才たち」というコラムがある。 詰将棋の作家を天才として論じていることが、印象に残った。 それも、特定の人物を名指しして、である。
私の好きな詰め将棋はたくさんあるが、その中で印象に強く残っているのが、 新ヶ江幸弘さんの四銀詰である。 (作品はhttp://monsieur.ddo.jp/tsume/shingae.htmlの上のほう参照) 看寿賞に輝くこの作品を、先崎さんも激賞している。私もうれしくなった。
さて、私が驚いたことがある。先崎さんの著書(か監修書)の将棋入門の本で、 詰め将棋の例として、この四銀詰を取り上げているのである。 合駒の読みが難しいこの詰め将棋を取り上げるとは、 よほど思い入れがあるのだなあ。(2008-09-14)
p.120に「TVに出ずんば棋士にあらず!?」というコラムがある。 先崎氏の知人の話である。ある年、先崎氏がNHK杯の予選に負けてしまい、 テレビに出られなかった。先崎氏がテレビに出ていないことを知った知人は、 「先生……先生将棋、をやめちまったのかい」と尋ねた、という話である。
この話に続けて、先崎氏が紹介している話がある。
(囲碁の)小林光一九段は、囲碁界最高のタイトルである棋聖を長く保持していたが、 その最中、北海道に住む父親から 「お前も棋聖ばっかり取ってないでNHKを優勝してくれ」といわれ閉口したそうである。
これを聞いて、私はこんな話を思い出した。 作家の清水義範が、朝日新聞で連載をしていた。これを知った名古屋のファンが、 「次は中日新聞で書けるようにがんばって」と応援した話である。
こういった人たちを笑うのは失礼である(こっそり笑ってしまうが)。 私だって、同じような過ちを他にしているかもしれないから。 と同時に、こういった素直さが私は好きだ。(2009-08-22)
谷川氏にしては文体が少しおどけている気がするが、読んでいて清々しい文章だ。 久しぶりに手をとって眺めていると、次の文章が目に入った。 将棋ファンの女性が増えてくれることを願う段落の一部である(p.173)。
例えば、王様がミッキーマウスで、歩が白雪姫の小人たちであったり、 あるいは飛車が BMW で、金がかわいい金太郎だったりしたら……。 金太郎がミッキーマウスを追い詰めるところなんか、 なかなか愛らしくていいのではないだろうか。
これは、≪どうぶつしょうぎ≫の予告ではないだろうか。 (2010-04-04)