『ゆのはな』は少しずつ進めておりまして、今のところ、椿さんルート目当てで高尾商店で働いているあたりなのですが、うむ、やはりここのメーカーの作品の持つ雰囲気は実にいいなあ。ここの作品は、処女作の『とらかぷっ!』以来、このブランドイメージを、本当に大切に保ちつづけてきた、という感があります。
で、お気に入りキャラはといいますと、最初から気には入っていたのですが、プレイを進めていくうちに、ゆのはのことが実にかわいらしく思えてきました。ゆのははこう、とらかぷの桜姫タイプヒロインの正統後継者というか。で、そのゆのはを包み込む、主人公を始めとする実におもしろくやさしげな人々の作る空気。地味ながら、なにげに得難い安らぎだと思います。
徐庶と高順のコラの出来が素晴らしい! このまますぐにでも猛将伝に参戦できるレベルのクオリティじゃないですか。キャラ的にも実においしいところですし。
そのほか、ネタ系のコラの出来も実によろしいものが多いです。無双プレイヤーはぜひ堪能すべし。なんか凌統が大人気ですが、なにげにこのダイエット許チョがごく真っ当にかっこよかったり。瓶詰妖精サイズの司馬懿がキモカワイかったり(心から曹ヒを慕ってるとみた)、孫策は2からあいかわらずだなあと思ったり。この関平もクオリティ高いです。うしろの二人が特に。
スクランアニメ最終回、色々とこう、「やられたぜ、畜生」という感じの、どこかに清々しい敗北感を与えられました。どこまでもどこまでも翻弄されたと言うか。頬肉を思い切り弛緩させながら。
しかし、総じて実に良きアニメでした。原作付きアニメの鑑といってもいいものだったのではないでしょうか。原作の持ち味が実に活きて、いかにもスタッフからしてスクランという作品を楽しみつつ作っていることが伝わりました。
作るだけ作った次回のない次回予告どおり、続編が作られるというのも楽しみですが、いっそ劇場版とかでもいいかも。まあとにかく、実に良かったです。いいアニメ化だった。
別に誰が悪いってことじゃなく、ネットというものの特性として(2ちゃんに限らず)、人のこういう憤りを無尽蔵に増幅させるというものがあると思うんですよ。
そして、それが時として、とんでもない悲劇の種になりうるのだということは、これからの社会を生きていくうえで、ぜひ心得ておくべきことなんじゃないかな、と思います。誰もが。
たとえ、それがまず間違いなく正しいと思える義憤だったとしても、負の感情であることには違いないので、必要以上に引っ張られず、どこかで客観というものを保っておくことは大事なんじゃないかと思います。
とにかく、俺はこのケース、本当に怖いと思いました。俺もなんか最初この関連の記事見て、愛知万博許せねえ盛り下がってて当然とか思った部分はどこかにありましたもの。危ういです。すごく。ネットの悪意増幅機能ってのは、本当に怖い。
さらに怖いのは、このブログが正しいかどうかも、俺みたいに、ちょっと見ただけの人間にはなかなか判断できないということです。ネットの言説全般において、どの部分が誇張なのか、会場入りしていないと、どうしても伝聞でしか分からないですし。値段以前に、弁当とかの処置は適当でないと思える節はあるし。でも、その部分に対し憤るべきかどうかも、ちょっと判断がしにくいです。今の俺みたいなちょっと見ただけの立場では。
要は、事実がどうあれ、必要以上の憤りに自分自身を躍らせないのが大事なんでしょうけれど。なじみの言葉で言うと、そう簡単に釣られないようにすること。
ガラナがどうして北海道限定品などに多いのか?など、北海道人にとっても密かに謎だったりしたことに触れられている、大変ためになる良きページです……が。
>道産子は「カツゲン」というわけわからん飲み物で育つ!
>「カツゲン」というわけわからん飲み物
>「カツゲン」 わけわからん飲み物
よーしOKちょっとそこに座れ。カツゲンわけわからんですかそうですか。あんなに美味しいのに! 美味しいのに! 確かにこのYU-SHOWさんも、カツゲンで育ったといっても過言ではないわけですが、しかし言うに事欠いてわけわからんとは何事か。罰として、北海道最強コンビニセイコーマートが誇るPBコーヒー「グランディア」を全銘柄飲み干すことを命じたい気分。いや、グランディア別にマズいわけではないですので念のため(美味いわけでもないけれど)。むしろ愛飲。なにより安い。これ最強。
……そういや、節分に落花生まくのって、北海道ローカルなんだったよなあ。
うーむ、風邪が微妙に長引いているやら忙しいやらで、ゆのはなもほとんど進んでいなかったり。あー、リアルでもゆのはな町みたいな温泉町で安らぎたいー。
(昨日の続き)
電波男をはじめ、二次元論や萌え論を巡る議論では必ずといっていいほど目にするのが、「三次元と二次元のどっちが上か」という類の論。
上もなにも、これってそもそも比較の対象にすること自体が間違ってますよ。二次元に限らず、萌えという概念そのものがまず個人の心の中にしかないわけですから。それこそ、「次元が違う」わけで。
どっちが好きか、どっちが尊いかと、優先順位をつけられないわけじゃないけれど……どっちを上にするにせよ、エゴ丸出しのDQN臭い意見にしかなりません。
萌えの方が上だと主張すれば、それは、現実よりも自身の妄想が尊いというのと同じで、世界そのものを拒絶するに等しいですし、三次元の方が上だと言えば、それはつまり、自分の心の中の世界なんて、現実の前では何の価値もないと言うのと同じですから。どっちも明らかに間違っている。人間は、現実も妄想も、両方とも決して捨てることができないから、うまく両者と折り合いをつけて生きていくしかないわけですよ。どっちを上に考えても、ゆがみが生じて苦しむばかり。
ただ、現代の風潮として、(電波男でも言われている、いわゆる恋愛資本主義によって)個人の妄想よりも、マニュアル化・商品化されて享受しやすくなった現実の方が尊ばれているのは確かだと思います。あまりにも「現実」商品市場の力が強く、規格外の肩身が狭くなるという点で、恋愛資本主義は人の心を不幸にしています。電波男の主題といってもいい部分ですね。
誰も彼もが恋愛できるわけじゃないのに、自由恋愛ばかりがもてはやされる。バレンタインデーを大々的にアピールする商業主義は、チョコなんて貰えない層の非モテ層を確実に嫌な気分にさせる。
別に、誰が悪いってわけじゃない。資本主義の原理からして、こういう風潮が生じるのは、自然な流れだと思います。
でも、この流れって、弱肉強食の摂理と同じなんですよね。通常の資本主義には、いちおうの社会福祉があるけれど、恋愛資本主義には、福祉の理念がそもそも存在しません。だから、その中で傷ついている人はいっぱいいます。俺も勿論。この悲しいことがやたら多い世の中じゃあ、幸せを現実からのみ求めるのは、ちょっとムリがあります。恋愛資本主義は、その点が実によくない。妄想を切り捨て現実にだけ生きることを人に押し付けてしまいますから。それじゃ結局、弱肉強食になってしまう。でも、俺たちは、動物じゃなくて人間なんだ。たとえ弱くても、幸せに生きたい。
しかしながら、これはなにも、恋愛資本主義に限った話じゃないんですよね。恋愛に限らず、どんなところでも、現実は常に妄想を追いこみますから。別に現実を捨てる必要はないし、そもそも捨てることもできませんが、だからといって、個人の思いや妄想といったものを軽んじる必要はないんですよ。むしろ、現実を生きる糧を、自分の心の中から得られると言う点で、妄想は必要不可欠なものだと俺は思います。
世の中には、そういう傾向がどうしてもついて回るので、それならば、軽視されやすい妄想の方をなるべく尊重していくと、バランスが取れるんじゃないかと思います。俺も、電波男でも、萌えを尊重しようと言っているのは、つまりそういうことなのです。萌えを意識して生きるぐらいが、人間の心の均衡的にちょうどいいんじゃないかと。
『電波男』は、俺がこれまでのオタ人生においてモヤモヤと考えてきたことの多くを、極めて端的かつ面白く表現してくれた素晴らしい本なのだけれど、それらの内容の中で、俺が最も感銘を受けたのが、「萌えとはすなわち、信仰だ」という主張を、極めて分かりやすく述べてくれた点。
そう。俺も密かに、「萌え」という概念は、人の心を救うという意味で、宗教と本質において同じものなのでは、と思っていたのです。
あー、一応言っておきますが、萌え=宗教といっても、何も萌えキャラを神様として崇めるとか、そういうオモシロ行為のことを指しているわけじゃありませんよ?
宗教というのは要するに、人間にとっての、心の救いなわけです。人が生きていくと、どうしても苦しい思いをしなければなりませんが、そんな辛さの慰めになるのが宗教という概念なんだと思います。まあ、ものすごく極論するとですが。
で、そもそも「萌え」っていうのは何かというと、これがまた大変分かりにくいシロモノなわけです。いろんな解釈がありますし。ただ、一つだけ言えるのは、「萌え」というのは、その「萌え」を感じている人にとって、好ましいものだということです。好ましいと思うからこそ、「萌え」ているわけですしね。これがまあ、「萌え」の本質といって良いのではないでしょうか。
しかし実は、そういう本質が、この「萌え」という言葉を分かりにくくしているのです。なぜなら、人によって好ましいものは全然違うから。「萌え」の本質からすると、萌えている人本人でないと、「萌え」という言葉が何を指しているのかは理解できないんですよ。
だから、萌えていない人にとって、萌えている人が感じている「萌え」は、なんだかよくわからないものでしかないわけです。そのため、「萌え」という言葉は、どうしても排斥的なものになってしまう。オタと一般人との垣根を作る大きな要因に、それがあると思います。
要は萌えって、その人にとっての「好ましいもの」以外の何物でもないんですけれどね。ただ、この説明だと、あまりに曖昧すぎて意味をなしてませんけれど。
「萌え」という言葉が、ほぼ二次元関係にのみ用いられているのは、単に「萌え」という言葉を使い始めたのがオタの人々だったというだけのことではないかと。本質的には、どんなものにも抱きうる概念だと俺は思います。むしろ、この言葉を使うのがオタに限定されてしまったことは、大いなる不幸だとさえ思うのです。一般人とオタの双方にとって。
「萌え」というのは、教義を学ぶ必要のない「宗教」――すなわち心の救済なのです。宗教ほど仰々しく立派な理論体系ではなく、それゆえ強烈な救済ではないですけれど、その代わりに、ある程度の感受性さえあれば、マンガなりギャルゲーなりを楽しむことで、誰もが享受できるわけです。
実は、「萌え」という言葉を使っていなかったり意識していなかったりする人でも、事実上、「萌え」ていることは多いと思います。概念として明確に意識しているわけではないので、強い印象を持ったり、それに執着したりすることは少ないでしょうけれど。残念なことに。
「これは萌えなんだ!」と明確に意識することができれば、もっとそれを心の中で反復したり、執着したりして、より強く幸せ気分を味わえるというのに。
何であれ、自分にとって好ましいものを心の中に抱けるということは、人生を送るための大きな糧となると思いませんか? 例えばそれが尊い神の教えであろうと、「おぱんつハァハァ」という類の興奮であろうと、それが人の心を安らかにしてくれるのであれば、両者に差などないと思うのです。……いや、一般論でいえば雲泥の差ですが、あくまで個々人の心の中に限定すれば。要は、その人を幸せにしてくれるかどうかが肝要、というスタンス的には。
しかしながら、萌えが宗教に激しく劣る点が、まさにその一般論としての強弱にあるわけです。すなわち、明確な教義がないという点。宗教の教義は難解ですが、代わりに強力な普遍性があります。
ですが、萌えはあくまで、その人にとっての好ましいものでしかない。さっきのおぱんつの例なんて、その最たるものですね。似たような感性の人となら、わりと共有できますが、しかしそれだって理解の違いがけっこうありますし。
つまり、宗教が(上手くすればですが)多くの他者を救えるものなのに対し、萌えは、自分にとっての「萌え」では、基本的に自分しか救えないんですね。もちろん、例えば自分の萌えを上手く反映した作品を作ることなどによって、他の人を救うこともできなくはないですけれど、それだって、宗教の普遍性に比べればごく小さな力でしかないです。まあ、それでも十分にすごいことですけれど。
ちと長くなったので明日に続けます。
すいませんごめんなさい。忙しいとか風邪引いているとか言っておきながら、無双4のストーリーモード、48人全員分をクリアしてしまってました。な、長かった……! とりあえず今回の夏侯淵と魏延は萌えキャラ。確実に。
発売まであと一週間を切り、カウントダウンボイスの連日アップも始まったので、『ゆのはな』(PULLTOP)発売カウントダウンバナーをトップに載せました。保存し逃すことなかれ。
自分はオフィ通で頼んであるのですが、大吉パック、ちゃんと発売日に届くかなあ……そわそわ。
ヴァー! 地味な紺ブレ制服キタキタキターーーー!(左) 奇抜デザインの制服もいいけれど、俺はこの地味ブレザーを一日千秋の思いで待ちわびた
ッッ! 地味制服バンザイ!(←YU-SHOW氏は歓喜のあまり、喜ぶべき部分がピンポイントに絞られています。注意)
それはそうと、新作情報はPUSH誌にて先行して公開されているとのこと。MOON PHASE雑記にて確認可能。7兆回ぐらい目を通すべし。
先週の引きで、聖也さん博多挫折編開始かと思わせておいて、今週の聖也のカッコよさときたら……! さすが。ただ、せっかく久しぶりの登場なのに、それでもなおコマにコピーが使われているというのは、これもある種の愛情なのでしょうか。
表紙の二人の服が大変かわいらしいことはとりあえずさて置き、ここ最近、由乃さん&祐巳という組み合わせがやたら多いのは満足なような不満なような。まあ、本編の展開をよく表してはいるんですけれど。具体的には志摩子さん分が足りない足りないったら足りないヴァー!(←ナインハルト・ズィーガーっぽく咆哮)
<マリみて関連リンク>
ガン種風マリみて(真珠の趣味部屋)
ネタ的切れ味もさることながら、登場初期時の瞳子のイジワル(っぽく祐巳視点からは見える)が懐かしいですなあ。瞳子は正直嫌いかも、そんな風に思っていた時期が俺にもありました。チェリーブロッサムでの「くすくす、くすくす」登場時の印象では。その後、極上のツンデレであることが判明し、憎悪が一気に愛へと反転しましたけれど。
以前紹介した仲睦まじい園崎姉妹漫画に、超素敵な続きが。この姉妹、二人ともなにげにけっこうボリュームがあるからなあ。そりゃあ鼻血モノです。ただ、本当の意味で悶えるのは例によって魅音の激ウブ反応。かわいすぎる。どうしてくれよう。
それはそうと、トップページの最新ネタがなんかとんでもないことに。そ、園崎組若獅子会の財力か……!? きっと裏で園崎の人たちに追い込みかけられているに違いない。前原屋敷のシムボルを爆破されたり。
『電波男』、現在amazonランキングで4位かー、凄まじい。いやでもホント、その順位も納得できる面白さなので、ぜひ読むべし。
帯の狙い通り、女性が読んでもいいのだろうけれど、やはりこれは、オタにこそオススメしたい本です。個人的には、なんというかこう、むやみに活力が沸くというか、「俺は俺のままでいいのだ!」と自信が持てるようになったというか。もちろん、オタでありギャルゲーマーであるところの俺について。
それはそうと、電波男の本文中にて、エヴァのアスカに罵られるのを妄想している部分があるのだけれど、そこでなにげに「この、イカ!」とか言わせているのは、ある種のお約束ということでしょうか。