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7月20日(日)
せっかくなので、昨日のお話をちょこっとだけ続けましょう。
なんで人がゲームを積んでしまうのかというと、「プレイする時間がない」という理由が一番もっともらしく聞こえるでしょう。そのことは確かに大きいのですが、でも俺は、そのことが直接的な理由ではないと思うのです。
本当に足りないのは、時間ではなくて、むしろ気力。時間がないというよりは、その時間を作り出す気力を出せないような状況ができているというのが、一番深刻なことなんじゃないかと。
そのへんの感覚は、吉田戦車の「はまり道」(←マイルドでいこう21内日記)において、実にうまく描かれています。たぶん読んだことがある人も多いはず。この4コマ、ファミコン隆盛期に作られたとは思えないほどに鋭い所を突いています。吉田戦車、侮りがたし。なにせ、この4コマがポストペットが作られるきっかけになったという話すら。
ゲームはやりたいんです。それも、たっぷりとプレイしたい。その欲求だけは尽きない。でも、それに気力が追いつかない。金銭的にはわりと事足りている。やりたいと思ったものを、とりあえず買いそろえることはできる。でも、なんかタルい。やりたいんだけど。楽しみたいんだけどー。……かくして、人間はゲームを積むようになる、と。
なんでこんなことになるかというと、ゲームってのは、インドアで一人でできる娯楽としては、かなり気力を必要とする類のものだからです。疲れます、はっきり言って。特に、シナリオを読むのがメインとなる類の作品は。
まず長い。1キャラのシナリオで、だいたい3、4時間くらいは必要です。しかも、あんまり途中で止めたりしない。止めるとなんとなくテンポが悪くなる。人にもよるかもしれませんが、俺なんかはそう。となると、これはもう映画どころの話じゃないです。人間の集中力が持続する時間って、せいぜい一時間前後。ストーリーの面白さとかで引っ張られる部分は確実にありますが、それでも2時間強の映画や、2時間くらいで読みきれるライトノベルあたりが、一回で楽しむ娯楽としては最適な尺のものなんじゃないかと俺は思います。エロゲはそういう意味で、かなりハード。
もちろん、途中で止めて「続きは明日」とできればよいのですが。しかし、これには結構な障害がある。ゲームって、立ち上げるのが面倒くさいって思うことないですか? というのも、ゲームって、楽しみ方の形態として、ちょっと融通が利かない。まず、PCが立ち上がってなくてはならない。モニターに釘付けになって、しかも次を読むのにいちいちクリックを要求される。漫画やアニメ(特に漫画)がなかなかデジタル媒体に移行しない理由の一つに、このような扱いにくさがあると思います。
ゲームと同じか、それ以上に尺の長い小説なんかは、普通の人はまず一回に読もうとはしないでしょう。時間的に無理ってのもあるけれど、なにより、続きからを読むのが非常に簡単だから。物理的に。エロゲだと、これはなんか面倒くさい。
そんなハードなエロゲーを、月に何本も消化していくってのは、これはなかなかに負担なのです。人にもよりますが、金銭的にはそう大した負担ではないはず。しかし、その他の面で、ものすごい負担になっている部分が確実にある。
やろうやろうと思っても、どんどん積みゲーが溜まっていくという背景には、その負担を回避しようと、無意識のうちに自己防衛本能が働いているのではないでしょうか。こんなに疲れるのに。娯楽としては負担が大きいのに。でもやりたい。やりたいんだけれど、どこか無意識のうちに、それを防ごうとする。そうして生じたのが、やらなくてもすむゲーム=積みゲーなのではないでしょうか。
これを素直に受け入れれば、ある意味幸せになれるのかも知れません。理想だった、やらなくてもすむゲームに囲まれて、喜色をうかべる吉田戦車絵のドクターマリオのような俺たち。たちの悪いバッドジョークですが、わりと現実に近いのではないか、とも思ったり。
もちろん、そんなことからは目をそらして、積みゲーを積んで、崩して、また積んで、という風に、そこそこうまくやっていくことは、そんなに難しくないでしょう。しかし、もうちょっと鑑みてみることにも意味はあるはず。俺はこんなにも美味いものを求めているが、しかし本当は今、お腹いっぱいなのではないか、と。食って、食って、美味しくて、しかしその反面で、胃袋が悲鳴をあげてはいないか。俺の胃は、自分で思っているほど丈夫ではないんじゃないか。ふと気がつくと、食ってるフリをして、食ったつもりでいたりはしないだろうか。食いしん坊にも、そして料理人にも、そういう視点があって良いのではないか。美味いものがあればよい。おなか一杯になればよい。それだけじゃないんじゃないだろうか。この二つが大前提であることは当然としても――
大変な、欲張り意見です。満貫全席を食べたいくせに、それを全部食べようとするのも胃に良くない、残すのも勿体無いなどと言っているのだから。しかし世の中、満貫全席が食べたい人と、満貫全席を作りたい人があまりにも多すぎやしないだろうか。俺含む。いや、それはある意味究極なのだけれど。