播磨ジャージ
このアイテムは、スクールランブルのディープなファンの間で、単行本二巻が発売されて以来、ずっと注目され続けてきた。
それは無理なからぬことである。二巻が発売された頃といえば、ちょうど連載本編で、俗に「沢近フラグ」とも呼ばれる、誤爆告白が行われた時期でもあった。そんな折に、単行本の内カバーの空き埋め絵とはいえ、なぜか「播磨」の名札のついたジャージを羽織った沢近が、体操服姿でたたずんでいるのである。妄想に長けたオタであれば、ここから優に百の妄想が行えるだろう。事実、日本で最も成功したオタであるところの、『ラブひな』『ネギま!』作者の赤松健氏も、対談にて、このジャージについて指摘していた。まさにスクランの最重要複線とさえ言ってよいものだったのだ。
そして、高まるスクラン人気の中、連載は次第に進行し、ついには学園祭に至る。そこで繰り広げられた話は、王道中の王道ラブコメであり、我々はそんなステキな展開に、満足と、それ以上の安堵を覚えたものだった。
誰もが、その時点で、播磨ジャージの役割は終わったと思ったことだろう。
――甘かった。俺の認識は、この上ないほどに甘かったのだ。
……なぜ俺が、これほどまでにスクランに魅せられたか。それは、その展開があまりにも予想を越えるもので、歓喜なのか興奮なのかわからぬ感情を、そのたびに湧きたてさせられるからに他ならない。誤爆告白がその好例である。だれもこんな展開を予測できなかっただろう。とにかく、あらゆる所で、読者の予想(というか希望)の斜め上を行く。それが、スクランのスクランたるゆえんだった。
そういう観点からすれば、学園祭の話は、スクラン的にいえば、やや不満が残るところでもあった。もちろん、あの話の数々には、この上なき歓喜を与えられたのだが、しかし、今までスクランに感じていた、ショッキングとさえいえるような突拍子もない興奮というのは、なかったようにも思える。安心して楽しめる喜びの類だった。
……そんなところで、あのスクランが留まるわけがなかったのだ。
播磨ジャージ! まさか、役目を終えたと思っていた、あの播磨ジャージを使って、まさかあんなスクラン的な展開を導き出してしまうとは――! 俺は驚愕した。戦慄さえ覚えた。これだ、この悦びとも驚きともつかない感情の急騰こそが、スクラン最大の魅力だったのだ。
その展開については、まだ読んでない方もいるかも知れないので、あえて詳しくは書かないが、読んだ人であれば恐らく、俺が感じたのと同じ類の感情に襲われたことだと思う。これぞラブコメ、という風にしか俺の言葉では語れない。
今現在の俺にとって、次回が楽しみという言葉は、スクランのためにだけに存在している。