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9月16日(火) 今さらながら、餓狼伝を語る。
『バキ』の微妙な迷走っぷり(面白いことは面白いけれど)に比べ、アッパーズ連載中の『餓狼伝』の方は、バキの最大トーナメントの頃を彷彿させるかのような盛り上がりを見せており、俺としても、今最も楽しみにしている連載作品の一つです。
この餓狼伝、夢枕獏の小説が原作であることはみなさんご存知でしょうが、しかし、こちらの原作も同時に読んでいる人となると、わりと少ないような気がします。
是非、小説版も併せて読みましょう。
もちろん、単に原作も面白いからというのもあるのですが、しかしそれ以上に、原作版と漫画版との相克が感じ取れるのが非常に面白いのです。
漫画版『餓狼伝』は、原作小説版の餓狼伝に対し、基本的な部分においては、忠実といってよい漫画化を行っていると言って良いでしょう。原作で描かれている格闘の迫力は、ほとんど劣化することなく、そして漫画ならではの味も加えて再現されており、これは多くの人が認めるところだと思います。
ただし、基本的でない部分に関しては、これでもかというほど好き勝手を行っているのが板垣版です。その好き勝手ぶりを何よりも雄弁に語っているのが、もはや当サイトをご覧になっているような方の多くには、改めて説明する必要すらないであろう、漫画史に残るほどの強烈な個性を輝かす素敵キャラ、泣き虫(クライベイビー)サクラの存在です。
原作版に、この素敵キャラは登場しません。ただし、グレート巽の過去を描写した回想シーン自体は当然存在しており、その中では、サクラが表した方向とは少々違いますが、しかしその迫力そのものに関しては決して劣らぬような、壮絶なシーンが用意されています。
原作版のそれと漫画版のと、どちらが良いか――という議論はさておき、この、漫画版の好き勝手ぶりから伺えるのは、
「これだけ凄まじい原作を、しかし、もっともっと更に激しく凄まじくしてやろう」という板垣恵介の確固たる意思でしょう。
原作版餓狼伝は、確かにとても迫力のある良い作品なのですが、
刊行ペースが非常に遅いという欠点があります。漫画版の好き勝手絶頂な原作の弄りっぷりは、まるでその遅い執筆状況に活を入れているかのような感があります。
たとえば、闇の空手家久我重明の、突然の漫画版参戦。この久我重明、そもそも餓狼伝のキャラではありません。この素敵な空手家は、夢枕獏が80年代に書き始め、
その後10年もの間ほっぽっておいた、
『獅子の門』シリーズに登場する男です。なぜこんな、半ば忘れ去られたかのような作品のキャラを発掘したのかというと、以下のセリフは単なる俺の妄想ですが、
「こんな素敵な男を眠らせたままにしとくんじゃないよ。
アンタが書かないなら、俺が勝手に描いちまうからな」
という板垣恵介の、熱い思いをこめた
挑発の意図が少なからずあったと思うのです。現に、それに触発されたのか、この『獅子の門』シリーズは昨年、前作より10年以上もの期間を経て新刊が出ました。挿絵は板垣恵介。これを単に、漫画版に触発されたとか、当り障りのない言い方もできますが、これは要するに、板垣恵介の挑発を受けたということであり、すなわち――
ケンカを買った、とも言える訳で。
「板垣の好き勝手にばかりさせるものかよ――!」とばかりに、夢枕獏が反撃に出た――そう思わせたのが、原作餓狼伝の最新刊。原作餓狼伝シリーズ中、最も激しくビューティフルな戦いが、その巻には描かれていました。その戦いのカードとは――松尾象山 vs 力王山。
そう。力王山です。漫画版餓狼伝において、グレート巽の凄まじさを描くため、かませ犬にされたと言って良いような使い方をされた、あの力王山です。
餓狼伝の特別単行本での、両者の対談において夢枕獏は、漫画版での力王山の使われ方に、非常に悔しい思いをしたと言っていました。そのエピソード自体は、巽の強さと、背負ってきた宿業をよく表した、秀逸なエピソードでした。しかしそのために、力王山というキャラクターは、使い捨てられたと言って良いでしょう(それ自体が悪いと言っているわけではありません)。
しかし、夢枕獏は、漫画版で使い捨てられた力王山を使って、読んでて思わず総毛立つような、とてつもない戦いを書き上げたのです。くわしくは、まあ実際に読んでみるべし。原作版を読んでないという人も、この最新13巻の冒頭だけを拾って読む価値があると俺は断言いたします。
「どうだよ。俺は、この力王山を使って、こんなにもすげえものを書き上げたぞ。
そっちの力王山の使い方もまあ良かったが、俺の力王山の使い方だっていいもんだろ?
思わず漫画にして描きたくなるような戦いだっただろ?」
俺は原作版最新刊を読んで、夢枕獏のそんな声が聞こえてくるかのようでした。それはまさに、夢枕獏と板垣恵介という超雄作家同士の、同じ作品世界を巡った鍔迫り合い。
そう。これはもはや、勝負と言ってよい。同じ作品世界において、どっちがより高みに昇れるかを競う、作家同士の真剣勝負だ。
もちろん、両者の間で通い合っているのは、このような類の相克だけではありません。同じく原作版の最新刊においては、漫画版において、丹波文七との壮絶な試合を行った、堤城平が復活しています。文七 vs 堤城平戦は、ほとんど原作に忠実な描かれ方だったのですが、この堤の再登場は、これはまた純粋な意味で触発された結果と言って良いでしょう。
『餓狼伝』は、漫画版も原作版も非常に熱い作品なのですが、それら個々の作品としてだけではなく、そういった事情やらを頭に入れて読むと、それはそれでまた違った面白さが感じられる、実においしいシリーズと言えるでしょう。それを味わうためにも、両方の併読をオススメするのです。
……さて、なぜに唐突にこのような話をしたかというと、漫画版において、そろそろ解説役の地位が不動になってきた我らが梶原が、原作版の次巻あたりで、パワーアップを遂げて帰ってくるんじゃないかなあ、とふと思ったのです。一応、復活フラグは立ってますし。「おいおい、梶原を無下に格下げするんじゃないよ。俺がこっちで活躍させてやるからな」的なノリで。もちろん長田の方にも期待。
今の漫画版が放つ熱が、原作版にフィードバックすることを願いつつ。